大阪、京都を観光して日曜日に帰ってきた。


関西、特に大阪は文化の違いを感じて面白かった!


まず、エスカレーターの乗る位置が違うんですね。


エスカレーターは右を空けて、左側に立つものだとばかり思っていたけど、大阪では左を空けて右側に立つんですね。


うちの家族以外みんな右側に立っているから、慌てて右側に移りましたよ。


でも 京都では左側に立つ人が多かったので、どちらへ立つべきか少々悩みました。


そして食文化でも、大阪はソース多食地域なのだと、外食をしていてとても感じた。


普段、ソースはフライくらいにしか使わず、醬油と違って、ソースは無ければ無いで 特に困る調味料ではないと思っていたけど 大阪はソースがないと始まらないくらい食べるのですね。


大阪で過ごして、ソースくんを少し見直しました。


ソースくんには、今まで軽んじてきたことを謝りたい。


それにしても、大阪のホテルの朝食では、毎朝たこ焼きが出てきたのには笑ってしまった。


たまにしか、たこ焼きを食べられないうちの子供たちは 大喜びで食べていたけど・・・


そんなわけで、4日間、大阪と京都を、ぶらぶらと歩きまわったり、自転車に乗ったりと こちらとは全く違った町並みや風景を楽しんできた。


ただ、大阪にいると咳込んでしまうのは何故だろう?


花粉のせいなのかなぁ・・・


ところで東京と同じように、多くの人たちが忙しそうに行き交う大阪の大都会の中に佇みながら、なぜか北海道の美瑛や富良野の何もない広々とした大地を思い出していた。


同じ日本でも 時間の流れ方が違うのだろうか。


やはり私はゆっくり時間が流れていく田舎の方が合っているかな・・・な~んて、まるで物語にあった、町へ出てきた田舎のねずみのような気分になっていた。


それにしても、関西の日差しはすっかり春で、花壇にはもう花が咲いていたりして、あらためて日本は長~いと感じた旅行だった。


ちなみに帰ってきて、昨日は一日中大荒れのふぶき模様。


そして今朝は、30センチも雪が積もっていて、また雪かきに汗を流していた。


あぁ、関西で過ごした春の陽気が夢のよう。


早く春が来て欲しいと思いつつ、今年は2度も春を味わえると思うと ちょっと得した気分にもなっている。


こうしてあっという間に過ぎてしまった楽しい旅をしてきたが、唐突ですが、このブログは一旦 休止しようと思う。


本当は まだまだ書きたいことがあるのだけれど、やめなければいけない事になりました。


基本的に書くことが好きなので、いつかまたこのブログを書き始めることになるかもしれないし、もしかしたら もうないかもしれない。


流れのままに まかせてみようと思う。








今日は これから大阪&京都へ行ってくる。


チェリーの卒業祝いをかねての旅行です。


おととしから、なんだかとても旅行へ出かけることが多くなった気がするが、パインが東北で一人暮らしを始め 以前より本州へ渡ることが それほど大変だと感じなくなったからかもしれない。


昔は、津軽海峡を渡るのが とても大変(億劫?)に感じていたが・・・


いつも東北へ行くときはフェリーを使うので、飛行機に乗っての旅行は、昨年の東京ディズニーランド以来だから、一年ぶりだろうか。



今回は大阪のユニバーサルスタジオへ行くことになっている。


ディズニーランドで経験した、もう嫌になるくらい並んで待つ・・・というのを決して忘れたわけではないが、やはり子供たちを楽しませたいということに重点を置くと、またもやテーマパーク行きというのもいたしかたない・・・


あとはピーチの要望で、Kポップのナントカと言うグループが行った「たこ焼きや」へも行くことになっている・・・


でも大阪の観光は初めてなので、今から街歩きをするのがすごく楽しみ。


大阪出身の義弟に、オススメのスポットを教えてもらおうと思ったら、大阪へ帰っても漫画喫茶にしか行かないとかで 全然参考にならなかった。


仕方が無い・・・ガイドブックを見ながら、観光しようと思っている。


そして、京都でも自転車に乗ったり、ぶらぶら散策したりと気ままに過ごす予定。


それにしても、この時期 自転車に乗れるとは・・・うれしいです!


数ヶ月ぶりに雪の無い道を歩くことができる!


