みさ♪です。
本日もお越しいただき
ありがとうございます。








私は
毎日を一生懸命に
生きているほうだと思います。



本日の記事は
幸せに生きてきた方にとっては
イメージ湧かない話
エグイ内容になると思う。



先に進むか
ここで退室するかは
お好きに選んで下さいませ。












幼い頃に
自分は何の為に生まれてきたのか
何の為に生きているのかと
考えた記憶があります。



何で
こんな辛くて苦しい
何で
こんな環境のもとに生まれてきたのか?
何の為に?



例えば
自分自身に原因があって苦しむのは
仕方ない、当たり前。



けど、
自分にはどうする事も出来ない事が
起因して起こる苦しみ…
例えば
親が真面目に働かない。
お金が入ってこない…
貧乏な生活を強いられる。
子どもにはどうする事も出来ない。



親に依存しなければ生きていけない
幼い子どもにとって
自分の親達が馬鹿であると
非常に過酷な運命が待ち構えている。







本日、
久しぶりの休日に
以前から気になっていた映画を観た。



愛を乞うひと





久しぶりに声を出して泣きました。
おそらく私の魂が
ケリをつけたがっていたのかもしれない。



全く同じではないにせよ
私にも身に覚えのある話。
私はヒロインの気持ちが良く解る。



親というものは
子を守り慈しみ
育てていくものではないのか?



素手でやるとこたえるから
物で叩かねば。
…この台詞、私の母親も言っていたのを
私は決して忘れはしない。



幼いと
何故、この女(母親)は
私にこんな事をするのだろう…という
疑問なんか考える余地なんかない。



ただ、ただ、
過ぎ去るのを願うばかり
早く終わってくれと。



頭の中は
不思議な位、真っ白になるのだ。



虐待の結果、
私がびっこを引いて歩く様子を
心配した大人(私の友達の母)に対し
あの女(私の母親)は
得意気に笑いながら何かを言っていた。
どんな言葉だったかは覚えていない。
躾の為だとか生意気だからとか
その為にやっちゃったみたいな
愚かで馬鹿丸出しの内容を言ってたと思う。



何故
この映画を観る羽目になったんだろう。
導きとしか思えない。



お陰様で
声を出して泣けた事で
私の魂は
解放された部分があったように感じる。



ましてや
気持ちに整理、区切りがついたからこそ
こうやって文字に書けているのだ。



また少し強くなれた。



そう。
強くなれた。








私は
自分自身に負けたくない。



だからこそ
悲惨な環境下でも
真っ直ぐに明るいお日様のもと
正々堂々と生きてきた。



これからもそうだ。