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先生よろしくお願いいたします。 [👏👏👏]

皆さこんにちは (*^^*) [こんにちは こんにちは ]

鳩山でございます。

今日はこのような会議にお招きを いただいて、

ありがたいというか 、、でいい?という か、、、

実はあの最近私がTwitterXで 投稿したものがございます。

 

それ は特に自民党が例の政治資金パーティーそのキックバックと裏金問題に対して、政治刷新会議になるものを作ったけれども、これは「まな板の鯉が包丁を握るよう なもんだ。」と 

まな板の料理されるべき鯉が包丁を握ってどうする?という風に書いたわけであります。

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2024/01/14 — まな板鯉が包丁を握ってどうする。身を切ることは出来まい」と指摘。続けて、「政治資金規正法を抜本的に変えるためには、政治家に議論させるのでは・・・・

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今日 「鳩山政権の誕生と崩壊」という話で、私が話をしないといけないというのは何か「私自身 がまな板に乗ってるのに包丁握ってるな」と自分がXで言っときながら、自分自身が今包丁 握っていいのかな?とそんな気もしないわけではありませんが、どうかご容赦をいただい て、しばらくお話を聞いていただければと思っております。そこで それこそISFの??先生、、、岡田幹事さん中心のこのISFがなぜ今こんな「鳩山政権の誕生と崩壊」もう15年前 ですよね。崩壊したのが14年前ですが15年経っています。15年経ってなぜ今こんな話をするのかということではないか と思います。

 

ただ、そこで私も思いついたこと 先ほども申し上げましたけども、あの時も 自民党自体が特に年金記録の問題などを中心として、大変国民から突き放された時期であった。と、、、自民党何やってんだと けしからんと、政治と金の問題もその中にも入っていたようにも思います。

 

まそもそも私 が、自民党で初当選をしておきながら、自民党を飛び出した理由も 政治と金の問題 でございました。あまりにも政治に金がかかりすぎ、おかしいじゃないか?ということで小選挙区制などを訴えながら政治を変えなきゃいかんというようなことで 最終的に仲間 武村正義さんなんかと一緒に自民党を 飛び出したのもございます。それも政治と金の問題が1番大きかった。

こんな話してる ともう30分すぐ経っちゃうんですけども、、、

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1993年4月、武村と田中秀征は新党結成を決断[9]。両者をあわせた計10人の議員、武村、田中、鳩山由紀夫、三原朝彦、佐藤謙一郎、渡海紀三朗、園田博之、岩屋毅、簗瀬進、井出正一は同年6月18日の宮澤内閣への内閣不信任決議可決に伴う衆議院解散の直後に離党

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ある日三原 朝彦 元衆議議員と私が金丸さんのところ(金丸氏の「金庫番」と呼ばれた生原正久元秘書)に呼ばれて、そこにはお金がポンと100万か 200万か忘れましたが置いてあった

「これは この金 持ちだから持ってき なさい」と

「あなた方は派閥解消を唱えてるようだな 閥会を唱えて言いながら派閥 の中にいるってどういうことなんだ」と そしたらお前ら、、あなた「お前らは派閥を出てからそういうことを言うべきじゃないか?}ということを言われて、その通りだなと思いなが  実はその時まだ派閥から出れなかった時代です。

その後 もう悔し涙で三原朝彦と一緒にこの党をこのままにいられないな という思いを強めていたわけでありまして、その当時は派閥の中にいて 確かお金だけはもらって帰ったような気が し、そのその、苦しい中 お互いに涙を流して、結果として、それが自民党を飛び出す きっかけになったとも思っております。

ま そんなことは 過去の話でありますけれど も、まさにそういう時代、今もまた繰り返されている。ということでございまして、裏金の 問題とか、あるいは無駄遣いがあまりにも激しいこういった政治に対する国民の怒りは、 沸騰してきてるんじゃないかと思っております。

 

