岩波で見れなかったけどシネマカリテで追加放映でセーフ。


悪意に基づかない悪って私たちの身の回りにもあふれていて、それが残虐なものになるためのきっかけはきっとささいなものなんだろうとずっと思っている。


残虐な大量殺人に関わったアイヒマンは思考停止した小役人で、強制収容所にいたユダヤ人指導者のなかにはナチに協力していた人がいて、思想の大家であり恩師でありかつての恋人でもあったハイデガーは再会してみたら自分の発言に対する判断をする意思もなく過ごしている。

悪の凡庸さは、アイヒマンだけのことではない。


crime against humanityが「人類に対する罪」って訳されててそれって「人道に対する罪」のことでは?と思ったけど「人類に対する罪」のほうがその罪深さをよりあらわしているような気もする。


私自身も、「言われたことをやる」とか「上に言ってもどうにもならない」とか思って諦めてしまうことは結構あって、そういう風にあきらめてしまってはいけないことに出会ったとききちんと抵抗できるように普段からもうちょっと考えていないといけないんだな、と。 最近の日本は結構この「悪の凡庸さ」に呑まれつつある気がするんですけど、どうでしょう。


その「悪」の大きさとか影響力とかとは関係なく、「自分で考える」ことを放棄して悪に加担することは人間としてとても罪深い、ということなんだと思う。 プログラムにハイデガーとの再会のシーン必要だったのかわからないと書いている人がいたけど、考えることをアーレントに教えた恩師地震が考えるのをやめてしまったということが実際のアイヒマン裁判の映像と同じくらいに悪の凡庸さのおそろしさを表現していたと私は思ったので、「なにいってんの?」と感じた。しかしこの映画ハイデガーの描き方だいぶひどいです。ハイデガーちゃんと読んでないけど。