札幌は 67年ぶりの積雪量を記録したそうだ。


どうも雪が多いと思っていたが、今まで経験したことのない量だったとは知らなかった。


ここ数日プラスの気温になって雨が降り、これで雪解けがすすむと期待したものの、相変わらず 道路の両脇には雪の壁がそびえた立ち、雪解けでザクザクになった道路は歩きにくい。


長靴じゃないと あっという間に足が濡れてしまう。


今日は、千歳空港までは車なので、雪道は歩かなくてもよい為、数ヶ月ぶりに「夏靴」(または短靴ともいいますが)を出しておいた。


長い冬を過ごし、久しぶりに履いた夏用の靴は とても軽く感じる。


あ~、やっと春が来たんだ!と感じるのが、滑り止めのついた冬用靴から、滑り止めの無い靴へ履き替えるとき。


今年は いつごろ夏用の靴に履きかえられるのだろうか。


例年より ずいぶん遅れそうだ。


しか~し、今日は一足先に夏靴に履き替えて、春を感じてこようと思います。






昨日はホームヘルパーの仕事で安部譲二さんに似ているおじいちゃんのお宅へ行った。


先週、父を病院に連れて行くために、お休みをもらったので二週間ぶりの訪問だった。



おじいさんは会うと、真っ先に「お父さんは大丈夫だったか?」と聞いてくれた。


父の事を心配してくれていたようで、嬉しかった。


おじいさんには、お休みするにあたって、父が最近 物忘れが多くなってきたので、病院へ検査に連れて行きますとお話をしていた。


そう・・・先週は、ずっと前から予約していた病院へ父と一緒に行ってきた。


父は80歳を過ぎて、徐々に物忘れが多くなり、ついには意味不明の言葉を発するという事件が起こってしまった。


もしや認知症では?と心配になり病院へ連れて行ったのだ。


現在、認知症の治療をしてくれる病院はどこも混んでいて、予約をしてもすぐに見てもらえるとは限らない。


なるべく仕事は休みたくなかったが、病院から指定された日に行かなければ、今度はいつ見てもらえるかわからない。


仕事を休むと周りに迷惑をかけてしまうが仕方なかった。



さて、病院につくと、やはりとても混んでいて、予約していた時間を大幅に遅れて診察が始まった。


今までの経過を説明した後、脳のCTを撮った。


それから、30項目ある認知症のテストを受けた結果、「認知症の当落選上にいます」との診断がでた。


選挙でもあるまいし、当落選上とはなんぞや?と思ったら、今はまだ認知症ではないが、1~2年後にはなりますという状態なのだそうだ。


医師に「1~2年後には、必ずなるのですか?」と聞くと、「ずなります」とのことだった。


なんだか、ショック・・・


父はなぜか「まだ認知症ではなかった。ボケていなかった」と嬉しそうだったけど。


とりあえず脳を活性化させる薬を出してもらい、今後は様子を見ながら薬の量を増やしていくそうだ。


これですこし進行を遅らせることができるそうだ。


それにしても1~2年なんて、あっという間に過ぎていく。


もう一人暮らしは無理になってくるだろう。


やはり今年中にサービス付き高齢者住宅を探さないとなぁ。


最後の親孝行だ。


できる限り、父が安心して暮らせる場所を見つけてあげようと思う。


とりあえず心配して頂いた安部譲二さん(似のおじいさん)には「ありがとうございます。大丈夫でした」と報告すると 満面の笑顔で「そりゃあ、よかったな」と言ってもらった。


その瞬間、安部譲二が大黒様に変わったように見えた。


こんな風に ときどき利用者さんから頂く笑顔や優しさが、この仕事をやっていてよかったと思える瞬間なのかもしれない。


仕事で家事をやってあげている・・・のではなくて、やはりやらせて頂いているのだ。


さてと・・・病院で診察して頂いた事で、父の事はひとまず安心できた。


そして、今月のメインイベントだった長女チェリーの高等養護学校の卒業式も 先日無事に終わった。

(私のPTAの仕事も終了!)


こちらは、心温まる本当に素晴らしい卒業式だった。


先生方や在校生、、そしてたくさんの卒業生までが、わざわざ卒業式のために来てくれて、チェリーたちを温かく送り出してくれた。


拍手と紙ふぶきの中を チェリーたちが照れくさそうに歩いて行った。


途中で在校生が握手を求めに駆け寄ってきたり、花束をもらったり、先生にハグされたりして、チェリーも嬉しそうだった。


本当にいい三年間を過ごさせて頂いたと思う。


教職員の方々やお友だちには感謝しかない。


4月からはみんな社会人。


他の人より、すこし早く社会に出ることになるかもしれないが、この子達にたくさんの幸あれと思う。




ミリアンの雑記帳


お花をありがとうね。















先日の夜のこと。


寝ていたところを夫に揺さぶられて起された。


どうやら、うなされていたらしい・・・


最近はないのだけど、以前は 眠っている時に金縛りにあったり、知らない人に肩をつかまれたりなど怖い体験をすることがよくあり、昔から夫には「もしも私がうなされていたら起してね」と頼んでいたのだ。