もう1つは私が総理になって、初心表明 演説を行った時に、確か26回言ったかな、命を守りたいという命という言葉を かなり何度も何度も繰り返して申し上げたのであります。その当時命が守られてい なかったということで命をまず 国民の命を守ることが大事なんだということを大変 強く申した覚がございます

 

ご案内の通り 簡単に能登半島の大地震が起きました。今でも どうもこの 本当に 初動が遅れてなかったのか? 岸田首相は遅れてないとばかりでありますけれども、明らかに遅れていた!ということは間違いないと思っており ました。こういう命を守らない政治で良いのか? いうことが言われて、当然だと思います。

 

またあの??さん難民の認定の問題で結局亡くなってしまった。そういった命も ございました。難民認定の問題とかあるいは これは後で植草先生が色々お話しされるのか もしれませんが最低賃金がまだ低すぎるというような問題もございます。

 

 

それから これも植草先生が後でお話してくださいんじゃないかと期待しておりますけども ワクチンによって、どうやらこのこの数年  自然に亡くなる方ではなくて 死亡者数が変に増えてるぞと いう話もございます。

こういったことは当然今の政府は否定してるところであり ますが、どうも命が十分守られていないんではないか?ということは 過去我々が政権取った頃と同じような問題がまた起きてるなと  そのように思わざるえません。

 

それから極めつけというか、これがある意味で私に とっても点のようなものでありますけれども、対米従属というものが、あまりにもひどい ということで、私どもが政権取った時、私が守れなかった1番大きなすなわち私自身が総理をやめざる得なくなった「最大のテーマ として普天間の移設先の問題がございました。この移設先を最低でも県外できれは国外ということを私自身の公約として申し上げた。」それが結局守ることができずに、私自身が総理をやめるとこになったわけ でありますが、また今対米従属はその後どうなってきたか?と言えば、、アメリカに従って 中国脅威論というものが消えていない ま 昨年バイデン集近平の会談があって少しずつ良くなってきてる感はあり ます。

台湾有事の問題に関しても、新しいない相当が誕生した後ではありますが バイデン大統領は台湾の独立は支援しないという風に名言をしてくれました。 当たり前の話ですけども、そのことを明言されたことは良かったかと思いますが、日本の 一部の指導者の中にはまだ台湾有事を煽るような空調がないわけではあり ません。

 

さらにはウクライナ戦争においてあっという間にウクライナの支援をして、ま それは当然ロシアに非もたくさんあったわけでありますけれども、ロシアと日本の 関係が極めておかしくなってきてしまっている領土問題、いわゆる北領土問題 もある中で、この問題が消 いつの間にか完全に消えかかってしまっているという  この 状態そのままで良いのか?と

 

結局それも アメリカの意のまま 外交問題安全保障従っている結果として、こうなってしまったのではないかと思わざを得ないわけであります。

 

ま  こういうような ある意味での共通点と いうものが見出されるからこそ、今15年ぶりにこのようなことを皆さん方が議論し てくださっているのかな?という風に私には感じられるわけでございます。私は先ほど も申し上げましたように、命を守りたいと申し上げました。小沢一郎先生が国民の生活 が第一というその表語を掲げたのも、大変国民に対して訴える力が強かったと思い ます。

私ども民主党は市民が主役の民主党というふに生きがって申しておりました。どう も市民という言葉が必ずしも市民権を まだ必ずしも十分得てない時だったようにも思い ます。そういう時だけにえ国民の生活が第一という言葉がずばり当たったようにも思い ます。また全ての人に居場所と出番を与えようではないかと色々と苦しい方々が おられる。それ こそ、体が万全ではない方もおられる。そういう方に対しても居場所を当然得られるようにそして出番が得られるような環境を 作ることが大事じゃないか? と いうことで様々な工夫をいたしました。コンクリート から人へということはも大変ある意味で馴染みのいい言葉ではなかったかと思い ます。

 

