大好きな大好きなお母さんが

2017年6月25日 4時35分 享年46歳


天国へ旅立ちました。



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すごく長いです。



お母さんは、去年の5月に子宮頚がんが発覚して、

その時点では、すでにステージⅢbでした。


手術は、もうできない。


放射線も含めて、抗がん剤治療を

約1年間していました。


何度も入退院を繰り返して

大量出血したこともあったし

心臓がもたないと言われたこともありました。


抗がん剤の副作用や、たくさん痛い思いをして

苦しんでいたにもかかわらず、

腫瘍は、小さくならずに

抗がん剤の影響で、お母さんの体の機能を

どんどん破壊していく一方で

このまま抗がん剤を続けるなら

1ヶ月もたないと医師に言われ、今年の4月に

治療をストップしました。


それからはそこの病院に追い出されるように

退院させられて。

お母さんが一番悲しんでた。



その時、お母さんの病気が終末期だと書かれていて

症状的にもわかってはいたものの

目にすると苦しかった。


諦めたくなくて、兄とセカンドピニオンを

したりもしました。


高濃度ビタミン療法をしたり

ケトン食を勉強して、癌をなおすことは

諦めて、少しでも進行をおさえようと

希望を捨てないで、お母さんが少しでも

よくなることを信じてた。



みんなで集まってBBQして、

その時、自分で立つことも、歩くことも

できないほどの浮腫み。

トイレも1人でできない状況でした。


その次の日、

お腹の痛みがひどく、意識朦朧としていたので

救急車をよんで、病院へ。


腸閉塞、腹水、浮腫がひどく

腫瘍も赤ちゃんの頭ぐらいの大きさ。

子宮には、膿でいっぱいにもなってた。


若いから進行が早く

背中の骨に腫瘍が食い込んできて、

腰の骨は、溶けてきている状態でした。


しっかりCTも見ましたが

素人がみてもわかるぐらい、もう‥ってかんじた。


その時の余命は、11日〜18日。


余命と言う現実から逃げてきたけど

はじめて、医師からしっかり聞きました。

涙がとまらなかった。


徐々に自力で歩くことも、起き上がることも

できなくなって、痛みのコントロールを中心に

緩和ケア病棟に入院していたけど

自宅に帰りたいと言うお母さんの願いを

尊重して、自宅療養に切り替えて

美咲も自分の家に帰らず

お母さんのとこで住み込んでた。


二時間おきに、オムツ交換をしてあげたり

マッサージをしてあげたり。


毎日介護士さんや、看護婦さんたちが

きてくれるので色々お手伝いしてもらったり

たくさんお話をしていた1週間。


子育てしながら、家事して介護するって

すごく疲れもあり、いつ急変するのか、

もしかしたら自宅で‥

って言う恐怖や、不安に襲われながらも

お母さんとの時間を大事に大事にしてました。


でもまた、痛みがひどく、

もう運んだほうがいいと指示がでたので

救急車でまた運んで

また痛みのコントロールをしてもらったけど

かなりのモルヒネの量を使わないと

いけないぐらいの痛みや、苦しみがあり、

少しずつ、会話もできなくなって

目もあかなくなってきて、その時に

美咲と兄は、いったん家に帰って用意をしていたら

すぐに戻ってきてほしいと、連絡が入り、

かけつけたら、ずっと目も開けず、喋ることも

できていなかったのに、


大貴と美咲きたよ!って言うと

一生懸命、目をあけてゆっくりと


「大貴と美咲に会いたくてずっとずっと

待っててん。会いたかってん。」って。



美咲もお母さんに話したかった

「今までありがとう!

お母さんのことずっと大好きやで!

痛かったな、辛かったな、

お母さんすごいな、よく頑張ったね」


ってもう会話や、認識さえもできなくなるから

その時に泣きじゃくりながら

精一杯気持ちを伝えました。


どんな言葉をかけたのか正直

あまり覚えてないけど

お母さんが美咲に言うてくれた言葉は

しっかり覚えてます。


旦那には

「美咲な、ワガママやけど、めっちゃいい子

美咲のこと頼むわな。

ごめんな、ありがとう。」



それが美咲たちとの最後の会話。


そのあとは、美咲と兄とお母さんの彼氏が

付き添っていました。


美咲の顔を触りながら

苦しい、しんどい、楽になりたい

お願い、逝きたい、逝かせてほしいと‥

美咲や、兄にうったえてきて

それがなによりも辛かった。



もう十分頑張ってたから

もう眠らせてあげたいってはじめておもった。


それからは、眠っている時間が長くなって

声をかけると目はあけるけど

認識は、もうできていない。


病院に泊まったりもしていたけど

長男の学校もあるから面会時間ぎりぎりで

帰ってた。


続く‥。