私は過去に2度ケガで入院をしたことがある。
だから、入院というもの・手術というものがどんなものなのか少しわかる。
 
1度目の入院は10歳の時。
歩道を歩いていたところを後ろから乗用車にはねられた。
頭蓋骨骨折だった。
その日はお母さんの誕生日。
プレゼントを買いに行くつもりが最悪な誕生日にしてしまった。
 
その時、手術をして命が助かる可能性は50%、さらにもし命が助かっても言語障害やその他の後遺障害が
残る確率はかなり高いと医師には言われたらしい。
医師から「それでも手術は行いますか?障害が残っても育てていけますか?」と聞かれて、
お母さんは、「当然です!早く手術してください!!」と即答してくれたんだと後から聞いた。
 
腕のいい先生で、手術も成功して、本当は丸坊主になるはずの髪の毛も「女の子だから」と上部を残してくれて、
後頭部の傷も真ん中だと将来2つに分けて結べないから、と中心からずらして切ってくれたんだって。
 
10歳の私の記憶は曖昧な部分も多いけれど、お母さんがずっと傍についていてくれたことは憶えてる。
 
 
2度目の入院は25歳の時。
交通事故で、両大腿骨を含む計4ヶ所の骨折だった。
救急車で病院に運ばれて、駆けつけたお母さんの顔を見て最初に出た言葉は「お母さん、ごめんね」だった。
心配掛けて、苦労もさせてしまう申し訳ない気持ちでいっぱいで、涙が溢れた。
それはお母さんが今毎日私に言う「ごめんね」と一緒なのかな。。。
 
医師には「生涯車椅子生活になることも覚悟してください」と言われた。
また、「しばらくの間は突然死んでしまう可能性もあるということを知っていてください」と。
 
それから5ヶ月の入院生活が始まった。
お母さんはその間、1日も欠かすことなく来てくれた。
毎日毎日、バスに乗って、洗濯を持って。
 
最初は「こんなの乗り越えてやる!」と思っていた気力も、1ヶ月と続かなかった。
起き上がることも座ることも寝返りをうつことさえできない。
足が全く動かない。重い。
トイレにも行けない。お風呂も入れない。
ベッドから落ちた物一つ拾うことさえできない。
何にもできない。
 
お母さんに八つ当たりしたこともあった。
「来るの遅いよ!」
「も~うるさい」
せっかく来てくれたお母さんの顔も見ず、話もしないこともあった。
手術をしてリハビリをしたって全然良くならない。
悔しくて情けなくて「もうどうでもいい。もう死んじゃおうかな」なんて言ったこともあった。
 
それでもお母さんは「つらいのはお母さんじゃないもんね、代わってあげられなくてごめんね」と、私を責めなかった。
そして決して涙を見せず、いつも“いつもどおりの明るいお母さん”でいてくれた。
お母さんは私に、「がんばれ」とは一度も言わなかった。
 
そんな時一人のナースが私に「頑張りが足りないから良くならないのよ」と言った。
「そんななってただご飯たべてるくらいだったら、リハビリしながらご飯食べる事だってできるでしょ」って。
悔しくて悔しくて泣けてきて、後から来たお母さんがそんな私の姿を見て初めて取り乱した。
「文句言ってくる!頑張りが足りなくなんてない!」って。
「いいよ、お母さん。文句なんて言いに行かなくていい」と言うと
「あんたのことはお母さんが命を掛けても守ってあげるから」と言ってくれた。すごく悔しそうな顔だった。
それから私はナースの言うとおり、食事中にもリハビリを意識した。
頑張りが足りないなんてもう言われないように!
 
合計5回の手術と半年のリハビリで日常生活には殆ど支障のない程度にまで回復した。
今思えば、あのナースの“言葉のムチ”も有難いものだったのかも。
担当してくれた先生も良かった。
他の先生が「治っても歩くのがせいぜい」と言う中、先生は一番初めに「どうなりたい?」と聞いてくれた。
私は「普通に歩いて、正座だってできるようになりたい」と言った。
膝の粉砕骨折をした私に「それは難しいよ」という先生もいたけれど、担当の先生だけは「わかった」と
言ってくれた。
いい先生とお母さんの支えのお陰で、今は多少の痛みや違和感はあっても、歩けるし階段も上れるし、
小走りだってできるし正座だってできるようになった。
 
 
私にとっての『いい先生』は、腕がいいのもそうだけれど、患者の思いをちゃんと聞いてくれる先生。
“医学的にはこうだからこうしなさい”と言われたらそうするしかないのかも知れないけれど、
でも患者本人の希望や考えにも耳を傾けて欲しい。
治療方針を自分で選択することをさせて欲しい。
 
もし、お母さんの今の担当の先生が、私とお母さんが“医学的治療”を保留にして“セルフ療法”をしたいと伝えた時に、突き放すような先生であったら、私は他の病院を探してもいいと思ってる。
 
手術すること・入院することが思っている以上に大変なこと、先が見えないことへの恐怖、病院という狭い場所に
居続けることが与える精神的ダメージ・・・私はそれを知ってる。
だからこそ、お母さんを病院任せにしてはいけないんだって思えてきた。