 私の 私に40年付き添ってくれております。私 にとってかけがえのない秘書は実は生コン屋であったもんですから、その生コン屋の息子の秘書として ちょっとなっていることで 彼は相当困ったのではないかと思いますが、ま で もコンクリートから人へというそのイメージというものは大変重要であって こういったコンクリートで固まった大きな高いものを作るよりも、人の1人1人のこの 命に目を心を配るような、そういう政治に変えようという努力を私共は したわけで ございます。

 

先ほどお話しありましたように、子育て子供手当ての 充実をしていかなければいけないということで、月が3万6000円 それが今に なってと半額しか認められないという状況になりましたけれども、子供手当てというものを普及して 「おかげ様で助かりました。」という声をかなり 至るところでその後伺った覚がございまして良かったなという風に感じております。 

 

教育の問題も無償化の議論を行わさせていただいて、高校の授業料の基本的な無償化 というものをっていうことを行ったわけでございますし、また当時 医者の医療の問題が大変厳しい環境に追い込まれておって

なんとか 診療報酬を引き上げることによっ て、この苦境を脱することができるのではないか?病院にたらい回しされているという ような事態が結構あったわけでありますけれども、そういう問題に対しても 診療報酬 を若干でありますけれども、引き上げたことは、結果として良かった。と 

私共は思って おるわけでありますます。

 

 

そういうような 「命を守るという立場からの政策というものを いくつも掲げさせてもらいました。」

 

またご案内の通り国と地域で、今も沖縄の方々などは感じておられると思いますけれども 、なんでもっと地域に配慮しないんだと 「お国の問題なんだから地域は声を出すなと」 言ばかりの状況になりつつあるように思いますけれども、大事なことは私は地域のこと は地域に任すことができるものは極力地域に任すべきだという地域主権という考え方 が正しいと思っております。

 

それはあ補完制の原理という言葉で言われておるわけで ありますけれども 

「自分たちでできることは自分たちでやろう 自分たちでできない時 には自分たちより少し大きなコミュニティで解決するように努力しよう それでもできない時にはさらに大きな自治体で あれは最後にそれでもできない時には 国家が そこにに 協力をしてもらおう 」というような発想が大事ではないか?という ことでございまして、そのような補完制の原理に基づいた地域主権の国家造り」と いうこと これはあの原口大臣などが大臣として大変力を入れてくださったことでも ございます。感謝を申し上げたいと思っております。

 

先ほど申し上げましたように、 その対米追随の外交に対して私たちは自立した外交というものを取り戻さなければなら ないいうことを主張してまいりました。現在もしかしそれが十分ではないというか 全く その方向になっていないえ東京の方が羽田から飛び出す時にも感じられると思います 横田区域というものがあってえ日本の飛行はそう簡単に入れない空域があると沖縄に 入る時も同じような状況が起きておりまして こういったことを1つ取ってみても自立 した外交姿勢というものを もっと強く独立国として持たなければいけないのではないか?と  私が常に申し上げているのはあと21年で1500年になります。

 

1500年経っ ても日本の領土の中にアメリカ他国の軍隊があってその公然と持ってしまう。それは 当然ではないよ。とで きればそのような米軍の力に言わらずにこの国の安全が守れる ような環境を作るべきではないかという方向に 私は動く必要があると思っており ます。が なかそうのようにならないのが、現実でございます。

さてこういった 私どもの 基本的な姿勢を政権の5原則ということで書かせていただいております。

 

もう もえ  簡単に申し上げてまいりますと よく私どもが使ったのが官から民だという発想でございます。これは官僚任せにするのでは なくて政治が最終的な決断・結論を出した時には責任を持つんだ と何か行ったら官僚が悪いとか秘書が悪いみたいな話で逃げる政治家が多いわけで ありますが、そうではなくて官僚任せではなくて政治家自身が責任を持つ政治にし たいということであります。

ま そのことが ただ官僚のあの不満を買ったことは間違いないと思っておりまして 事務時間会議 などなくしたりして  あるいは物事を決める時にえ官僚の皆さんには入らないで政治家 大臣・副大臣えだけで物事を決めようというようなことを行ったこともございまして こういったことが官僚の不満を高めて自民党と官僚がもう癒着をしてるわけでありますから、早くこの政権を 倒さなければならないという気持ちに 彼らがなったとしても不思議ではなかったかと 思います。

