(長文です。愚痴です。ごめんなさい。)
遺言があったらな・・・・と、つくづく感じています。
ガンが発覚した頃から、母とは万が一の事の話はたくさんしてきました。
葬儀の事、喪主の事、保険金のこと、お墓の事・・・・・
考えたくなくても、話したくなくても、決めておかなければならない事でした。
母が元気なうちは、「遺言、書いておかなきゃねぇ」と、自ら話していましたが
ガンが進行するにつれて、母もつらくなり、私からもも遺言を書くことを勧める事なんてできなくなりました。
結局最後まで書くことはできませんでした。
私の実父とは離縁していましたが、同居人(母がブログ上で「主人」と呼んでいた人)とは、
母の希望で入籍しませんでした。
複雑な事情が多かったですし、『自然』と『海』が好きな母は、散骨を希望していました。
「死んだら自然に還りたい」と。
ですが、実際にはそれは叶いませんでした。
色々な所から反対の声が出て、いくら私が「母から母の希望はすべて聞いてきた」と言っても、
遺言書がない限り、私の言葉は効力もなく、『喪主』をさせてもらうのが精いっぱいでした。
私が喪主を務めることも母が残した言葉でしたが、
それででさえ、よく思わない人はたくさんいました。
揉め事が嫌いだった母の為に、母の希望は入れつつも出来る限り円満に解決する選択を
私なりに一生懸命さがして、時には譲歩して、時には頭を下げてやってきたつもりですが、
最後まで責められ続けた部分もあります。
そして今も責められています。
昨日も母の位牌・写真の前で怒鳴られました。
今後の供養の事で揉め、保険金の事で揉め・・・・
僅かばかりではあっても残してくれた保険金は、私も兄弟も
「分けるのではなく、母の為に使おう」と話しました。
結局戸籍上は単身で逝去してしまったので、亡くなっても行く場所はなく、
仏壇を買ったり、お墓を新たに立てたり、今後の法要のために使っていこうというのが思いでした。
しかし、それもまた簡単には通りません。
私がズルをしている様に言われるのはつらいです。
母のお金を自分の利益の為につかってやろうなどど思ったことは一度だってないのに・・・・・・
帰りの車で泣く私の隣で、その場に一緒にいた6歳の長女も泣き、
「ばーばがかわいそう!ママがかわいそう!」と声をあげていました。
それでも、やらなければならない手続関係・支払関係はまだまだあります。
長女の手を握って一緒にあちこち回りました。
自宅に戻ってから、長女が、
「おうちにも、ばーばの写真飾っていい?私のご飯分けてあげてもいい?」と言うので
「そうだね、そうしてあげたら、きっとばーばも〝ぴゅーーーっ”て飛んできて
「美味しい!ありがとう~!」って言ってくれるよ!」と伝えました。
プリントした母の写真を、子供部屋の箪笥の上に一生懸命飾って、
自分の分から取り分けたご飯やジュースをせっせと運んでいました。
母の写真立を抱えて眠る長女の姿に涙が出ます。
また怒鳴られるのかと思うと、母の所へ行くのが憂鬱になってしまいます。
でも、母に会いたいし、お線香もあげたいのでやっぱり行きます。
今日も長女は小学校を休んで一緒に行きたいと言ってくれています。
この小さな女の子が今は私にとっての大きな味方になってくれています。
揉めるのは本当につらいです。
もう、母が見ることがない事をいいことに、ブログにこんなにたくさん愚痴を書いてしまいました。
ごめんなさい。
昨日晴れていた空が今日は泣いていました。
ごめんね、お母さん。