しかし、先日うなされていた時は、別に怖い目にあっていたわけではなく夢を見ていた。


とてもリアルな夢だった。


夢の中に一人の老婆が出てきた。


年の割りに化粧が濃く 頭の後ろで髪をおだんごに結ったきつい顔をした女の人だった。


その老婆が、私ではない別の女の人に対して、怒りながら何かを必死に訴えていた。


「供養してくれると言ったじゃないか。どうしてしてくれない」


途中から老婆は泣きながら、繰り返しそう訴えていた。


それを眺めていたら、いつの間にか老婆の感情が私の中へ入ってきて、夢の中で私も泣いていた。


多分 その泣いていた声が、夫にはうなされていると思ったらしい。


「大丈夫か?」と夫に起され「うん、大丈夫」と答えた後、布団の中で今見た夢を思い出していた。


単なる夢だとは思いつつ、なんとも後味の悪い、気になる夢だった。


もしや、あれは義姉の家の関係者だろうか・・・


一年前に旦那さんを亡くした義姉には、ちらりと先祖供養の話などを伝えたことがあった。→奇跡

その時、義姉は「わかった。自分の知らないご先祖の供養もするわ」と言ってくれたのだが、詳しい供養の仕方や寄り代がないことなどは伝えていなかった。

義姉のことだから、きっとそれまでしていた自分の知っている身内だけではなく、他のご先祖に向けても供養していることだろうとは思ったが、なにせ義姉宅の仏壇には寄り代がないので、届くはずの供養もあまり届いていなかったのかもしれない。

翌朝、そのことを夫に話すと、夫はさっそく義姉に電話をしてくれた。

そして、義姉は話を聞きたいと言って 数日後 我が家へと来てくれた。

仕事で同席できない夫には「姉は、今まで見えない世界などとは縁のない暮らしをしてきたので

なるべく簡単にわかりやすく説明してやってほしい」と言われた。

わかりました。わかりやすくね・・・

間違ったことを教えてはいけないので、事前に何度も確認をした。

ちなみに、前にも書いたが 私は伊勢白山道さん が教えてくださっている先祖供養を毎日行っている。

自分がやってみて とても実感しているが、これは本当に最強で最善の供養だと思う。

宗教などと言う狭い枠組みを取っ払って、全ての先祖霊や自分に関係する霊の方々を、もらすことなく供養することができることは、すごいとしか言いようがない。

そして 救われない霊の方々ばかりではなく、気がつけばいつの間にか自分自身も救われている。

本当にありがたいことです。

さて、家に来てくれた義姉には、お線香のあげ方、そして寄り代を置くことなどを教えた。

「寄り代については、短冊か位牌を用意して・・・」という話をしていたところ、急に姉が「待って!位牌ってあれでしょ?○○家先祖代々の霊位って書いたもの」と言い出した。

「あるある。うちにある!仕舞ってあるわ」と興奮したように義姉が言い、さらに「よかった~処分しなくて」と喜んでいた。

なーんだ、あったんだと拍子抜けした。

でも なぜ出していなかったのだろう?

義姉の話によると 昨年 義兄が亡くなった時、来ていただいたお坊さんに「位牌は必要がありませんので、寺に持ち帰って処分しましょう」と言われたそうだ。

義姉としては、処分すると言われても 果たして本当にいいのだろうかという疑問が浮かび、「こちらで処分しますからいいです」と断ったのだそうだ。

それ以来、断ったはいいものの、自分で処分するのもためらわれるので、どうしたものかと、とりあえず仕舞っていたとか。

「あれ、すぐに出すわ!でも、お坊さんがお参りに来た時は、どうしょう」

義姉がそう心配するので、「お坊さんが来る時だけ、仕舞ったら?」と言うと、安心したように「そうね」と言ってくれた。

毎日 仏壇に向かって義兄に「早く迎えに来て・・・」と涙を浮かべてお願いをしていると言っていた義姉が「そんなことを言ってはいけないんだね」と言ってくれたことが嬉しかった。

また神棚をきちんと祭ることもしたほうがよかったが(義姉宅にも神棚があるので・・・)、義姉には まだそこまで気持ちの余裕がないように見えたので、こちらは話さなかった。

