きっと子どもの頃から、対人関係が苦手だったんだな…とは今になって思います。
誰かに何か言われても、言い返すなんて強い術は私にはなくて、小学校低学年から登校拒否を繰り返してきました。
本当に学校に行けなくなってしまったのは卒業を控えた小6の6月。
当時、真面目な優等生で通っていた私は、周りから漫画ともゲームともTVとも無縁だと思われていて、学校で自分らしく過ごす事は不可能でした。
また、当時の担任は非常に厳しく、挨拶や礼儀etc.あらゆる面において、とにかく他クラスよりも厳しくて怖かったのを覚えています。
そんな担任のお気に入りの生徒は私。
私に障害があったせいもあるのか、なんなのか、可愛がりっぷりはすごかったです。
勿論、それを「えこひいき」と捉え良く思わないクラスメイトもいて、陰口も叩かれていたようです。
(本当のところはわかりませんが、私さえもえこひいきされてる?と感じる程あからさまでした)
まして、障害の影響もあり、運動はできないので、団体競技では足を引っ張ってばかり。
だんだん学校に行くのが辛くなった事、存在価値を見出せずに死にたいと思うようになった事、それを母には言えずに限界までずっと黙っていた事も全て覚えています。
限界がきて、学校に行けなくなって、学校が、
担任が、クラスメイトが、怖くなりました。
唯一、心を許せた1学年下の受け持ちだったT先生は、授業の空き時間によく私と会ってくれました。
でも、卒業間近な6年生…なんとかして教室に戻れないか?先生方が考えていた事で、ますます学校が恐怖になる私。
T先生と会う事すらできなくなりました。
卒業式も個別で呼ばれて行くと、学校中の先生方が勢揃いだし、恐怖でしかない担任は当然いるしで、パニックを起こして泣き崩れ、逃げ出しました。
中学は、少し離れた所に行く事になりましたが、やっぱりそこでもすぐに不登校に。
2年になってから、妹のいた中学に1年次の学年主任のI先生が異動されてきて、時々会うようになりました。
決して「勉強」とか「学校に…」とは言われなかった事は印象的でした。
更に3年になってからは、I先生の大学の先輩にあたるS先生が担任になり、S先生とも会うようになりました。
「S先生が久々に私の顔を見たい」と言っている…と聞いたのは、3年の新学期が始まってすぐの頃に、いつものようにI先生と会っていた時。
「無理はしなくて良いんだよ」と言われたけど、I先生とS先生の仲の良さは知っていたし、I先生も一緒なら…と会う事に。
久々に私の顔を見たS先生は、笑顔で「元気そうで良かった!」と言うだけでした。
その優しさが、その時は本当に嬉しかったです。
それからちょくちょくプリントを届けに来てくれたり、私に合いそうな高校のパンフレットをたくさん集めて家庭訪問してくれたりしました。
実は当時の校長先生が、I先生やS先生と会う私の事を良く思っていないようだ…と母から聞いた事があります。
S先生も担任として、絶対に何か言われていたはずだけど、そんなそぶりは一度も見せませんでした。
学校に行けない私をありのまま認めてくれた事には、今でも感謝しかないです。