アメリカの大学では日本の大学よりも指定の教科書が多い気がする。

もちろん取る授業にもよるけれど、今期取っている人類学の授業では、たった3か月しかない学期(クオーター)で5冊の本を読むことを求められている。

私は英語もかなり不自由な状態で授業を取っているため、日本にいたときのような怠惰な姿勢では単位が危うい。単位を落とすなんてことになると、ビザも危うい。

ということでこの指定の本もめちゃくちゃ読むぞ!と意気込んで、全部買った。そして授業が始まって、すぐに後悔した。

これ、教科書なくても行けるんじゃね?

確かに読んだ方が理解度は格段に上がるだろうし、課題にも必要っちゃ必要。でも、ないならないでやりすごせるレベルだし、本当に必要なときは図書館行って各ページスキャンということも可能ということが判明するころに、Amazonで注文した本が続々やってくるのだ。

授業が始まったばかりのやる気のあるころにポチッた本たちの値段を見て、へこむ。

たけえよ。

 

なんてことを思ったのだが、今ではこれらの本を買って本当に良かったと思っている。

製本された本に、ガンガン書き込んでいく快感はなんとも言えない。

パソコンとスマホに汚染された生活に、あの紙の香りが帰ってきたというだけでも、十分に買った価値があった。

 

たとえばすべての教科書合わせて1万円かかったとしても、映画10回分にも満たない。

留学期間中は大好きな日本の映画が観れないんだから、代わりの娯楽と思って、楽しめばいいじゃない。

 

また、学習の過程が物理的に残るというのも魅力的である。

基本的にノートもパソコンで取るし、授業に関する他の資料もオンライン上にあり、授業が終わったらアクセスできないということも少なくない。

そんな状況で、この悪戦苦闘の跡が残る教科書は、留学の成果の一つの形として、結構ありだと思った。親に見せられる、数少ない努力の跡だ。