私50歳の誕生日 パパ53歳 くも膜下出血で 急死してしまいました。寂しい毎日ですが パパには感謝しかありません。
毎日テレビの録画をしていますそれはNHKの『きょうの料理』色々なテーマで 毎日違う先生がお料理されます今度作ってみようと気に入った料理だけ消さないようにプロテクト設定していました過去のプロテクトしている題名を見てみると連休は料理で楽しもうホットプレートごはん楽しいおうちごはん記念日ごはん など番組を見なくても 題名だけで楽しそうなのがわかりますねもう消去しようかと考えたけれどこの番組を 何度も一時停止しながら家族4人で賑やかに作ったあの光景が思い出されて 出来ませんでした最近は この番組の簡単1人ごはん節約 時短レシピ など今までなら 即消去していたテーマに目が行くようになってしまいました変わってしまったなぁメニューも私も…
先日 こちら京都は 祇園祭でした35度を越える猛暑の中息子と私の両親が 見に行きました伝統的な行事を 息子に教え伝える両親には本当に感謝です話は変わりますが 私はその日の仕事帰りパパが通っていた美容院の前を通り懐かしく思い出しました近所にオープンしたこの美容院を私が見つけ当時は私たち夫婦で通っていたけれど私はその後 違う美容院へ行くようになりパパは 何十年もここに通い続けましたパパより少し上の美容師のおにいさんは(いつもチェックシャツ&茶髪なので凄く若く見えていたけれど 実は上だった)パパに経営の相談や 世間話をして随分仲良くなっていたようです私の2、3ヶ月に1度の美容院とは違って『えっもう行くの、そんなに長くないよ』と 家族皆がビックリするくらいパパは 毎月きっちりカットしていましたこの美容院にとって毎月通うお得意様であるパパは大人のカット料金より かなりお安くてシャンプーもしてもらって子供料金と言うぐらいのパパ価格でした予約をしなくても 電話一本で 『今 空いてるから 行ってくる』と 簡単なものでしたお正月前だから切ってくる…と いつものようにカットに行きそれがパパの最後の美容院だったね毎月通っていたパパが急に来なくなるとおにいさんもきっと心配しているだろうなぁと 2年以上ずっと気になっていました…と言って 昔この美容院に通っていた私がわざわざ挨拶に行くのも嫌だったのでパパの名前入りのポイントカードを持って息子にお願いして カットに行ってもらいましたおにいさんは とてもびっくりされて言葉を失われたようだったけれど息子が留学に行く事をパパは 嬉しそうに話していたよとあの時の様子を 涙ぐみながら息子に話してくれたそうですパパと 頭の形や生え方が似ている息子が益々パパそっくりになって帰って来た時には涙が出そうになりました息子にもパパ価格で切ってくれたおにいさん本当に感謝です長い間 パパがお世話になりました
この三連休は なぜかずっと沈んでいた天気が悪いからだけではなさそうだ楽しかった後は いつもこうなってしまう携帯で 本日の歩数を見てしまい 余計に沈んでしまった68歩買い物も 前日に済ませていたのでどこにも出かけず携帯をテーブルの上に置いたまま家の気になる箇所をちょこちょこと掃除しただけ…パパが居てくれたら 休み中の68歩なんて考えられないよ💦そう思いながら 顔を上げると 笑っているパパの写真と目が合い 子供たちの居ないリビングで久しぶりに大泣き声を上げながら泣いているとパパが亡くなった瞬間のあのICUの病室を思い出してしまった…人は本当に悲しい時 こんなに大声を出し 人目も気にならないほど泣いてしまうのか…と初めて知ったあの時今回は あの時のような 心までえぐられるような涙じゃないけれどね時々 こうやって涙と共に私の中の小さなゴミを流そうそして また一歩前へと進もう私は この先どのくらいこの繰り返しをするのだろうか両手を広げて待っていてくれるパパといつ出会えるのだろうかそんな事を考えた海の日でした