しかし、私が毎朝、昇ってくる朝日と大地に感謝想起をしていることを話すと、義姉も、環境汚染などによって地球がどんどん破壊されていることに心を痛めていたそうで、すぐに「私にもできそう。やってみるわ」と言ってくれた。

・・・というわけで、これにて義姉への第2回目レクチャーを終了した。

あとはやるかやらないか、続けるか続けないかは義姉に任せるしかない。

私が強制するようなことでもない。

でももしも、義姉がもっと詳しく知りたくなってきたら、今度は伊勢白山道さんの本をあげようと思っている。

帰り際、玄関で見送った時、義姉の顔が来たときよりも、ずっと明るい笑顔になってくれたことが、とても嬉しかった。






普段は、ほとんどテレビドラマを見ることがないのだけど、最近おもしろくて毎週かかさず見ているドラマがある。


それは土曜の夜にやっている「泣くな、はらちゃん」


漫画の世界の主人公、はらちゃん(長瀬智也)が生身の人間となって現実社会に現れ、漫画の生みの親である、越前さんに恋をするというストーリー。


漫画の中の狭い世界しか知らなかった はらちゃんが、とつぜん現実社会に出てきてしまい、犬やネコを見てはいちいち驚き、喫茶店で普通のチャーハンを食べては美味しいと大げさに感動する。


そんなはらちゃんが、自分が登場する漫画を描いた越前さんに出会い恋をして、素直に自分の気持ちを伝え続けていく。


何でも人のいうことを素直に受け取り 無垢で余計な自我がない はらちゃんを見ていると、ほのぼのとした気持ちになれる。


ところで、この「何でも人のいうことを素直に受け取る」ということは、いいことでもある反面、危険も含んでいる。


特に知的障害を持つ人たちは、優しく近づいてくる人の言葉を、そのまま素直に受け取ってしまう人が多いことが、同じく障害を持つチェリーを育てていて気になることだ。


4月からは、学校と言う狭い世界を出て、広い社会へ出て行くチェりー達に「世の中にはいろいろな人がいて、良い人ばかりではなく悪い人もいるんだから、誰でも人を信じてはいけない」とあらためて教えなければならないことは、悲しいことだが仕方がない。


ドラマを見ながら、なんとなく はらちゃんと重なって見えてしまうチェリーや同級生たちだったが、先日 生徒達が私達保護者に高等養護学校の3年間を歌や劇にしたステージを披露してくれた。


そこでステージの最後に一人ずつ将来の夢や希望の言葉が、それぞれの写真と共にスクリーン上に現れた。


「がんばって働いて、お給料をたくさんもらいたい」


「自分から仕事を見つけて動ける人になりたい」


これから社会へ出て働くことに意欲的な言葉が多かったが、なかでも印象的だった言葉は「楽しい人生にしたい」というものだった。


この子達は社会へ出ても、すぐに一般企業に就職できるわけではない。


むしろ一般企業に採用してもらえるのは少数で、福祉作業所などで、わずかな工賃をもらって一生を送る子の方が多いかもしれない。


しかし、それでも働く喜びを感じてほしいと思う。


そして、ぜひ「楽しい人生」にしていってもらいたいと願っている。


ドラマの中で はらちゃんが言う言葉も心に響く。


「働くことは生きること」



ところで、土日の荒天が嘘のように晴れた今日の朝。


吹雪が続いて、しばらく野鳥に餌をあげる事ができなかったため、今朝は積もった雪をよけながら、餌台まで行って新しい餌を置いてきた。


私が家に戻ろうと背中を向けた途端、どこからか鳥が飛んできて餌をついばみ始めた。


人の姿があるのに、餌台に来るなんて珍しい。


よほどお腹を空かせていたんだろうな。


あんまり一生懸命食べているので、思わず写真を撮るのを忘れて見入ってしまった。


・・・ので、別な写真。



ミリアンの雑記帳


これは、パインが春休みに遊びに行った東京「上野動物園」で撮って来てくれたハシビロコウ


パインが言うには、ハシビロコウは、ほとんど動かずにずっと立っていたそうだが、唯一 毛繕いで動いた瞬間を撮ったのだとか・・・


ハシビロコウの何とも言えないゆる~い感じと、大きなくちばしにちょっと立った頭の毛が漫画のような顔が好きだ。


ハシビロコウは、ぜひ「生」で見てみたい。


またいつか東京へ行くことがあったら、その時はディズニーランドより上野動物園ね。。。