生きる

生きる

突然、小学生になった娘がADHDではないがADHD的な状態と診断を受けました。そこに至るまで、2人の歩いて来た道のりが目にとまった誰かの参考になりますように…。

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夏だったのに…。もう、寒波がどうのこうのと言い出す始末の今日この頃ですね。その後、娘は自傷が止まらなくなり、私に当たり続け、死にたいと、生きている意味がわからないと泣き続け、二階から飛び降りようとしたり、窓を蹴り破ってしまったり。

 

そして入院することになり、今もまだ、入院しています。つらい日々でした、もちろん今も。

 

娘はつらかった。今もなお、本当につらかったでしょう。入院からかなりの期間、私は娘と週に一度、10分と言う時間しか会えませんでした。娘は医師に気持ちを話すことが全くできず、抜毛が始まり、見るも無残な姿になりました。

 

入院生活のことはまた、書いていこうと思いますが、娘はとにかく私にしか、気持ちを表せないただ、私に対しても、負の感情を出す時には、まるで狐がついたような、リミッターの外れた所まで自分を追い込まないと出せない、と言うことが…。薄々感じてはいたものの、顕著になっていく日々でした。

 

私は今、必死で、コンテイン、という事を、意識的にしています。

 

精神分析ビオンの概念。乳幼児が死の衝動を外界に投影し、迫害不安に陥るとき、母親は自分の中に激しい攻撃性を投げ入れられることになる。この攻撃性をそのまま乳幼児に返すのではなく、いったん自分の中にコンテインし(ふくみこみ)、乳幼児が受け入れやすい形で返すことで、乳幼児の迫害不安は弱められ、他者に対する安心感が育っていく。

精神分析プロセスでは、被分析者から向けられる激しい怒りなどを、分析家がそのままぶつけ返すのでなく、いったん自分の中におさめてから、被分析者に受け入れやすい形に変形させてから返すことをコンテインすると言う。

 

親鳥が雛鳥に餌を与える時のイメージでしょうか。コンテイン。難しいけれど、とても難しいけれど、娘の心を一緒に抱える事をしようとしています。外に出てから、もう何年も経つ娘ですが、彼女の心をもう一度、胎児のように抱えて生きたいと、思っています。