暑い日が続きますねこの時期 パパがいる頃は 色々な種類を買っていた 『ほろよい』お風呂上がりのパパは グラスに氷を入れて『どれにする』って声を掛けてくれた順調に仕事が進んでいるんだなと思いながら おつまみを出す私1缶のほろよいを半分ずつしながら 仕事話や笑える話を色々としてくれたパパあの時間 とても楽しかったなぁ仕事に余裕が無かったり心身共に疲れているとこんな ほろよいタイムは出来ないからねパパが亡くなってから我が家の冷蔵庫に無かったほろよい…スーパーの広告の品に目が留まり久しぶりに買ってみましたあの頃と変わらないデザイン変わった事は…グラスが1つになった事1人寂しく用意しなければならない事寝る前の私には 1缶が多すぎる事パパの話も聞けず おつまみも用意せず黙々と飲み続けるようになった事全然 ほろよいタイムじゃないよ パパ当たり前のような あの幸せ時間 もう一度 戻りたいなぁ
これから忙しくなる子供達と海外旅行なんて行けなくなるねと旅してきましたまたまたチェジュ島(済州島)です前回は 息子と2人旅でしたが今回は 娘も休みを合わせて3人で行きました『息子と2人で初の済州島へ』今日は 旅行記録を…先月息子が 大学の秋休みに旅行に行こうと 言い出した『行き先や日程は 任せるよ近場で お安くお願いしま〜す』と軽く応えただけなのにもう次の…ameblo.jpなぜ またここなのかと言うと息子がバイトしている系列ホテルにお安く泊まれるからです息子のホテルバイトも あと少しなので この美味しいホテル利用も最後です4日間の旅は とても充実前回同様 フェリーで牛島に渡り娘にも食べて欲しくて再びやって来た海鮮クリームパスタやピーナツアイスを食べあまりの美味しさに娘も感動してくれました遠浅の綺麗な海にも入り 気持ち良かったホテル近くの有名な黒豚を食べたり強風の中 ホテルのインフィニティプールで子供たちは ガッツリ泳いだり神聖な場所と言う意味の『サリョニの森』杉並木が続く 涼しい遊歩道を散歩したり木のベッドでお昼寝したり 心も体も 軽くなりましたホテルでは前回のコンシェルジュの方が今回もおられオススメの場所や料理を 息子が英語で聞き(娘も少し英語が話せるので)子供たちが 地図を広げて相槌を打つ横で私1人でしたパパと私の今までの海外旅行はジェスチャーと 知ってる単語を並べるのとGoogle翻訳こんなに 逞しくなった子供たちをパパにも見て欲しかったなぁ子供たちが 私と付き合ってくれる時間もあと少し…パパと毎年行っていた海外旅行なんてもう行けないと思っていたけれど 子供たちのおかげで 再び外に目を向ける事が出来たなぁ…と感謝しながら旅してきました空港では 自動チェックインシステムで自由に席を取ったり現地ではWi-Fiを繋ぐeSIMを携帯に登録したり知らない事ばかり気がつけば 全てやってくれていた息子… 付いていけなくなる自分にショックですさぁ 少し早い夏休みが終わりました充電出来たので この夏を乗り切るぞー
この時期になりました『聖子ちゃんライブ』今日は 松田聖子さん、聖子ちゃんのライブに行ってきたこの前は 娘が私を連れ出してくれてゆずのライブに行ってきたので今回は 私が娘を誘ったら『歌 知らないし…ameblo.jp『今年も聖子ちゃんライブのソロ活しました』今年も聖子ちゃんライブのソロ活をしましたちょうど1年前のブログです『聖子ちゃんライブ』今日は 松田聖子さん、聖子ちゃんのライブに行ってきたこの前は 娘…ameblo.jp12月末に 娘の沙也加ちゃんが亡くなられた時我が家のパパは 何事もなく元気でした紅白歌合戦が決まっている聖子ちゃんは 歌えるのかなぁと 心配までしていたパパ…そんなパパ 数日後に突然亡くなるなんてね…同じ時期に辛い思いをした聖子ちゃんが元気に歌われている姿を見る事で パワーが貰える そんな気がして パパが亡くなってから毎年 1人で行き始めた聖子ちゃんライブ今年で3度目になりました1年が本当に早く感じます妹が『今年も行くの』と声を掛けてくれて『もちろん行くよ』と言うとソロ活する予定だった私と一緒に 行ってくれましたライブ前には 1人では入れないような英国調の素敵なお店でケーキセットを頂きましたそして ライブ 楽しかった懐かしのメドレーを 一緒に歌い始めるとベストテンやヒットスタジオを思い出し昭和に戻れるあの不思議な感覚永遠のアイドルの聖子ちゃんの歌は忘れずに覚えているものですね62歳の聖子ちゃんこの春に中央大学法学部通信教育課程を卒業しましたと 言われた時には凄いの一言でしたそして久しぶりに聞いた 瑠璃色の地球🌏 心に響きました夜明けの来ない夜は無いさあなたがポツリ言う燈台の立つ岬で暗い海を見ていた悩んだ日もある 哀しみにくじけそうな時もあなたがそこにいたから生きて来られた朝陽が水平線から光の矢を放ち二人を包んでゆくの瑠璃色の地球また来年 聖子ちゃんに会える日まで 私も 生き生きと頑張らないと