 

また 政府と与党自民党政治の時には自民党と政府というもので 2元で政治政策を作ってどっちかがやられる時はこちらが自分たちはこうなん だみたいなことで 逃げを打ったりしていたわけでありますが そうではなくて内閣に 政策決定を一元化をした。その結果 私は党の中に不満が溜まった可能性は あると思うんですけれども  党の中の政策調査会というものを 少なくとも一時的には なくしたわけでございまして 政策はもう政府で一元的に こう責任を持とうということを行いました。

 

また これはよく言われる話でありますけども 省庁の縦割の行政ではなくて、いわゆる  この官僚指導の国益を代任するという発想に立たなきゃいけないということで 実 は内閣人事局の構想というのは民主党時代に出てきたわけでございますが、それは民主 党時代には実現しないで、安倍政権で実現をして、どうも安倍政治 が欲しいままに権力を握る手段となってしまったということで 、権力というか力というものが正しい方向に使われれば良いんですけれども、正しく ない方向に、本来ならば国民のために使うつもりであった武器が、そうではなくて 自分 たちの保身のために使われたかららとんでもないないことになってしまう。と いうことが 示されてしまった1つの例ではないかと思っております。

 

また縦型の利権社会 政治官僚行政の癒着の時代から横型コミュニティを重視するそういう社会に変えようではないかとか あるいは先ほど申し上げましたけれども、中央集権的な国家のあり方ではなくて、地域主権の国家にしようと こういう5原則を私たちは打ち立てて そのその方向で物事を決していこうということをを決めてきたわけでございます。 そして マニフェスト選挙  選挙において 覚えておられるかどうか ?

私こういう マニフェストというものを作って覚えておられますか? こういうもので やらしていただきました。

 

この皆さん方に1ページだけ 差し上げえれるか どうかちょっと分かりませんが 、、、

 

こう いう この中に鳩山政権の政権構想の中でも先ほどの5原則などが書かれておりますし その後 マニフェストでどういうものが大事で、そのこと をいつまでに実現させます。いつまでにどのぐらいの予算 を費やして作ります。ということなども書かせていただいております。こういう マニフェスト選挙というものが、どうもメディアやあるいは自民党あの批判なん でしょうか? 本来私はこういったマニフェスト選挙というものは、うまく  うまくというか、国民に政策の実行との責任と、それから予算をどのぐらい扱うか? というよな などを示す大変 私は ふさわしいやり方ではないかと 思っているわけでありますが、私どもが2009年にやってから必もマニフェスト 選挙にはなっていないというところが、私とっては、合点がいかない思りがいたします。

 

さてま具体的な重要な政策に関しては先ほど 岡田の方からもお話がありましたから、私から特に申し上げる必要もないと思って おりまして、子供手当てあるいは公立学校の高校の実質無償化・農業の個別所得保障制度 あるいは特別会計こは事業仕分けというものを 行って国の総予算を決定的にえ効率化しようと無駄が多い金の予算の無駄を徹底的に減らそうと そして徹底的に減らすまで はあ消費税がタッチしないということを約束をしてたわけであります。  どうしてもそこまでも切り詰めても無駄を全くなくしても それでも どうしても足りないんだという時に国民の皆さんに船長を通じてお願いをして、消費税 の増税の議論をしてもらおうとただそうでない状況の中で、消費税の話は我々はタッチし てはならないということを示合わせて政権党つくってきったというのでありますが、まそれ 管政権になって野田政権の時に消費税増税という方向になり国民の信頼というものを かなり失ってしまったように私には思えるわけでございます。

 

