まだまだ言い足りないーババのことー | MISAE日記

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三十路の日々の出来事をつづったブログです(*^_^*)

うちのババはその通り、父姉と性格がうりふたつ。


昔から大っ嫌いだった。


何かというと、【家族なんだから】と形だけの家族を押し付けられ、家族団欒を装ってきた。


近所では周知の事実だったと思うけど・・・。


孫よりも末息子の父を大事に大事にだ~いじにしてきたババ。


だから、ああいう息子になったのよ!




孫に対しては厳しかった。


厳しいというより、愛し方を知らなかったんだと思う。


例えば、修学旅行先で時間があったため、自宅へ電話をした。


ババがでた。


ふつうは『元気?』とか『楽しい?』とか聞くのが、まあ家族だろう。


ババは、


『あのな、どごで誰が見でっかわがらねんだから、悪いごとしねんだぞ!』


と、きたもんだ。


決定的だったのは、高校入試合格発表のとき。


そんな家だったから、一刻も早く家を出たかった。


小中学校にいい思い出もなかったし、家にはもっともっといい思い出なんかなかった。


だから、寮があるところ!という条件で、市外の、それも県庁所在地である、盛岡での高校受験を許してもらった。


ま、ほぼ事後承諾だったけど・・・。


自分で念入りに探し、たまたまその時、新しいシステムが加わって、NHKでも紹介されていた高校にぜひとも入りたいと、母の了承だけ得て入試に臨んだ。


受かるとは思ってなかった。


入りたいとは思っていたが、後期試験もあるさ!と軽い気持ちで受けた。


でも5.5倍の倍率を、なぜか合格した。


学校のレベルとしては、あまり自慢できる学校ではなかったのは事実だが、その当時、父姉の長女が盛岡の短大に行っていた。


きっと、色々調べたんだろう!


合格当日の朝、ババに言われた言葉。


『最低の学校に入りやがって!』


『おめでとう』でも、『良かったな』でもなく、言われた言葉は・・・。


1階から2階へ向かって、そう叫ばれた。


その言葉以来、ババを家族と思うことはやめた。




それでも、ジジに続き、半年もしないうちに父が亡くなった時は、さすがにババを大切にしたいと思った。


すっかり小さくなり、今にも消えそうで、あれやこれやと身の回りの面倒をみた。


今思えば、ババにとっては余計な御世話!だったのかもしれないが、しょんぼり小さくなっていたのは1週間だけ


その後は、『2人死んで、さらに自分が死ぬわけにいかない!』と勢いづいた。


それは、何といっても、また葬式代がかかるから!


あくまでも、金・金・金なのだ。



まだ続くかな?