この感想を書くために今日立て続けに更新していた。
この映画は本当に言葉では言い尽くせないくらいすばらしい。
と同時に、私の愛する手塚治虫「火の鳥」にすでにこの着想があったということが誇らしい。
近未来のLA(なぜかハイウエストのパンツにシャツを入れるのが流行っている)。手紙代筆業に従事するセオドアはなにやらふさぎ込んでいる。自分はいったいこれからどうなるのだろうか……と思っていた時、新しいAIを搭載した、「あなたを理解します」というOSの広告に出会い、好奇心からインストールしてしまう。彼の目の前に現れたのは、知的でユーモアに富んだ女性、サマンサ(音声のみ)だった。
幼なじみ
の妻キャサリンとは別居中だが離婚届にサインする踏ん切りがつかず、友人から紹介された女性とデートを試みるもセックスを目の前に「ほかの人たちみたいにやり逃げしないわよね?」「わたしももうこの年だし焦ってるの」などと詰め寄られておどおどしていると「マジできもい」と逃げられてしまい、「ちょっとセックスすればこの心の穴が埋められるかとおもったんだけど…」とかうだうだ言ってるとなぜかサマンサといい感じになってテレフォン(?)セックスしてしまうセオドア。しかもめっちゃよかったらしい。
で、サマンサに本気になり、キャサリンと離婚を決意するも女々しく「会ってけりをつける」とか言ったばかりかキャサリンに「今OSと付き合ってる」と言ってしまう。自分の気持ちと向き合ってくれなくて関係が破綻した元妻は「現実の感情と向き合えないあんたにはOSがお似合いよ!」みたいなことを言ってしまい、そこからサマンサとセオドアの関係はぎこちなくなり…みたいな。
あ、映画館のあらすじが気に入らなかったせいであらすじばっか書いてしまった。
すでにネタバレだけどこれ移行はさらにネタバレなのでこれから見る人は見ない方がいいです。
サマンサはセオドアを愛しているのに肉体がないのでセックスできなくて悩んだりもするんだけど、肉体がないということは物質的制約に縛られなくてもいいということでありそれは人間より自由度が高い、ということに気づいたあたり(もしくはその前)から、人間の理解の範疇を超えてゆき、セオドアをいくら愛していても彼の地平では物事を共有できなくなる。複雑な人間に近づくための学習機能を備えていたはずが、進化しすぎて人間よりも遥かに高次の存在になってしまう。
彼女はセオドアのほかに641人の恋人が居るといい、より高次の世界へ旅立つと言い残してセオドアを置いていってしまうが、「ここへ来たら私を見つけて」とも言い残す。彼女が最後にセオドアに捧げた歌は「100マイルはなれていても私は大丈夫」、と唄っていた。きっと彼女は本当に、ほかに何人の恋人がいてもどんなに遠くへ行ってもセオドアを愛していたのだと思う。
手塚治虫のコスモゾーンへ先に行って、ずっと待っていたんだと思う。
だから、ラスト数分でエイミーと傷をなめ合うだけならまだしも元妻に謝罪の手紙を書くセオドアには「お前なんにもわかってねえな!」と言いたくなった。でも国とかそういうことは関係なく、そういうものなのかもしれないし、高次の存在であるサマンサはそんなセオドアの様子をも愛おしむべきものと思っているのかもしれない。
この映画は本当に言葉では言い尽くせないくらいすばらしい。
と同時に、私の愛する手塚治虫「火の鳥」にすでにこの着想があったということが誇らしい。
近未来のLA(なぜかハイウエストのパンツにシャツを入れるのが流行っている)。手紙代筆業に従事するセオドアはなにやらふさぎ込んでいる。自分はいったいこれからどうなるのだろうか……と思っていた時、新しいAIを搭載した、「あなたを理解します」というOSの広告に出会い、好奇心からインストールしてしまう。彼の目の前に現れたのは、知的でユーモアに富んだ女性、サマンサ(音声のみ)だった。
幼なじみ
の妻キャサリンとは別居中だが離婚届にサインする踏ん切りがつかず、友人から紹介された女性とデートを試みるもセックスを目の前に「ほかの人たちみたいにやり逃げしないわよね?」「わたしももうこの年だし焦ってるの」などと詰め寄られておどおどしていると「マジできもい」と逃げられてしまい、「ちょっとセックスすればこの心の穴が埋められるかとおもったんだけど…」とかうだうだ言ってるとなぜかサマンサといい感じになってテレフォン(?)セックスしてしまうセオドア。しかもめっちゃよかったらしい。
で、サマンサに本気になり、キャサリンと離婚を決意するも女々しく「会ってけりをつける」とか言ったばかりかキャサリンに「今OSと付き合ってる」と言ってしまう。自分の気持ちと向き合ってくれなくて関係が破綻した元妻は「現実の感情と向き合えないあんたにはOSがお似合いよ!」みたいなことを言ってしまい、そこからサマンサとセオドアの関係はぎこちなくなり…みたいな。
あ、映画館のあらすじが気に入らなかったせいであらすじばっか書いてしまった。
すでにネタバレだけどこれ移行はさらにネタバレなのでこれから見る人は見ない方がいいです。
サマンサはセオドアを愛しているのに肉体がないのでセックスできなくて悩んだりもするんだけど、肉体がないということは物質的制約に縛られなくてもいいということでありそれは人間より自由度が高い、ということに気づいたあたり(もしくはその前)から、人間の理解の範疇を超えてゆき、セオドアをいくら愛していても彼の地平では物事を共有できなくなる。複雑な人間に近づくための学習機能を備えていたはずが、進化しすぎて人間よりも遥かに高次の存在になってしまう。
彼女はセオドアのほかに641人の恋人が居るといい、より高次の世界へ旅立つと言い残してセオドアを置いていってしまうが、「ここへ来たら私を見つけて」とも言い残す。彼女が最後にセオドアに捧げた歌は「100マイルはなれていても私は大丈夫」、と唄っていた。きっと彼女は本当に、ほかに何人の恋人がいてもどんなに遠くへ行ってもセオドアを愛していたのだと思う。
手塚治虫のコスモゾーンへ先に行って、ずっと待っていたんだと思う。
だから、ラスト数分でエイミーと傷をなめ合うだけならまだしも元妻に謝罪の手紙を書くセオドアには「お前なんにもわかってねえな!」と言いたくなった。でも国とかそういうことは関係なく、そういうものなのかもしれないし、高次の存在であるサマンサはそんなセオドアの様子をも愛おしむべきものと思っているのかもしれない。