また 国家公務員の天下り斡旋を禁止するということも行ったわけでございます。ただできなかったこともここ に羅列してございまして 衆議院の定数を80削減しようとか 、あるいはこの日米地位協定を見直そうと あるいは東アジア共同体というものを 作ろうというようなことそんな簡単にできる話じゃはないわけですけども、その 方向が必ずしも充実できなかったということは大変申し訳なかったな~~ と そのように思って おります。さてここからが むしろ皆さん方にとっては本論ではないか?すなわちなぜ短命に終わってしまったのか?うまくいか なかったのか?ということでございます。

 

その1つはま私自身の個人的な問題でござい まして 皆方に大変申し訳ない思いをさせて申し訳ないと思いますが いわゆるこのやされたのは母からの子供手当てだと子供手当てにしては大すぎる  なんかありまして実はあの政治にはそれなりの金がる でも後 鳩山はどうせ金持っ てるんだろうから ということで企業の方からまずほとんどというか全くという ぐらいえ寄付してくださる方はおられなかった。

そのことを私も十分知ってればよかったん ですけれども 一切任せてしまっておったものですから 秘書君が困って母に 泣きついて母から私には内緒ということでこの資金提供をしてくれていたとその結果最終的にはあの贈与税を支払うという形 になったわけでございますけれども 母からの子供手当て もらっていたなということ これ自身私はこういうことで政権の気安が高まり そしてそのことを 民主党がやりたかっ た政策というものがうまくいかなかったということになれば とてもそれは申し訳ない ことでありますから 引責しなければいかんなということは理解をしておりました。ある意味でこれが1番多かったかもしれません。

 

ただそれだけではなくて 特に最終 的に私がえやめるという結論を出したのは 普天間の移設先が辺野古に舞い戻ってしまったということでございまして その ことが最大の私の、この約束を守れなかった問題だと思っております。そこのところに、3の3に いわゆる65カイリ問題というのがございます。 色々と実は普天間の移設先に関しては今日来られてる川内    え 先生

 [先生じゃ ね 先生じゃないでしょ いや 川内議員も 議員じゃないですよ、、、]

今 当時 当時かっこ 当時 屈辱を受けて来ていただいてガムテニアンがという ところがあるじゃないかと今は話もいただいたただ時間的な問題も含めて 私に は十分そのことに対して 考える理由がなかったことも申し訳ないと 思っておりますし、今から思えば 国内にする必要はまるでなかったというふにも 思っておりますます。むしろ今 「辺野古に作っても普天間は明け渡さないぞ」という風に平然と彼らは言っておりますから、普天間の牽制の女化のためにみたいな話で、そのためには 5年間とかいう話を最初言ってましたけども、あと10数年最低でもかかるという話で、 しかもそれが終わっても辺野古ができても、 普天間移設しないという話になれば、全く約束を反古にするということになるわけでござい ませんか。

 

ま その時に私が辺野古に戻してしまったヘマをしました。

その最終的に結論を出ざる得なかったのが65カイリ問題でございまして 、訓練 沖縄で訓練をしてる

訓練の一体性のために、その沖縄の北部において訓練をしてるところから65カイリ以内でなければ 移設は先はないよ。ということで要するに65カイリで120kmで円をその訓練上から書きますと  結局は適地は沖縄以外にはあり得ないということでございます 。

 

そのことが後でこれは川内などが調べていただいて

あるいは川内 は1人には先生と言って1人は申しありません。[いいや私はもどうでもいい]

実際にはこれはアメリカがそんなことを言った覚えはないということで アメリカにも マニュアルに書いてあるみたいなことは嘘であった。ということが後で分かって 結局 「役人はその騙す 総理を騙すためには平気で嘘つくな」と  ということが後で分かったわけでございますが、当時私は全てそういうものを信じてし私は信じやすい性質が1番良くないのかもしれませんが、信じて しまった私が悪かったと馬鹿だったということでございます。

 

