振り返ってみると、幼稚園の頃から、ピアノ以外にも、様々な楽器に触れてきました。

ごくごく一般的な家庭でしたが、やりたいびっくりマーク
と言ったことは、やらせてくれた両親や祖父母には感謝でいっぱいです。

長くなりそうなので、2回か3回に分けようと思います。

幼稚園には、鼓笛隊があり、鍵盤ハーモニカ担当でした。

鍵盤ハーモニカの中でも、数人しかいない選抜メンバーしかやらせて貰えない(一応、ピアノを習い始めていたので、他の子よりは、できたというレベルです)高音の出るものでしたスター

でも、私は、小太鼓がやりたかったので、家で、クッキーの丸い缶に、紐を付けて、首から下げ、菜箸で、ドンチャカドンチャカ叩いていました。



小学校になると、1年生の時に授業でやった木琴(大きいのではなく、卓上サイズ)が、とても気に入り、「欲しい、欲しい」と言っていたら、祖父がヤマハに行って買ってくれましたニコニコ

当時、1万円だった記憶があります。
白鍵だけのものと、黒鍵が付いているものがあり、祖父は、黒鍵も付いている方を買ってくれました。
40年前の1万円なので、それなりに高価なものだったと思います。
今でも、大切にとってあります。





小学校5年生になるとマーチングバンドに入りました。

幼稚園の頃からずっと小太鼓(スネアドラム)に憧れていたのに、トランペットがカッコよすぎて、トランペットになりました汗うさぎ

普通の公立の小学校でしたが、マーチングバンドの強い学校でした。
学校所有の楽器も多数ありましたが、やはり数に限りがあり、両親が、トランペットを買ってくれました。
そこそこのランクのものでしたが、小学生に与えるには、やはり、高価なものだったと思います。

なのに。。。

6年生になった時に、やっぱり、パーカッションがやりたいビックリマーク
などと言い出し、パーカッションへ。
さすがに楽器は、学校のものでしたが写真のような太鼓が4つ付いたもので、パーカッションだけど、楽譜も4線譜で、とても楽しかったです。




朝練に始まり、放課後練、マーチングバンドに没頭した2年間でした。
当時は、朝7時くらいから、放課後は18時過ぎまで校庭で、マーチングバンド(部員80人近くいたと思います)の練習をしていても、苦情などなかった良い時代でした音譜


【つづく】