今回はどのようにして私が許すことになったかについて説明していきます♪
ご訪問ありがとうございます。ラクシュミです。
早速ですが、
私は自分の人生に起こる苦痛と許しは密接な関係がある、
そう睨んで(?)生きてきました。
この半永久的に続くように見える、悶々とした自分の人生のすべての苦痛
自分の中の何かが「きちんと許されていないから起こり続ける」?
(実際、これは当たっていました。)
しかし、本人は「許した」、そう思っているのに、暫くたつと、また自分のまわりに同じようなことが繰返し起こります。
そんな体験ありませんか?
つまり、似たような人と恋に落ちる、転職しても似たような職場の人たちがいる、
じゃあ、「本当は自分は許してなどいなかった」?
気分的に許しているだけでは、効果がないのか?
自分なりに、こういう許し方はどうか?といろいろと試したこともありますが、
自分的には許しているつもりでも満足な結果を得ることはありませんでした。
そんなある日、
私は目には見えない存在との会話があったんです。
そんなとき、
人って、真剣に他人の(?)話を聞くものです。
その聖なる存在は、今、自分が苦しんでいる原因である相手を、聖なる存在と一緒に許すことを教えてくれたのです。
私は正直、落ち込んでいて、なんとかまた浮かび上がらないといけないと焦っていたので、
この変なインスピレーションには正直、興味はありませんでした。
て言うか、普通なら絶対実行はしなかったと思います。
「聖なる霊って誰?」です。
しかし、私のまわりには誰もいなくて、無職中で、
藁にもつかむ思い、そういう思いで瞬間、瞬間を生きていた頃でした。
私は、一寸考えて、すぐその聖なる霊の言うアドバイスに従ったんです。
とりあえず、その許し方を、実際、口にだしてみました。
それも繰り返し言ってみました。
口に出して言いなさいとか、何回も繰り返し言いなさいとか言われていたわけでもないのに、
焦っていた私はとりあえず声にだして繰り返し唱えだしたんです。
今思えば、そうした理由は、
(それほどやってもたぶん効果はないだろう)、
そう思っていたんだなって思います。^^;
そのまま家を後にして、20分ほど、当時住んでいた家のまわりを一周して帰ってきたとき、
私は自分の心の中をのぞいて驚きました
暗くて重かった心が白い光で満ちていた、そんな感じでした。
そのとき感じた自由といったら言葉では表現できません。
人生ではじめて、何かを自分の意志で成し遂げたそんな、瞬間だったんです。
実は、私は無意識のうちに、
「許しの処方箋」を学び、それを自分の苦しい心にあてていたんです。
許すことになった経緯 奇跡的な許し方 (その2)
今回はいかに私が許すことに言ったかについて説明しています。
結果から言うと、この無償で教えられた「許しの処方箋」には効果がありました。
それも驚くほどの効果です。
それまでいろんなことに私は手をだしていましたから。
例えば、ありがとうを何万回という、
引〇〇せの法則を使ってみたり、
この法則、あの法則、怪しげな商法の集まりに参加してみたり、、、
誤解しないでください。
法則と言われるものが効果がないと言っているのではありません。
すべてそれなりの効果があります。
ただ私的には満足してはいませんでした。
この「奇跡的な許し方」ほどは、です。
これをみんなに理解してもらいたくて、一冊の本にしたんです。
↑(【追記】もっとわかりやすくただいま編集中、一部のみなさま、今しばらくお待ちください。出来上がり次第、ブログ内、HP内でご報告します。)
詳細は本にも書いてありますが、その聖なる霊と共に今、
自分を苦しめている人を聖なる霊と共に許すことであり、
自分の中にたまっている幼少時代からの罪悪感を聖なる霊と共に許すだけなんです。
なぜこんな簡単な許しの処方箋を一冊の本にしないといけなかったか、ですが、
はじめて奇跡的な許し方をした瞬間、私はいろんなことを言葉なくして理解したんです。
それを数分で説明することは不可能だと思いました。
そんな中、
人は私の体験談を聞いただけでは、
許しのインターンシップまでは入らないだろうと思ったんです。
同じような苦痛の体験をしたことがある以外、難しい、そう思いました。
また
宗教にふれずに許しの処方箋を説明して、
ついでに罪悪感もとっぱらってもらう、、、
そんなことが果たして可能なのかと思いましたが、
心の中でそれは充分に可能だ、そういわれているような気がしました。
しかし生まれつき臆病な私は、私の体験を立証する方法を考えついたんです。
なぁんと、私の体験談をラクに説明できることを教えられたんです。
そこから私は「奇跡講座」(中央出版)に導かれていきます。
許すことになった経緯 奇跡的な許し方 (その3)はここからです。
きっかけは、あるサイキック能力のある友人が
「聖なる霊が「奇跡講座」を読んでもらいたい。そういっています。」と教えてくれたからです。
私の体験談を説明する本に使うとは一度も思いめぐらしたことはありません。
しかし、いざ真剣に読みだしてみると、
これ以上、許しについて書いてある本はないと思いました。
そうして「奇跡的な許し方」を仕上げていきながら、
まるで本が生きている、そういう感覚をときどき感じだしました。
一年前の原稿にはなかったことが半年前には書かれていて、
半年前にはなかったことが数か月前に書かれていて、
昨日なかった文章が今日、書かれている。
自分で書いていて「あ、そういうことか!」という気付きを毎日もたらせてくれる本です。
本では説明し足りない部分をこのブログに追加説明していきます。
教えることが、または何かを共有することになれていない人は
どうぞ、このブログに繋げて上げて下さい。
なぜ共有かというと、ですね。
誰かを許すということは、最終的にはひとつになることであり、
ひとつになるということは、誰かがラクになることで、あなたもラクになって、
みんなが心から自由になることだから。
そう、ならざるを得なくなるんです。
奇跡的な許し方をしていると、です。
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