写真で見た世界 in韓国

写真で見た世界 in韓国

在韓日記
在韓23年目。
殺伐と整理のつかない日常や感情を写真で残します。
2018年黄金の戌年に息子が生まれ育児日記になりつつあります。
NIKON D850/NIKON FM2/MAMIYA PRISMAT NP


風景写真が好きです。建造物 夜景 照明のような人工物にはあまり興味がありません。自然と動物が好きです。
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高熱により痙攣をするという話は周りのママからも

よく聞いていたが、今回息子が初めて痙攣をおこし、

一度起こした子は繰り返す可能性があるとのことで

メモを残す。

 

5月28日

5:00 隣で寝ている息子がなんとなく熱いなと感じる。熱を測る。38度5分

    解熱剤(맥시브펜6cc)

6:00 水を飲むが吐く

8:00 朝食適量

    37度6分

10:00 小児科外来 地下駐車場で吐く

    38度8分

10:30 小児科を出る際水を飲みたがり飲ませる。家に帰る途中車の中で吐く

11:00 抱っこしながら眠りにつく

13:00 小児科でもらった薬を飲ませる 38.8度

13:30 ぬるま湯につけたタオルで体をふいているときに痙攣をおこす

     黒目が上を向き ワワワワワワガクガクガクといったイメージで

     手は肩の上にのせるようにこわばる。足も突っ張る。1分以内)

     痙攣中に唇が真っ青になったがすぐに赤みを取りもどす。

コロナ禍で救急を自分で見つけるよりも119を呼ぶ方がいいと思い急いで119

小児科でもらった処方箋と薬、もしものためのタオルとおむつ、ウエットティッシュだけを

リュックにつっこんで救急車を待つ。

13:45分ごろ 救急車到着

救急車の中で上記の症状説明

・心電図・血圧・酸素(救急車の中で)

14:00 病院到着(救急車、応急受付、治療すべて同じ説明を繰り返さなければならないのがもどかしかった)

 

・脱水防止のために点滴

・血液検査とレントゲン

・解熱剤

・医師からの説明(初めての痙攣なので救急車を呼んだのはよかったと言われた。6時間以内にまた痙攣をする

可能性があるので6時間経過を見て大丈夫なら帰宅してもいいとのこと。)

 

最初の2時間くらいは泥のように眠っていたが、そのご気力が回復してからは

点滴台を自分でひっぱりながらあちこち歩きまわる。

コンビニで水やゼリー、ラムネを買って食べる。

しかしこの間解熱剤を飲んでも熱が8度5分前後で動かず。

 

20:00 解熱剤7cc ようやく6時間が経過して退院

21:00 遅い夕飯。冷たい冷麺を刻んんでスープと大根のお漬物そこそこ食べる

22:00  小児科でもらった薬服用(粉の解熱剤含む)38.8度

 

5月29日

0:00 39度(解熱剤服用2時間後に熱が下がらければ飲ませる違う解熱剤멕시브펜をのませる)

2:00 38.8度

4:00 38.8度 멕시프펜 7cc

7:30 37.8度 ようやく7度台で落ち着く

9:00 37.8度 朝ごはんを食べて小児科でもらった薬服用 

11:30 外に出たがり旦那と散歩にでかける

13:30 37.3度 昼食そうめんを食べてアイスクリームを食べる。

14:00 小児科の薬服用 37.6度

15:00 おひるね

17:00 37.4度

18:00 お風呂

19:00 夕飯 ケチャップご飯 適量食べる 37.3度

21:00 就寝 小児科の薬服用 37.2度  

 

5月30日

6:00 36.8度

オリニチプ登園。

 

針を刺したり、大きな機械でレントゲンをとったり

はじめての怖いことばかりで息子は私に張り付いたままで

離れなくなってしまい熱が下がってからも私の体力がやられた。

週末を選んで熱を出してくれたので孝行息子と呼びたい。

 

その後自分では意識がなくて乗ったことがわからない

大好きな救急車にまた乗りたいと言われて心が痛かった。

 

共働きでそれなりに一緒の時間を作れていると思っていたが

抱っこもぎゅーもいつも私都合で終わりにさせなければならず

なんだかんだで3歳のちっちゃい心と体で

無理をさせていたのかもと思うとやりきれない。

 

 

 

 

最近爆発的にではないが

息子の表現が広がっている。

 

私の継承語スタンスは

いまの暮らしの環境や家族関係、居場所、職場、

家族のサポートなど総合的にみると息子は

おそらく韓国人として韓国で生きていく可能性が

大きいので韓国語をまずは第1言語になるように

という姿勢は崩さないで行こうと思っている。

なので日本語は話してほしいが

私の自己満足や欲求でさせることは

日常会話くらいだと思う。

まずは日本語よりも生きていくうえで

大切な命を守る言葉とか

살려줘, 하지마, 만지지마, 도와줘, 싫어,

해주세요,

人の心に添えられるあいさつや感謝などの

表現を韓国の情緒に合うように

ただしく言えるようにしたい。

 

 

いずれ物心がついたときに

自分の気持ちに火がついて日本語をやろうと思い

始めるのであればその時には惜しみなく

サポートをするつもり。 

 

今もきれいな日本語を使ってほしいという

気持ちよりも日本人らしい自由な表現で

「ら抜き言葉」とか「省略語」など学校じゃ

あつかってくれない表現を操ってほしいので

日頃わざわざきれいな日本語は

使っていない気がする。

(きれいな日本語は中高でも「日本語」と

して勉強する機会ができるから)

 

しかし、最近気になることがある。

「(ます形+)な」の言葉をやたらに

息子が使うのだ。

 