20年ぶりに新紙幣が発行されましたねこの発表を 一緒に聞いていたパパ…まさか 本物を見る事が出来ないなんてあの時は 思ってもいなかったよ息子が 大学に行く途中の銀行で両替をしてくれて月命日のパパの仏壇に供えてくれましたきっと パパ 喜んでるね息子が留学中の現地のお友達が大学の休みを利用して 今 京都に遊びに来られています円安なので 気軽に来られるんでしょうね良いなぁ💕息子は その友達のリクエストを聞いてプランを立てていますが 必ず清水寺 伏見稲荷 宇治平等院 奈良の鹿🦌に餌やり…と言われるそうです別のグループの友達が来る度にいつも同じリクエストをされ何度もこのコースを案内している息子お疲れ様毎日42℃を越えるアリゾナですが 蒸し暑い京都の方が きついそうですその内の1人で ご自宅の庭で何度かバーベキュー🍗をしていただいたりと とてもお世話になった裕福な1人息子のお友達👦お母様の言う事は絶対のようで必ず どこへ行くのにも マミーに聞いてからと言うそうですそのマミーは 必ず移動は車🖐️電車=怖い人が乗っていると言う考えででは 乗ってはいけなかったそうですがそのお友達 人生初 での初電車🚃綺麗で安全で親切で 感動したそうです良かったねマミーにもその事伝えてね息子がその話を 私にしてくれた時に色々と自由に出来なくて 可哀想だなぁとポツリと言いましたこの他にもマミーの制限が色々とある様です元気だったパパが突然亡くなって我が家の考えは 大きく変わりました子供たちと よく言うようになったのは一度の人生 やりたい事を悔いなくやろう生きてさえすれば 少々の問題なんて平気若い子供達の口からこんな言葉が出るなんて可哀想で 申し訳ない気もしますパパは 迷うならやってみようという性格私は その横で石橋を叩いてしまいこのマミーに少し似た性格だった気がしますそれが今の私 パパの性格になりましたパパが死をもって その事を私達家族に教えてくれたんだ…と仏壇前に座って パパの写真と向き合い改めて感じた月命日となりましたパパ ずっと私たちを見守っていてね
今年も 半年が過ぎ 折り返しましたね昨年も書いていました『1年の折り返しですね 水無月を食べました』私の住んでいる地域では 1年の折り返しの6月30日になると1月から6月までの半年間の罪や穢れ(けがれ)を祓い(はらい)残り半年の無病息災を祈願する「夏越の祓(…ameblo.jp私の住んでいる地域では 1年の折り返しの6月30日になると1月から6月までの半年間の罪や穢れ(けがれ)を祓い(はらい)残り半年の無病息災を祈願する「夏越の祓(なごしのはらえ)」が各地の神社で行われますそして無病息災を願って食べるのが「水無月」です三角のかたちは 暑気を払う氷を模していて小豆の赤色は 邪気払いの意味がこめられているそうです (昨年のブログより)ブロ友のhさんから 今年も食べましたか?と質問をいただき覚えていて下さったんだと嬉しくなりましたはい今年も食べましたよ毎年 車を走らせ 宇治平等院そばのこちらまで 買いに行きます蒸し暑い日でしたが着物を着た外国の方で 凄かったです色々なお味が有るけれど 我が家はいつも抹茶水無月パパにも御供えをして いただきました今年の後半も ブロ友さん そして 我が家も心穏やかで元気に過ごせますように🍀
