みさの小劇場ウオッチ日記

公演期間 2013/01/30(水) ~ 2013/02/04(月)
会場 駅前劇場
脚演出 林灰二
料金 3,300円 ~ 3,800円
サイト http://www.oi-scale.com/index2_if.html


林灰二の本は文句なしに好きである。これは理屈ではない。感受性が合ってるのだと思う。劇団が公演に関して「多くの人に観て貰いたい」とよくPRしているのを見かけるが、そんな時代ではない。今や、劇団も観客を選ぶ時代だ。だから「多くの人」 ではなく、「どんな人に観てもらいたいか、どんな感覚の人に観てもらいたいか、自分の作品に共感できる人に観て貰いたいか」を模索するべきであろうと思う。


また、観客も自分の感覚の合わない劇団は観るべきではないと思う。そうしないと特殊な才能を持った劇作家が大衆の声によって潰れてしまう可能性だってありえるのだ。また観客によっては、「これはこうすべき」みたいな劇評を書かれる方もいるが、それをいちいち劇作家が矯正していたら、個性的な公演はなくなってしまうとも考える。


さて作品だが、15の構成によって作られている。観劇前にこれに目を通しておくと今回の物語の殆どがメイジ(林灰二)と盲導犬のチロル(成田沙織)を軸に走馬灯のように、彼の学生時代のころに戻って映し出されるのが理解できる。


メイジはバイクの交通事故にあって失明してしまう。事故にあったきっかけは、車に轢かれそうになった犬を助けるためであった。犬を助けた思いは彼の学生時代に遡る。メイジはかつて、同級生の女子・江崎(神嶌ありさ)の愛犬を川に流してしまったことがあった。この犬が死んだと思い込んだメイジは、その行為をずっと後悔していたのだった。


だから、今回の自分の失明の起因はこのときの罰だと考えていた。そうしてその頃、起こった、いじめっこの軽部(古山憲太郎)、いじめられっこの金房(ヒマラヤケン)とメイジのゆがんだ友情を、クジラ山、河川敷、猫公園、屋上、教室などの出来事で表現する。実はこのシーンが一番、キュン!と心に響いた。大人でもない、子供でもない、不安定な思春期の罪の出来事である。そして、この時期の罪の意識をメイジは大人になっても忘れることが出来なかったのである。


更に、大人になってから自殺した金房の思いも痛々しい。苛めた子供は誰かを苛めたことをすっかり忘れ、真っ当に教師になっていたり、あるいは不良だった子供が警察官になっていたりするのだ。この展開はこの世の不条理だとさえ感じた。ヒマラヤケンの苛められっこの演技があまりにも絶妙だった。いい役者だ。


一方でメイジの通院先の病院待合室での描写はコメディだった。蜥蜴やカツオの被り物が滑稽で、今回の物語はコメディなのかしら?と感じたほど。警察官は水鉄砲を下げてるし。笑)  かつて、いじめっこの軽部(古山憲太郎)が教師になって、今度は自分の生徒の苛めに気がつかない場面もあり、生徒の悲鳴もあり、生徒の万引きもあり・・・で、十年という時間軸を利用しながら色んなものがギュッと詰まった舞台だったと思う。


ライトに照らされた向こう側で影のメイジが軽部を刺すシーンはとりかえしのつかない絶対的な儚さに対する抵抗なのか? 物語はメイジの心に蓄積された様々な思いを映し出したものだった。いい舞台を観たと心から思う。