“司会”という言葉に惹かれたのは

日経ビジネス団体の方々と交流したかったからではありません。

カナダの地で、ただただ、人恋しくて、日本人のお友達が

欲しかっただけなんです・・。(ごめんなさい)

 

 

欧米ではとりわけ、ボランティアが盛んです。

当時の私は、語学学校で知り合った日本人の友達と二人で

とある日系団体が合同で主催するイベントに参加しました。

 

人生初めてのカーリング。

ワーキングホリデー期間中は、毎日が初めてづくしで

目に映るもの、出会う人、街並みが すべてキラキラしていて

 

まるで、ここは天国?

 

と、お得意の妄想をしながら

ぴょんぴょん飛び跳ねるように、自由気ままに

あちこちに顔を出しては、飛び回っていました。

 

イベント後の飲み会(打ち上げパーティーとでもいいましょうか)で

私の隣に座ったのは、関西出身の日本人女性でした。

 

関西人、しかも同年代、加えて大和撫子(ベッピンさん!)

ということで、直ぐに打ち解けました。

その席では確か、ビールを飲んだように記憶していますが

今思えばお酒の力を借りたという表現が正しいかも知れません。

 

「うちの団体でボランティアをすれば、無料で講演会にも参加できるし、お友達もできるし楽しいよ」

 

(と、その女性はもっと素敵な言葉で私たちを勧誘してくれたとは

思いますが、セリフは覚えたらすぐに忘れるタイプなので・・)

 

劇団へ入るきっかけもそうでしたが、私はもともと一人では何にも行動できない、内気な性格なんです。(ホントに)

 

誰かがいるから、誰かが勧めてくれたから、誰かとの

友だちの証として?飛び込んだ習い事もたくさんありました。

 

小学生の時なんて、私の持ち物を人質(モノ質?)にされ

この子の習い事が終わるまで外で待たされたり、

女子によくある、●●ちゃんとは遊んじゃダメ!

といったような脅しが、抜群に効果をもたらす女の子でした。 

 

 

ボランティア会議には、たくさんの若者が参加していました。

座る椅子がない時もあるくらい。

そこで私は、思い切って講演会の司会に立候補したんです。

 

前回のイベントの司会の女性があまりにキュートだったので

どうすれば、より進化したカタチで司会として貢献できるか?

という事だけに集中したかったのに、やはり役者魂が熱すぎる

あまり、当日を迎える前からすでに、舞台俳優なら一度は味う

であろう、何というか、あの一種の“快感”のような感覚を味わっていたのは、認めます(汗

 

吉田さんは、本当に素晴らしい人間でいらっしゃいました。

 

“気が狂ってるぅ思われても、汗水たらしてバスを一人で押し続けてみぃ。そうしたら、誰かが助けてくれて皆で動かせるんや。”

 

当時の欧米ではすでに有名な方でしたが、私にとっては

全く知らない男性だったので、余計な先入観もなく、

講演会前の会議で女性の参加者が私一人でも、

吉田さんと少しだけ、2人きりでお話しできる機会があった時も

臆することなく、自然体でいられたのは、後々の私にとって

大変貴重な体験になりました。

 

(吉田さんとの会話内容は今となってはうろ覚えですが、確か“夢の実現方法”について語って下さったような気がします)

 

 

 

 

 

皆さん、初めまして。 Misaと申します。

幼少の頃より、宝塚歌劇を観て育った一人の日本人女子が、

ハリウッド女優まで登りつめてしまうという、世にも奇妙な

現実ストーリーを、これからあなたにお届けしたいと思います。

(注 これは、愛する夫とその家族・そして娘・息子への遺言)

 

この世界は、想像すれば何でも現実になるという。

小さいころの記憶。そう聞かれば、それはもしかしたら

お母さんのお腹の中にいた時のことかも知れない・・

 

どこか狭いところに閉じ込められている。

何も見えないけど少しの灯りと温かく包まれている感触。

息ができているかどうかなんて気にならない程

心地よくて落ち着く場所

誰かが話す声が聞こえる

 

“ある”というのはどういう意味?

などという哲学的な疑問が、もの後頃をついた時からあった

 

幼稚園からの帰り道

小学校からの下校途中

足元を見て歩きながら地面との距離を確かめつつ

大きくなったらこの“距離”が変わっていくのかなぁと

ぼんやり考えながらいつも歩いていた。