以前 会社の検診で引っかかって以来1年に1度 甲状腺の定期検診に通っています地元では大きいこの病院は 私が生まれたところ そしてパパが救急車で運ばれて亡くなったところ以前も 検診での辛かった話をブログに買いていましたね『思い出したくない つらい病院…』今日は 私の甲状腺の定期検診1年毎に 通っているその病院は 私が産まれた病院その病院は パパが息を引き取った病院つまり…2人の生死の場所は同じ悲しくも 日…ameblo.jp家から離れたこの病院に向かう時から 気分が悪くなり始めましたが意識せず 深呼吸して運転しました待合室でも 診察中も 会計の時もずっとムカムカ救急車の専用入口ICU 病院内のローソンショックでダウンしてしまった私が点滴を受ける為 息子が押してくれた車椅子葬儀場に電話をした病院の廊下の隅全て終わってからの夜間会計窓口死亡届が発行された窓口寝台車が到着した裏口病院の色々な場所が目に入るのを閉ざしながら床だけを見て歩き 乗り切りました会計も無事に終わり さぁ 後は駐車場へ向かって帰るだけ…と思った瞬間 我慢していたムカムカがピークに慌てて もう一度院内に戻り トイレに駆け込みましたこれで スッキリして運転出来ると思ったらまだムカムカこんな所で ダウンしてはいけない迎えに来てくれるパパも居ない…気持ちひとつで 乗り越えようとトイレの鏡に映る青ざめた自分に喝を入れて駐車場に向かいましたこの帰り道の事は 記憶にありませんとにかくパパが待つ家に無事に帰らなければ…それだけを思って 両手で必死にハンドルを握って運転しましたやっと家に近づいたと思った瞬間ムカムカが またピークにどこかお店の駐車場に停める余裕も無く目についたビニール袋を片手で受けながら運転しました人生で初です運転&ゲロゲロ本当に 気合いで乗り越えました周りから見たら 不思議な光景ですよね顔は下 そして視線だけは前に冷静な今 自分でも笑ってしまいます無事に家に帰り笑っているパパの仏壇の前で大泣きしてしまいましたどうして私 病院に行くだけなのに毎年こんなに辛い思いと戦っているのだろう私 何か悪い事をしたでしょうか?心穏やかに過ごし 楽しい旅行などでパワーチャージをしている生活だけれど体も心も 一気に底辺まで落ちた時 こんな事を考えてしまいますいつも来年の定期検診の日を予約して帰ります来年の 6月は今回よりも落ち着いてると良いなぁ
夜 お風呂も終わり 何も考えず 1人静かにテレビを見ていたら玄関の鍵が開く音『ガチャ』私 何を思ったのか『あっ パパだ〜』と 思いましたもう帰ってくるはず無いのにね帰って来たのはバイト終わりの息子でした結婚してから 毎晩帰りが遅かったパパは最寄駅に着くと 昔はワン切りそして最近はLINEで知らせてくれてたねそこから徒歩8分🚶魚を焼いたり お味噌汁を温め直すのにはちょうど良い時間でしたパパは 玄関の鍵を自分で開けて少し伸ばし口調で『ただぁいま〜』とリビングに入って来て部屋の匂いで『あっ今日は〇〇〇〇や』とキッチンに立っている私の横でメニューを当ててから嬉しそうに洗面所へ22年間のパパとの結婚生活…ふとした瞬間に 幸せだったあの時の様子が思い出されるね
前回 娘との箱根旅行の話を書きましたがその中での事です『娘と2人で 横浜&箱根旅行へ』娘の休みを利用して2泊3日 横浜&箱根の女子旅をして来ました息子は お留守番今までなら パパとお留守番宜しくねと心配する事なく行ってたなぁとあの頃を思い出しま…ameblo.jp行かれた方はご存知だと思いますが大涌谷には地熱と火山ガスの化学反応を利用した人気の「黒たまご」が売られています賞味期限2日と書かれていたのでお留守番の息子に 買って帰りました家に帰り 袋を開けると4個入りパパがいてくれたら 1人1個ずつ 旅行話をしながら4人で食べてたんだろうなぁそして袋を見ると『1つで7年延命長寿』と書かれていましたそっかパパがこれを食べていたら60歳までのパパを見る事が出来たんだと想像してしまい 急に悲しくなりましたきっと この文字を見た子供たちも1つだけ余った黒たまごを目にして私と同じ事を考えているだろうなぁと思い『パパが これを食べていたらなぁ』と明るい私を演じましたそんな単純な話じゃ無いけどねさぁ沈まないで また一歩ずつ前へ🐢ちなみに 残りの1個は私が食べたので14年延命長寿かなぁ
