私はとにかくまず情報を集めた。
もっと知らなくてはいけない事がたくさんあるはず。
 
早速買ってきた本を開き、『セルフ療法』に関することをノートにまとめて、翌日、お母さんが見やすいように
大きめの画用紙4枚の表をつくった。
私なりの絵を加えたりたくさん色を使ったり・・・とにかく気分を沈めないように、明るく治るイメージを持って。
『これで治る!misatoのマル秘情報」というタイトルもつけてみた。
でも、お母さんに決してこの治療を強制することのないように、少しずつ「こんな方法を見つけたよ」と伝えることにした。
 
表を完成させて、お母さんに電話した。
「ちょっとおもしろい本を見つけて・・・」と切り出して、少しずつセルフ療法の話をしてみる。
本には化学療法を受けなくても自分の治癒力でガンを克服した人の話がたくさん載っていた。
著者の先生もまたその一人だった。
お母さんに「病院の治療に頼りっきりになるんじゃなくて、自分の中の治癒力を引き出せばきっと治るよ」と伝えた。
 
すると、「お母さんもね、抗がん剤とか放射線とか、最初から受けたくなかったよ。お母さんの周りでも
それで苦しんでいる人たくさん知ってるし、いっぱいお金掛けてそれでもダメだった人も知ってるし。
だからお母さんはできるだけそういう治療には頼りたくないって思ってた。 調べてくれて気付いてくれて
ありがとう」と言った。
 
お母さんが「ごめんね」じゃなくて「ありがとう」と言ってくれた。
―良かった!間違ってなかった・・・!―
 
翌日、お母さんに表と本を届けに行った。
乳癌告知を受けてから、会うのは初めてだった。
でも、調べていくうちに私の中の『ガン』=『死』というイメージは無くなっていて、『治せる病気』になっていたから
お母さんの顔を見てももう涙は出なない。
お母さんも相変わらず気丈に振舞っていた。
 
まだお母さんの中での恐怖は消えたわけではなかったようで、まだ“死ぬ”ことへの覚悟を決めようとしていたようだったけれど、集めた情報を一生懸命説明して、実際に克服した人もたくさんいるんだ、ということも伝えた。
『セルフ療法』は決して簡単なことではないし、本当に治る確信もない。
でも、きっと信じてみなくちゃ治るものも治らない・・・!
 
その時は、これから始まる大変な食事制限の前に「え~~。じゃぁ冷蔵庫にあるイクラだけは食べちゃってもいい??」なんてお母さんはおちゃらけて言っていたけれど。
 
お母さんにだけ「がんばってね」とは言えないから、私もそれまで毎晩飲んでいたビールをやめることにした。
適当だった食事にも気を遣って健康食に変える。
それはお母さんのためじゃなく自分のために。
『ガン』が他人事ではないことを知った今、自分もちゃんと健康な体づくりをしなくては、と思う。
それに、お母さんがいつも言う「体に気をつけるんだよ」という言葉。
私が例えば落ち込んでご飯が食べられなくなってやつれてきたって、お母さんの悲しみを増やすだけ。
お母さんの心配がこれ以上増えないように、私は私の体を大切にしなくっちゃ。