うちのババはその通り、父姉と性格がうりふたつ。
昔から大っ嫌いだった。
何かというと、【家族なんだから】と形だけの家族を押し付けられ、家族団欒を装ってきた。
近所では周知の事実だったと思うけど・・・。
孫よりも末息子の父を大事に大事にだ~いじにしてきたババ。
だから、ああいう息子になったのよ!
孫に対しては厳しかった。
厳しいというより、愛し方を知らなかったんだと思う。
例えば、修学旅行先で時間があったため、自宅へ電話をした。
ババがでた。
ふつうは『元気?』とか『楽しい?』とか聞くのが、まあ家族だろう。
ババは、
『あのな、どごで誰が見でっかわがらねんだから、悪いごとしねんだぞ!』
と、きたもんだ。
決定的だったのは、高校入試合格発表のとき。
そんな家だったから、一刻も早く家を出たかった。
小中学校にいい思い出もなかったし、家にはもっともっといい思い出なんかなかった。
だから、寮があるところ!という条件で、市外の、それも県庁所在地である、盛岡での高校受験を許してもらった。
ま、ほぼ事後承諾だったけど・・・。
自分で念入りに探し、たまたまその時、新しいシステムが加わって、NHKでも紹介されていた高校にぜひとも入りたいと、母の了承だけ得て入試に臨んだ。
受かるとは思ってなかった。
入りたいとは思っていたが、後期試験もあるさ!と軽い気持ちで受けた。
でも5.5倍の倍率を、なぜか合格した。
学校のレベルとしては、あまり自慢できる学校ではなかったのは事実だが、その当時、父姉の長女が盛岡の短大に行っていた。
きっと、色々調べたんだろう!
合格当日の朝、ババに言われた言葉。
『最低の学校に入りやがって!』
『おめでとう』でも、『良かったな』でもなく、言われた言葉は・・・。
1階から2階へ向かって、そう叫ばれた。
その言葉以来、ババを家族と思うことはやめた。
それでも、ジジに続き、半年もしないうちに父が亡くなった時は、さすがにババを大切にしたいと思った。
すっかり小さくなり、今にも消えそうで、あれやこれやと身の回りの面倒をみた。
今思えば、ババにとっては余計な御世話!だったのかもしれないが、しょんぼり小さくなっていたのは1週間だけ
。
その後は、『2人死んで、さらに自分が死ぬわけにいかない!』と勢いづいた。
それは、何といっても、また葬式代がかかるから!
あくまでも、金・金・金なのだ。
まだ続くかな?