安定=善、プラスイメージ
不安定=悪、マイナスイメージ

って感覚、ありますか?

今日ふと、
私は不安定じゃダメって価値観をずっと
握りしめてたなーって気がつきました。


私の場合、その感覚は多分、

父の失業に伴って母が発した
様々な言葉に紐付けられています。


実家は当時父しか働いていておらず、
(まだそれが普通と思われていた

時代でした)
失業によって経済的な不安定に

直面していたわけで、

母が働き始め、いつも不機嫌💧

私はそれを気遣って
習い事を辞めたり、
行きたい塾や予備校を諦めたり、
いろいろな有形無形の我慢が

デフォルトになっていきました。


子どもながらに親の機嫌を忖度し

それが正解だと思っていました。

でも今は、

本当はどうだったのかな、

と思います。

安定はプラスで良いことで当たり前?

安定を維持する為に、
それまで父はどんな想いで
働いてくれていたのか。

会社の職場環境はどうだったのだろう。
満員電車の通勤も大変だっただろうに。

失業も、

きっとそれなりの理由があっての

ことだったに違いない。


だったら、もう少しかけてあげる

言葉があったのではないだろうか、

私が我慢すれば、という考えは、

巡り巡って、

果たして誰かの為になったのか、

かなり怪しいところ😅

当時の私にはそれが精一杯だったの

ですけれど。


亡き父に少なからず罪悪感があるのは、

きっとそんな気持ちに由来しているような

気がします。



今、自分の周りを見渡してみて、
実は安定は沢山の人のコツコツとした

努力や働き、頑張りに支えられて

作り上げられたものだから

良いイメージなのであって、
それは決して当たり前じゃないのだな、

とようやく腑に落ち始めました。

とすると、

ひょっとして不安定は実はデフォルトで、

決して悪でもマイナスでもないんじゃない?



ゼンタングルを始めてから
1本の線をまっすぐに描く為には

練習しかないよ、
手の筋肉が付いてきたら

描けるようになりますよ、

とアドバイスを受けることがあります。

実際その通りで、
描くことに慣れてくると、
だんだん楽に綺麗な安定した

1本の線が引けるようになってきます。


小さな子どもが、落書きをしながら

少しずつ手指のコントロールを

覚えていくように、

何歳になっても、トレーニングすると

できるようになること、

日々の小さな積み重ねで身についてくる

ことがあることに、

今はワクワクしています。

でもそれは、果たして当たり前?






喜多岡季子先生のご提案で、

左手で描いたこのビジュータイル。

細く揺れる線に、

そんないろいろなことを考えさせられ

ました。



私は日々リハビリに励む方々の

字や塗り絵に接しています。


でも、あまりにも日常になり過ぎて、

そこに至るまでの過程を気遣うことなく、

当たり前にしてしまっていなかったかな、

と思いました。


当たり前ってなんでしょう。


実は、当たり前は私の思う

当たり前であって、

私の意識が作り出した勝手な妄想かも。


だって、今同居する家族でさえ、

我が家は当たり前が全然違いますから🤣


「当たり前」は、

そこに至る背景に対する想像力、

その方が持っている創造力に、

想いを馳せる機会を奪っているかも

しれません。



不安定は悪いことじゃない


たとえ表れている現象が不安定でも、

そこに至るには沢山の過程があり

軌跡(奇跡)があり、

まだまだ変化していく可能性と

伸び代がある!


そして、不安定を安定に導くための

沢山の道や手段が世の中にはあって、

それを探す過程も、どれを選ぶかも

はたまた、新しい何かを作るのかも、

選択肢は無限大、

どうやら、世界にはそれを

受け入れてくれる包容力が

たっぷりありそうじゃないですか。



だから、

今どんな結果(作品)であっても、

どうか胸を張って欲しいと思います。

どんな作品もみな違うから

素晴らしいのです。

その結果、作品より、

そこに至る過程こそが宝物✨

誰と比べる必要なんてありません。


ゼンタングルに正解がないのは、

きっとそういうことなのではないかな、

と思っています💕


不安定は悪くない

怖くもない

いや、ちょっぴり怖いけど笑

それはチャレンジしない理由にしなくていい


不安になることはあるけれど

だから人は安定を目指して

頑張ろうって思えるのかも知れませんね❤️


ピンチはチャンス

当たり前や

不安定は悪というイメージを手放したら、

豊かな世界が広がりそうです🌍



今日も最後までお読みくださり

ありがとうございます。


明日も良い1日を



あおぞら