娘の休みを利用して2泊3日 横浜&箱根の女子旅をして来ました息子は お留守番今までなら パパとお留守番宜しくねと心配する事なく行ってたなぁとあの頃を思い出しました1日目は 中華街の食べ歩き 山下公園 赤れんが ハンマーヘッド 横浜スタジアム海の見える公園など21,000歩も歩きました途中 疲れたので2人で足裏マッサージでリフレッシュしたり 中華街の占いなどまさに女子旅今回 ここで気づいた事…それは 昔みたいに占いでときめかない私になっていましたこれからの自分の事で 何を聞きたいかも 何を望むのかも全く浮かばなかったのです望むのは 子供達の健康と幸せだけパパがいなくなってつまらない私になってしまったなぁなので 娘が見てもらっている間私はどこかでブラブラしていようと思ったら娘が『一緒に聞いて〜』と言ってくれたので『えっ 聞いても良いの』と 言いながら三者面談のように並んで 聞きました若いって良いなぁ〜これからの出会い 結婚 仕事ワクワクだよね私まで 若い頃に戻ったような気分になり娘のこれからが 楽しみになりましたちなみに娘は 職場恋愛で 私とパパが納得するような人と結婚するみたいです(その日が来たら 今日のこのブログを読み直して 確認しよう)結婚後も仕事も続けるそうですよ2日目は 横浜から小田原へ 今回の旅の目的箱根芦ノ湖のホテル『はなをり』に泊まる事以前 娘が友達と泊まって 凄く良かったから 一緒に行こうと私を誘ってくれました一品ずつ こだわったお料理とインフィニティテラスの円形状のソファに座りながらの芦ノ湖の景色が 最高でした急な坂をスイッチバックしながら紫陽花が咲く中を走る箱根登山鉄道🚞無人駅で趣きあるケーブルカー🚠硫黄の匂いがしてくるロープウェイ🚡大きな海賊船⛵️自然を感じながら ホテルまでの箱根を楽しみました3日目は 朝から再び海賊船⛵️に乗り昨日は曇って見えなかった箱根神社の鳥居や富士山🗻を見る事が出来ました強羅公園 鈴廣の蒲鉾ショップ 小田原城にも行きましたたっぷり充電出来た3日間でした家に帰ってきて 娘に『連れて行ってくれてありがとうね』と自然に言葉が出て来た私…前までは こんな風に思わなかったのにね
認知症の半数以上の人が 便秘症である…と テレビの特集を見てそれ以来 ずっと気になっていた体の内側会社の仲間たちに聞くと便秘なんて昔からだから全然気にしてないいつ出たかも覚えてないと 私より かなり凄い仲間が何人もボディやフェイシャルエステなどの外見も気になるけれど 今の私は こちらが優先パパ早く迎えに来てね〜と思いながらも もし長生きしたとして 子供達に迷惑をかけるのは 嫌だからね色々調べると 有名な腸セラピーさんのサロンを近くで見つけ ドキドキする中 初めて行って来ましたベッドの上で 顔も全てタオルで隠す中お腹だけを出すなんて 初めてでした背中も需要だそうで 背中 そして お腹の順でのマッサージ今 痛みや異常が無くても美と健康のカギは腸にあり『第二の脳』と言われるほど健康状態に大きな影響を及ぼすと知りました腸とは 大腸と思っていましたが 小腸も大きな関係があるんですねほんと凄いです‼️おへそ周りを 少しの力を加えて撫でたり軽く叩いたりして今の私の状態を丁寧に説明してくれました大腸のむくみと 小腸の冷え 肋骨の開き 少し下がり気味の小腸と大腸を指摘されましたそれと 胃の奥がすごく硬いそうで これはかなりのストレスだそう何か思い当たる事はと聞かれましたが初回から 死別話なんてすると大変な雰囲気になってしまうので色々と有りまして…と笑って応えました腸を整えることで心身ともに元気になればと思います皆さんの腸は 元気ですか何か腸に良い事が有れば教えて下さい
父からの 個人ライン普段は 家族のグループラインで話すのに 突然来る個人ラインには 何何とビックリしてしまいます就活の東京面接後 そのまま1人で初めての東北旅行に行った息子↓『東京最終面接&東北旅行の息子』就活中の息子 無事内定をいただき行く会社は決めたけれど 日程が決まっていた他の会社の最終面接だけは実力を試すためにも 受けたいそうで東京本社まで行きました(既…ameblo.jp息子は この旅の前東北に何度も行った事がある私の父から色々とアドバイスを貰っていたようで旅行中にも 仙台到着 今 瑞巌寺観光松島遊覧船中三陸鉄道宮古〜久慈乗車🚃レンタサイクルであまちゃんの海岸走行中世界遺産三内丸山遺跡到着ねぶたミュージアムでお囃子と太鼓体験中🥁熱々の王林アップルパイ美味しい🍎弘前城到着🏯 などこまめに 一言と写真や動画を送って懐かしがっている私の両親を喜ばせてくれましたそして今回父から私への突然の個人ラインの内容は『今日 