ま そういうことがござい ましたが、やはり1番そのことが原因でありました。ただこの冷静に考えますとですねなぜこの政権取った時に、政官行 政治は自民となか敵になるのはしょうがないん ですが、官僚を敵に回したのか?それ今わる企業の大企業の皆さん特にこれは私があ2020年までに90年で25%CO2削減しますみたいなことを言ったことにに 相当反発があったというのはありますけれども、企業側も敵に回してしまって 元々 自民党とくっついておりますから そうなたるいないということかもしれません。 あとアメリカはいううまでもありません。それから あの植草先生の言葉では電ということですけども、ここでは法と書いてしまってますが、 いわゆるあのメディアですねメディアを敵に回した といろんなことをやろうとして記会見の オープンと記者クラブ制も考え直せみたいなことも 言ってたものですから 相当それを敵に的に回してしまったなという風にも思います。

 

 そのことを考えた時に、今後どうすれば良いかということであります。すなわち これから政権をもう1度奪取するためには官行政電 あるいは法それを全部 を敵にするのではなくて1つ1つ片付けるとあるいは少なくともおどっか味方にくっけておかないとえ難しいぞという ことではないか?と私は今反省をするとしたら、そこにあるのではないかと思っており ます。

 

ある時に、あるジャーナリストに疑ったら 「いや他はどんなに見方にしてもいいから メディアを敵に回せという風にメディアを 変えなければどうしようもないぞ というところまで来てるよ。」ということを言われ ました。まそういう意味でISFを作られた先生の

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2023年12月16日、17日に開催されたISFJ日本政策学生会議2023年度政策フォーラム(後援:公益財団法人 松下政経塾、30大学48研究会124研究班参加)にて、経済学部 飯島大邦ゼミが農林水産分科会の「分科会賞」を受賞しました。

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ISFJ2023 日本政策学生会議というものがあ価値のある ものだという風にも思うわけであります。こういったメディアをどう風に変えていくか?ということがメディアを 信じる国民性が大変あるのが日本ですから、そこをどのように変えていくか?」というのが 大変大きなことになるのではないかとも思います

 

最後にじゃ政権交代を導くには どうしたら良いのか?これは後で植草先生から色々とルールお話があると思いますが、私は あこの民主党決闘の時に行ったようなこのの指とまれ方式が良いのではないかと

 

すなわち え政策というものの柱を立てて、それも分かりやすいいくつかの柱を勝ててその柱 に協力をするという人たちができれば政党というものを加えてえ飛び出して報道をし ていくという  そこに潔良さというものを国民の皆さんが見い出して、関心を高めて 、そして大きな流れを作っていうことができるのではないか?と思っております。

 

また 野党時代にもう何かいい格好をしたくなって 政権に対する批判が 半ば腰が浮いてしまってるような状況も見られるわけでありますが、野党時代の自民党を見習えば とにかく政権批判を行うと どんなに小さ国であってもそのことで {やりすぎだよ。とか こんなことまでやるのか~」とメディアが色々と批判をしようとも ですね批判を続けるべきではないかということでございます。

 

それからでもやはり大事 が私は先ほど申し上げたような マニフェストというのは決して無駄ではなかったと思いますし、それも「真の意味で 日本をこのようなことをやれば独立国日本になるぞというようなメッセージを持った マニフェストを作って戦っていくということが大事ではないか?」とかってながらその ように思うわけでございます。 

 

改めて、15年ぶりにえ自己批判を含めて 鳩山政権の後悔の話も申し上げさせていただきましたが、是非今日ここにお集まりいただいた皆さん方が、この過去の話で終わるのではなく て、それをいかにして未来につげることができるかという視点の中で、大きな光を見出していただければ大変嬉しく思って おります。

以上で私からの陳述を [(笑)]これで終了させていただきます。

 

ご清聴ありがとうございました。ありがとうございました

ただあの 私の方から1件だけあのこの後時間もない

 

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 鳩山由紀夫・元首相が12月27日、自身のX(旧Twitter)を更新。 

《沖縄県民の意思に背き、辺野古の軟弱地盤の広がる地域で工事が始まることになる。(中略)それにしても裁判所は易々諾々と国に従うだけで沖縄県民の声を聞く良心はないのか》