「おい、見たか。今朝の永田町。黒塗りの車が列をなして、消えていくんだ。まるであの世へ向かう葬列みたいにさ」
​しがない町工場の事務員、佐藤は、安居酒屋のカウンターで同僚の田中を小突いた。

巷では一ヶ月前から、ある不穏な噂が、まるで癌細胞のように静かに、しかし確実に広がっていた。
​「彗星が来る。地球は、終わる」
​だが、テレビをつければ、いつものワイドショーが芸能人の不倫を叩き、政府の報道官は穏やかな顔でこう繰り返している。

​「一部で囁かれている終末説は、根拠のないデマです。安心してください。我が国は、国民全員を救うための『巨大宇宙箱舟計画』を着々と進めています。選別などありません」

第1章:選ばれし「3万人」の朝
翌朝、佐藤は奇妙な光景を目にした。
近所の「エリート」で有名だった東大卒の代議士一家が、大きなスーツケースをいくつも抱え、迷彩色のトラックに乗り込んでいく。彼らの顔に悲壮感はない。あるのは、どこか誇らしげな、特権意識に満ちた薄笑いだった。
​佐藤は知らなかった。その頃、政府の地下深くでは、冷徹な「取捨選択」が完了していたことを。

​特号秘:プロジェクト「揺籃(ようらん)」
​予測: 48時間以内に巨大彗星が衝突。最大級の大震災、津波、暴風雨により地表は壊滅する。
​対策: 全国16カ所の極秘地下シェルターへ、人類の「種」を避難させる。
収容人数: 日本国内でわずか3万人。
​選考基準: 高IQ保持者、政治家、重要技術者、およびその血縁。

​佐藤のような「ただの人間」は、計算式の中にすら入っていなかったのだ。

​第2章:目出しの「箱舟」
​パニックを抑えるため、政府は巧妙な罠を仕掛けた。
海浜公園や広場に、突如として巨大なロケットのような「箱舟」の模型を建設し始めたのだ。
​「あれに乗れば助かるんだ!」
「政府は見捨てていなかったんだ!」
​人々は歓喜した。

その「箱舟」の周囲には、何十万人もの群衆が詰めかけ、乗船チケットを求めて殺到した。しかし、それは単なるハリボテだった。怒り狂う大衆の目を一箇所に釘付けにするための、残酷なデコイ(囮)である。
​本物の「救い」は、その足元、地深くのコンクリートの中にあった。

今まさに、厚さ5メートルの鉛の扉が、音もなく閉ざされようとしていた。 

​第3章:皮肉な結末
​「……さあ、これで人類の未来は約束された」
​地下シェルターの司令室。内閣総理大臣は、モニターに映る「地上の群衆」を見下ろし、贅沢なブランデーを口に含んだ。外では今、空が赤く染まり始めている。
​だが、一人の若い技術者が、青ざめた顔で駆け寄ってきた。
​「総理……、大変です。シェルターの空気浄化システムに、致命的な欠陥が見つかりました」
「何だと? 作り直せばいいだろう」
「……不可能です。部品を製造していた工場は、今さっき津波に飲み込まれました。その工場の工員たちは……『選別』から漏れた、地上の連中の中にいました」
​静寂がシェルターを包む。
地下に閉じこもった「選ばれし3万人」に残されたのは、最高級の食料と、二度と入れ替わることのない、よどんだ空気だけだった。

​エピローグ
​地上のハリボテの「箱舟」の周りで、人々は手を取り合って祈っていた。
空から降り注ぐ光の洪水を見上げ、彼らは最後にこう叫んだ。
​「ありがとう! 私たちのために船を作ってくれて!」
​皮肉にも、騙されたまま死んでいく者たちの顔は希望に満ち、生き残るはずの地下の者たちは、暗闇の中で互いの首を絞め合っていた。

‐--ふと、上空から宇宙の観察者が呟く。
「地球の人類は、最後まで面白い冗談を言うね」
​(完)