仙台の◯◯から(←息子の名前)電話が有ったよ』と 私への報告でしたそして その後に続く内容が『〇〇も 強くなったよ』と安心している父の言葉…と 言うのはお正月パパが突然倒れ それを知った息子が家から靴も履かずにパパの元へ走り 救急車が来るまで 寒い道の真ん中で 声を掛けながら人工呼吸をし続けたあの時から パパが亡くなるまでの3日間 私と娘は ずっと大泣きだったのに 人前では絶対 涙を見せなかった息子…それを心配した私の父が ICU前の廊下の隅に息子を連れて行き 『今 ここで泣きたいだけ泣いて良いよ』と言う父の言葉で 廊下中に響き渡るような息子の泣き声が聞こえて来たあの日以来…私の父は パパ代わりになっていつも息子の支えになってくれています今回 しみじみと息子の強さを感じたようで個人宛でラインを送ってくれました私が『悲しい事が有ったけれど真っ直ぐに育ってくれていて良かった💕』と返事をすると父からは『パパが 陰ながら守ってくれてるよ』と返事が来ました叫ぶように泣いていたあの息子が塞ぎ込む事なく 元気で活動的に そして色々な方とコミュニケーションを取りながら旅を楽しみのびのびと育ってくれていると思うと パパへの感謝と 久しぶりに嬉し涙が溢れてきましたパパ いつも見守ってくれてありがとう
就活中の息子 無事内定をいただき行く会社は決めたけれど 日程が決まっていた他の会社の最終面接だけは実力を試すためにも 受けたいそうで東京本社まで行きました(既に内定を貰っている事は この会社に報告済だそうです)電車好きな息子は 新幹線🚅に乗れると嬉しそうそう言えば 息子が小さい頃 パパと2人 京都駅の入場券切符を買い 色々な電車を何時間もホームで見ていたね電車前で嬉しそうにピースする写真ばかり初めての江ノ電の中でも 座らずに江ノ電のプラレールで遊んでいた懐かしい写真息子は 時間があるこの機会に 面接後学割を使って 初めての東北新幹線に乗って東北旅行してくると言い出しましたほんと 相変わらず活動的な息子です面接後直ぐ 家にスーツ👔靴👞カバン🧳を東京土産と共に宅急便で送って来ました留学中は国外には出てはいけない決まりだったので数千円の国内線を電車感覚のように乗りニューヨーク🗽ワシントン サンフランシスコアメリカ側からのナイアガラの滝 ディズニーランド ユニバーサルスタジオ 色々なメジャー⚾️球場 デンバーへのスキー⛷️など色々な場所に行き 写真を送ってくれて 私たち家族を楽しませてくれましたそして今回も お台場に新しく出来たイマーシブ・フォート東京を体験したり松島や東北の三陸海岸の風景各地方の美味しそうな写真を送ってくれて(実は東北には一度も行った事がない私)私も行った気分になりました岩手では 本数が少ないバスの時間が迫る中食べる計画をしていたじゃじゃ麺を注文し 時間を気にしながら待っていたら(麺の茹で時間が15分もかかり 予想外だったそうです)仲良くなったお隣の席のおばさんが お金を払っとくから早く食べてバスへと息子の勘定伝票を持ちながら行ってらっしゃい👋と親切にしてくれたり観光案内所でお薦めしてもらった寿司屋でカウンターに座り ご高齢の大将と京都からの 一人旅話をしていると岩手のオススメ料理を色々と出してくれてこれが人生で1番美味しかったそうですたくさん食べたのに 3000円だったそうで サービスして下さったのでしょうね大谷選手の出身である岩手は 親切な人が多いよと この大将がおっしゃってたそうです青森では地元の🐯選手が小さい頃からよく通うお店に偶然入り 写真も飾ってあったそうです温かい人達と触れ合えた良い旅となり充実した顔で 無事帰って来ました子供達には 色々な経験をして欲しいですね(そうそう今回のメインの最終面接の結果ですが面接翌日に 内定の電話が有ったそうです)息子は とても気に入った東北に(特に この岩手のお寿司屋さんに)今度は皆で行こうと言ってくれましたが…パパが退職したら2人で日数をかけて ゆっくり行こうねと話していたなぁと思い出しました
