母の最期の時、緩和ケアの担当の先生は遠方にいていらっしゃらなかったので、
電話でのやりとりをして、看取ってくれたのは他の先生でした。
一度直接会って、お礼と最期の母の様子を伝えたかったので、病院に電話すると
金曜日の12時に元々母の名前で診察予約をとっていたので
その時間に来ていいということでした。
緩和ケアにかかった時、『痛み日記』というものを渡されました。
薬を飲んだかどうか忘れてしまわないように、自宅で記録をつけて、
診察時に先生が日記をもとに痛みのコントロールをしていく・・・というようなものです。
母はつけるのを拒んでいました。
解っていたんでしょうね・・・
そのノートが、主に末期患者に渡されるものだっていうこと。
診察に行くたび、痛み日記をつけるように指示されましたが、
結局最後まで白紙のままでした。
母が亡くなった後、パソコンの隣には、小さな黄緑色の手帳がありました。
最初のページの一番上には、
『回ふく日記』と書かれていました。
日付は緩和ケアから、『痛み日記』を勧められた日から始まっていました。
そこには、わずかな日記と飲んだ薬が書かれていました。
母は、後ろ向きな『痛み日記』としてでなく、前向きな『回ふく日記』という名前で、
ちゃんと言われたことをしていました。
見るだけで、文字がだんだん弱っていくのも
漢字やひらがな、カタカナが使い分けできなくなっていくのも
真っ直ぐにかけなくなっているのも
日記を見るだけで、母がかなり必死な状態でつけていたのがわかります。
新品の手帳でしたが、記載されていたのは僅か4ページでした。
その中に、私の事も書いてくれていました。
傷の手当をしている事、毎日マッサージをしている事・・・
一番下には、「ごくらく!ごくらく!かんしゃ!かんしゃ!」と書いてくれていました。
そのノートを、担当の先生に見せました。
先生もとてもビックリしていました。
そして、母の生き方・考え方の素晴らしさを褒めてくださいました。
先生は、「コピーとってもいいかな。」と言い、
〝自分が気付けなかった患者さんの本当の気持ち・一面に初めて気づくことができた”
〝勉強させられました。これからの参考にさせてください”とおっしゃっってくださいました。
母の日記(思い)は、きっと今後の緩和ケアをより良いものに変えてくれると思います。
娘の私が言うのもなんですが、最期まで、本当に素晴らしい母です。