「おか!だっこしな!」

「おか!ちょっとてつだいな!」

 

これまで「おか、これたべたい」「え?いいよ、たべな」

私は自分なりに「~たらどう?~てもいいよ」のような

ニュアンスで使っていたが、やはり命令の意味が

あるだけに、息子に言われると「それちがうでしょ!」と

言わざるを得ない。

言葉の習得過程で

正しくニュアンスを表現しないと

こういうことになる難しさ。

私の言葉遣いすべてが息子に

吸収されるので我が振りを直さねば。

 

 

 

 

 

気が付いたら初めて韓国に来た

時から22年が過ぎていた。

4月で23年目に入る。

 

金大中政権

日本文化開放前

清渓川が高架道路だったころ

日韓ワールドカップ

テグ地下鉄放火事件

狂牛病ろうそくデモを見守り、

 

地下鉄も5号線までしかなかったころ。

世宗路にまだ世宗大王像がなかったころ。

ソウル駅がまだ現役のころ。

まだIMFの影響が色濃く残っていたころ。

 

 

私の20代はこんな環境だった。

 

廬武鉉

李明博

朴槿恵

文在寅

 

それからまた政権が変わる。

40代中盤。

 

私が知ってる韓国はもう過去のもの。

ひさびさソウルに行っても

違う国にいるような感覚だもの。

 

 

 

 

 

 

 

 

私の勤務校は全寮制なので

コロナに一回かかってしまうと蔓延間違いなし。

 

3月7日おそばせながら出勤したときは

教師の中で私しか感染していないので

肩身が狭かった。

 

しかし。その後栄養士の先生や

給食室の職員がかかってしまったりで

オンライン授業に切り替えられたりもしたのだが。

 

全員登校が始まって間もなく。

今。

もうクラスの3分の2がかかってしまったという

クラスもあって、感染止められない。

 

重くてもインフルエンザほどの

症状で終わるならかかってしまった方が

むしろこの不安から逃れられるかも。

みんなかかってるからな。みたいな。

 

去年までの得体のしれないウィルスに

恐れおののいていたデルタの時よりも

あきらかに防疫の明らかに違う

「あ~とうとう私もかぁ~」みたいなゆるさ。

 

学級閉鎖いざしかたなく

一つの学年のみがオンラインに

切り替わった。

これだけたくさんの学生がかかってしまって

中間テストとかどうするんだろうか。

 

 

 

3月の新学期に間に合わず、

やっと今週になって家族3人コロナ感染から

やっと隔離生活から解放されました。

 

 

2月23日ごろ息子のオリニチプの家族が

感染したというお知らせが来た。幸いその子は

陰性だったというお知らせ。

 

2月24日 

私が発熱と悪寒。生理初日からくる体調不良かと

思ったが熱があるので変だなと。

熱あは37,5度ほどなわりに言わしれない悪寒が。

解熱剤を飲んだらすぐに良くなったので風邪ひいたかな

と少し横になっていたらオリニチプから連絡。

コロナの自宅キットで先日は陰性だった例のお友達が

pcrしたら陽性になった。息子はそのこと数日

マスクを取って一緒にご飯を食べたので

すぐに自宅キットをしてほしいとのこと。

 

すぐ迎えに行って息子を押さえつけてキットで検査。

私もついでに検査。二人とも全くの陰性。

しかしだいぶたってからもう一度見直したら私のが

なーんとなくうっすーく陽性のところに線があるといえば

あるようなみたいなものが見えた。

なのでその足でpcr検査をしに行った。

(この時息子はキットでちゃんと陰性だったのでpcrせず)

 

 

2月25日

陽性の連絡。こんな新学期始まる直前にかかるなんて・・・

私の場合強烈なのどの痛みなどはなかったけれど

倦怠感とかやるきがでないのが半端なかった。

その日の夜息子が8度5分の熱が出た。

これはやばい?と思いきや解熱剤を飲むと

ケロッとしているので様子を見ることに。

 

2月26日

熱がやっぱり寝るときに8度を超えるのでこれは

もう確定でしょう?と思い旦那にお願いしてpcrに行かせる。

 

2月27日

旦那も息子も陽性。

旦那は無症状。息子は熱はもうなくケロッとしている。

 

 

結局一家そろってかかってしまったので

私は3月7日から初出勤(4日から出勤はできたが

保健の先生と相談して教育庁に問い合わせてもらって

出勤が7日になった)

 

旦那と息子は次の日から出勤登園。

 

1週間ぶりに外に出たら外は春の陽気で驚いた。

 

私の症状(ファイザーブースターは12月17日接種済み)

日に日に症状が変わって不思議だった。

さっきまでちょっとのどが痛いなとおもったら

今度は悪寒とか。だるさとかが無くなっては消え

という感じ。

*37.6度の熱(2日弱)

*じゃっかんののどの痛み

*嗅覚の衰え

*唾液腺炎(食べ物を食べるとすっぱいもの

食べたときにのように耳の下がツンとすしていたい。

ちなみにこれは今も続いていて薬を飲んでいる)

結局どこから移ったのかは迷宮入り。

私も人に会うこともなく自宅、近くのスーパー

息子の送り迎え、ごみ捨てくらいでしか

外に出ていない。

息子の陽性確認が遅れただけでオリニチプから

もらってきたのかもしれないけれど。

息子

2日間最高38.5度の熱。

熱が下がると普通に元気。

のども頭もいたくないそう。

 

旦那

若干ののどの痛み。

本人は痛いような「気がする」と

証言しており自分がコロナだから

なんだか具合が悪い「ようなきがする」可能性大