誰も居ない休日 すごく良い天気大きな声で『パパ どこか行こっか』と楽しかったあの頃のように 言ってみた…もちろん返事も無く シーンとした我が家仏壇のパパの写真は 笑ったまま特に買う物がなくても近くのスーパーや ショッピングセンターコストコなど ふらっと行って休日を過ごしたあの頃何気ないあの時間 今思うと幸せだったなぁパパはなくてはならない 空気みたいだったねそんな空気のようなパパがいなくなってから私 呼吸出来てるかなぁとても浅くなっている気がします意識して 深呼吸しないとね外は晴れてるのに 今日の私の心はなぜか曇っているこんな日もあるよね無理して頑張らず 沖縄の海で シュノーケリング🤿をして波に身を任せて浮かんでいたあの時のように時に任せてゆっくり行こう うん そうしよう👍 ねぇパパ綺麗だったなぁ
パパは 亡くなる3ヶ月前まで3年間の単身赴任をしていましたこれが無ければ ストレスも無く くも膜下出血なんかにならなかったのかなぁなんて思ったりする時が有ります月命日の今日 少し振り返らせてもらいます約5ヶ月後の新店舗オープンが決まり そのトップとしてパパが選ばれ内示が出ました 不安と期待の中 建設予定の更地の時から 完成するまで 自分の家のように 近い距離でも無いのに休みの日に 足を運んでいました完成するまでの準備期間は 取引先挨拶やオープン宣伝で大変でした会社が用意してくれたマンションに引越もしてパパの単身赴任生活が始まりました生活用品を一式揃えたり中古の車を慌てて買ったりと思わぬ出費にも大変でした50歳になり ゆっくり過ごせるはずだったのに私たち家族はかなりショックでしたが皆で頑張るパパを応援しようと決めました📣私達が別荘と名付けたパパのマンションに連休になると泊まりに行き 皆で布団を敷き楽しい時を過ごしましたついにオープンの日程が決まった時パパからお願いされた事が1つ有りましたそれは オープン当日の朝 始まる前に会社の仲間たちに 私からと言う事でお茶菓子を差し入れして欲しいとの事🙏大変な中でも気配りが出来るパパだなぁと 感心したのを覚えていますパパからのお願いなんて 大変なパパと比べれば簡単な事京都の和菓子をたくさん買い オープン当日に遅れてはいけないと前日からパパのマンションに泊まりに行きましたそして 快晴のオープン当日 朝 部屋でスーツを着ながら 何度もスピーチ練習をするパパを見ているとこちらまで緊張感が伝わり ドキドキ風呂敷で包んだ差し入れを両手に持って新店舗に行くと 既にテレビ局や新聞社など報道の方が 1番前に三脚を置いて陣取られ なんとその中に パパのご両親が普段 畑仕事服 農協帽子🧢のご両親からは 想像出来ないスーツ姿…市長 町長 パパの会社の社長 そしてパパ4人が白い手袋をはめて テープカットの時には ご両親は大泣き息子の晴れ姿 嬉しかったんでしょうねこの日を迎えるまで 大変なパパだったけれどご両親の涙を見た時には パパ 親孝行出来たねと素直に喜べて私ももらい泣きをしましたパパへの取材が その日の関西のNHKで流れこの映像は今でも保存しています当時は嬉しくて何度も再生して見ていたのにパパが亡くなって以来 一度も見ていませんパパの横でテープカットをしていた社長さんが 葬儀の時 私の所へわざわざ来てパパの3年間の苦労と頑張り そして御礼を言って下さいましたパパの人生のこの3年間は 大変だったけれどこれがパパの運命だったんだねと思うようになりました私も子供達も パパのように 何事にも一生懸命で 充実した毎日を過ごさないといけないねパパ お疲れ様でしたこの単身赴任の内示が出たのが6月の今頃だったのを思い出して 月命日の今日 書いてみました長々と読んで下さりありがとうございました😊
パパと私の大きなベッド…パパが突然亡くなり 枕だけの左側を見ては毎晩泣いていたあの頃でしたがこの2年で ぽっかり空いた左側を見ても泣く事は なくなりました2年前もベッドの事を書いていましたね『私たちのベッド』私たちのベッドは結婚の時に購入した1つのフレームに シングルサイズのマットを2枚並べるデザインこのベッドを選び 失敗したことは喧嘩をしても イビキが大き…ameblo.jp昨日の眠れない夜パパが寝ていた左側で寝てみようと移動してみました寝た瞬間 ビックリパパのマットレス沈まない硬い調べてみるとこのクィーンサイズのベットを購入したのはパパが亡くなるちょうど2ヶ月前パパがこれを選んだんだよね2ヶ月間しか寝てなかったんだね