海沿いの小さな一軒家。
家から出るとすぐ横が海で、じいちゃんの小さな手漕ぎ伝馬船が繋がれている。
家にいるときには、いつも土間に網を広げて修理していたじいちゃん。
捕ってきた魚をリヤカーに積み込んで、売りに出るのはばあちゃんの役目だ。
ばあちゃんの名前は『鈴木タケノ』
のちに私が継ぐ事になる《竹野鮮魚》の名前の由来である。
幼少期は祖父母に育てられた私は、朝から釣りたての刺身が出たり
フグの湯引きや車エビが夕食だったりと、今思えばすごく贅沢な食卓だった。
幼稚園にあがる前、ばあちゃんと一緒にリヤカーで出かけて
帰りには、空になったリヤカーに乗ってきた記憶がある。
水の都島原には、当時あちらこちらに湧き水やポンプがあって
お客さんと楽しそうに会話しながら、魚を捌いて渡していたばあちゃん。
ばあちゃんの口癖は
「おなご(女)はな、女業というくらい業が深い生き物なんやけん。
男を支えて、男の人の後ろからついていかんばとばい。」
スーパーマーケットの中にテナントとして入る話がきたのは、
私が小学校2年生の頃だった。
そして、離れて暮らしていた両親が戻ってきて、祖母と一緒に
《竹野鮮魚》をすることになった。
商売人の子としてのスタートだった。