Pikoの独りごと

Pikoの独りごと

このblogは、巨大子宮筋腫を患い、開腹手術。
その後の形成外科での手術等、闘病を中心とし

時々、仕事のこと、家族のこと、
ペットのこと、趣味の話等を織り混ぜた私の独り言…
呟きのページです。

前blogの続き話は少し置いといて…


かなり間が空いてしまいました


パリ五輪も開催…


開会式を視ようと構えていたけれど

寝落ちしてしまいました。


NHKの総合(さいたま)とEテレ(西東京)で

甲子園の決勝戦を交互に視ながら

涼しい室内で


前オリンピック…1年遅れの東京2020の時は…

私は入院中だった。


正確の言うと、オリンピック2日前に
入院となってしまった。

その頃の経緯は、このblogにも…

かなり詳細に綴っていた❗
(自分でも忘れていた事実がかなり詳細にリアルに
書いていた)


私は約5年前に巨大子宮筋腫の開腹手術を受ける。
blogはその頃から書いていた。
大学病院でも稀な巨大筋腫。
開腹手術以外に選択肢は無かった。
様々な合併症や、父が旅立ったショックで
精神的にもかなりボロボロ。

手術後の創傷部感染で皮下腫瘍、血腫、難治性潰瘍など
最悪の経過を辿り、
その後に転院して再手術を受けるも、状況は一進一退。
けれど、最初の手術を受けた大学病院とは違い、
転院したK病院は信頼出来る教授や医師たちと出会えて、
小さなトラブルも、誠意ある対応により解決に導かれて
関係は良好だった。

そんな時、膝の裏側を虫刺されがきっかけで
蜂窩織炎になり、体調もダウン。
緊急入院となったのが3年前のオリンピック直前。
2021年7月8日から11月半ばまで、
改めて読み直して見ました。
リンク貼り付けられなくてゴメンナサイ。

3年前といえば、まだCORONAの真っ只中。
ワクチン開始が始まっていた頃だ。

少しずつ快方に向かっていたと
思っていた矢先に、蜂窩織炎。
元々のアレルギー体質、蕁麻疹も災いして
かなり辛かったな。

blogにも書いていたが、
退院を望んだ私の気持ちとは裏腹に
状態は悪く、オリンピック前の退院は叶わなかった。

開会式のテレビの状況も書いてた。
ソフトボールの上野由岐子さん…
凄かったな。

K病院で出会えたA教授、
穏やかで優しい女性のR医師(この入院の時の主治医)
開幕した瞬間を病室のテレビで
3人で観た。

その後に担当医の1人、当時は研修医だった
S先生と一緒に、MISSHAさんや市川團十郎さんの
舞を観たんだなぁ。

そして、入院中に蜂窩織炎を起こした脚とは
別の脚に、深部静脈血栓症が起きていた。
あの時の、K准教授…本当にお優しい医師だった
今は、大学病院で教授になっている。

その頃、自分の仕事の進退に悩まされてもいた。
個人経営の病院に常勤看護師として勤務していた。

早期退職を決意して、
職場に退院の挨拶に出向いたら
まさかの”待った“がかかる。

パートナー的な存在だった同僚看護師さんが
私と同じ手術のために、退職が決定していたから。

何とか職場復帰して、
その後は退職することもなく現役続行。
苦しかったけどね。

今現在でも、形成外科、循環器内科、血管外科、
不眠症外来は定期的に、
消化器内科、耳鼻科、眼科は不定期。
そして婦人科と乳腺外科は年に一度の通院。

仕事も辞めず、継続している
blogにも書いていたけど、
自分の進退にあれ程悩まされ
追い詰められたことは
今迄に無かっただろうな。
蜂窩織炎で、悪臭放つ変色した傷跡。
反体側の脚は、深部静脈血栓症で
変色して浮腫みもあった。

詰んだな…

けれど、A教授や主治医R医師、
血管外科のK准教授、
仲良くなった病棟の看護師長さん、
研修医だったS先生、
その先輩医師のH先生…
(blogにも…私、Pikoの年甲斐もなく
恋をした優しいイケメン医師)

いろんな方に、助けられて来た。

職場復帰した頃は
CORONA禍…真っ只中で、
ある意味、凄まじいくらいの
闘いがあった。
でも、あれだけのCORONA患者さんを
診てきて、職員で感染者は1人も出なかった。
(家族で感染者が出て、ホテル入院のケースは
あったけど)
とにかく、力を合わせてやり抜いたと思う。

弱音を吐いてる暇など無かった。

パリ五輪の開幕前日、
有休もらって、病院受診。

「あれから、もう3年も
 経ったんだな……」