パパきっと ほぼ新品の25㎝マットなんだねこの2年で 私のマットレスは涙を含み心と同様 随分沈んでしまったんだ と改めて感じましたパパのベットから見る景色は私と少ししか変わらない場所なのにカーテンの近さ 天井の電気の位置朝の光の入り方 テレビの遠さ 全てが新鮮そして パパの場所から いつも私が寝ていた右側を見た瞬間涙がこんな感じで パパは私を見てくれてたんだ私が目を覚ました時 先に目覚めたパパが私をずっと眺めていた休日の朝あの時の パパの優しそうな顔が浮かんでしまいましたあの頃 こんな日常の小さな事には幸せを感じていなかったけれど本当に私 幸せだったんだねパパ ありがとう😊
息子は普段 料理の手伝いをしなければ包丁🔪も握りません 野菜などの切り方も適当です怖々と切っている姿を見ているこちらの方が緊張します男の子は こんな感じかなぁそんな息子が 月に1回か2回見ているだけでも怖そうなこの長い刺身包丁🔪だけは 堂々とした姿で切ってくれますそれは大好きな手巻き寿司が食べたいから昔から 我が家の人気No.1のメニューは家族で食べる手巻き寿司💕パパも この手巻き寿司の事は会社内の自己紹介ページにも書いていました『パパの好きな食べ物』パパの会社では定期的に社内本が発行されるその社内本に インタビュー的な自己紹介コーナーが有り 以前 パパも載っていたその中に 好きな食べ物・・とい…ameblo.jpパパと息子は 魚屋のおじちゃんに今日のオススメを聞いたりしながらいくつかのお刺身の策を買ってきて パパがこの刺身包丁で 綺麗に切っている様子を 息子はいつも側で見ていましたなので パパが居なくなった今この手巻き寿司の時だけは自分の仕事のように自ら切り始めてくれますその出来栄えの素晴らしい事私でも 使い慣れない刺身包丁でここまで上手に切る事は出来ません体を少し傾け 刺身に手を添え 包丁をねかせて斜めから手前に滑らせるように切っているその光景が パパそっくり見ているだけで 涙が出そうになりますお皿に配色を考えて綺麗に並べ 青紫蘇も添えドヤ顔の息子を見るのが最近の私の楽しみ喜んで食べる私と娘の顔をまるでパパのように 微笑んで見てくれますパパ代わりのような息子の姿をパパも喜んで見ているだろうなぁパパと一緒に食卓を囲んでいるような気がしてパパが居なくなっても 我が家の人気No.1メニューは 手巻き寿司⭐️です
パパと近くを通る度に 一度行ってみようと言いながら 結局一度も行けなかった 流れ橋日本最長級の木造橋で 全長356.5m 幅3.3m時代劇定番のロケ地として有名です最大の特徴は 川が増水すると流されてもかまわないという設計ちなみに今までで 24回流出増水時 水の抵抗を少なくするためワイヤーロープでつながれた橋板がいかだのように流され水が引くとワイヤーを手繰り寄せる時間短縮とコストを抑えて復元する仕組み月に一回 パパとコストコに行く時に平行して見えるのがこの流れ橋運転中のパパに 『パパ よそ見しないでね』と言いながら 私が流れ橋をチェックして『あっ 流されて橋が無くなってる』や 『人が渡っているから 大丈夫』と助手席の私が 毎回パパに報告するのがお決まりでした今までパパと 行こうと思った時には 流された後で 結局一度も行けませんでしたパパが亡くなってから コストコに行く時🚗1人では橋の様子が見れずパパが居てくれたらなぁと 毎回悲しく思い出していましたそんな時 昨年台風で流れた流れ橋が 9ヶ月ぶりに再開とニュースで見て1人で行くのも寂しいなぁと思い 子供たちを誘って 行って来ました初めて行った流れ橋はこちらです過去のドラマ撮影写真 お借りしました最近では るろうに剣心の撮影が行われたそうです橋板が流れるぐらいなので 簡単な作りかと思っていましたがしっかりした丸太作りで 🚲やも渡れましたよ欄干が無いので 端の方を歩くと 風が強かったこの日は 怖かったですパパと行くはずだったこの356mの橋をどんな会話をしながら往復していたのかなぁと考えながら歩きましたパパならきっと 冗談まじりで 私を押すマネをして怖がらせたんだろうなぁとても清々しい天気☀️ たくさん深呼吸し近場なのに旅行気分になりました