話を黄泉の国に戻します。

https://ameblo.jp/miraihamassugumiteruyo/entry-12426117196.html からの続きです。

黄泉比良坂(よもつひらさか)

島根県松江市八束郡東出雲町にある黄泉比良坂(よもつひらさか)伝説の地

生者と死者の住む領域に境界場所がある

黄泉の国に逝った伊弉冉イザナミ尊を追って、伊弉諾イザナギ尊も黄泉の国に入ります。

神様には死というものがありません。

もしあるとすれば、「お隠れになった」というのが死かもしれません。

黄泉の国の神として、伊弉冉=黄泉津大神 

イザナミは黄泉の主宰神となり、黄泉津大神、道敷大神と呼ばれるようになった

 

カグツチノカミから生まれた神様

イザナミカグツチの出産によってアソコを火傷して黄泉の国に逝ってしまって、

ブチ切れしたイザナギが十握剣(トツカノツルギ)で切って、生まれた神々

經津主神(ふつぬしのかみ) 剣の神様

甕速日神(みかはやひのかみ) 土器の神様

磐裂神(いわさくのかみ) 鉄製の農機具の神様

イザナギは黄泉の国へ行くのです。

そこには、見ちゃダメと言ったきっり現れないイザナミに

しびれを切らして、覗きに行くんです。

すると、イザナミはドロドロに溶けた屍で蛆が体中這っていた。

ぎゃ~~って感じで、黄泉の国から逃げるイザナギを

シコメと言われる醜い悪魔たちが追ってくる。

櫛やら、桃を投げつけて、やっとの思いで入口にたどり着いたら、

イザナミが、追いかけてきていた。

慌てて、岩で入り口をふさいだイザナギに「離婚してくれ」と言われ

「お前の民を殺してやる!!!」と叫んだイザナミ

「それ以上に産ませるから大丈夫だ!」と

って会話になるんです。

民の生死が禊より先で、しかもイザナギ尊産ませると言ってるのです。

その後イザナギ尊は黄泉の国に逝ったので禊をします。

ここからは成れる神という表現を使っています。

因りて生(な)れる神を、

~~することによって 生れた神

産んだんじゃなくて、神になっちゃった。って言ってるよ。

 然して後に、

左の眼を洗うに因(よ)りて生(な)れる神を、

號(なづ)けて天照大神(あまてらすおおみかみ)と曰う。 

復た右の眼を洗うに因りて生(な)れる神を、

號(なづ)けて月讀尊(つきよみのみこと)と曰う。 

復た鼻を洗うに因りて生(な)れる神を、

號(なづ)けて素戔嗚尊(すさのおのみこと)と曰う。 

 

この順番が大切ではないかと思います。

先に民が居て、それから、天照大神 月讀尊 素戔嗚尊

が、伊弉諾尊の禊で 生ったと書いています。

^---【日本書紀】卷第一 第五段 一書第六 読み下し 引用ーー

 

 一書に曰く、伊奘諾尊(いざなぎのみこと)と伊奘冉尊(いざなみのみこと)、

共に大八洲國(おおやしまのくに)を生む。 

然して後に、伊奘諾尊(いざなぎのみこと)曰く、

「我が生める國、唯、朝霧(あさぎり)有りて、薫り滿てる哉(かな)」。 

乃ち吹き撥(はら)う氣(いき)、神と化爲(な)る。 

號(なづ)けて級長戸邊命(しなとべのみこと)と曰う。 

亦は級長津彦命(しなつひこのみこと)と曰う。 

是は風の神也。 

又、飢(やは)しかりし時に生みし兒は、倉稻魂命(うかのみたまのみこと)と號(もう)す。 

又、

海神等(わたつみのかみたち)波生む。 少童命(わたつみのみこと)と號す。 

山神等(やまのかみたち)山祇(やまつみ)小山と號す。 

水門神等(みなとのかみたち)を速秋津日命(はやあきつひのみこと)と號す。 

木神等(きのかみたち)を句句廼馳(くくのち)と號す。 

土神(つちのかみ)を埴安神(はにやすのかみ)と號す。

 然して後に、悉く萬物(よろづのもの)を生む。

 

 火の神、軻遇突智(かぐつち)生むに至りて、

其の母(いろは)、伊奘冉尊(いざなみのみこと)、焦(や)かれて化去(かむざ)りましぬ。 

時に伊奘諾尊(いざなぎのみこと)恨みて曰く、

唯、一兒(このひとつぎ)を以ちて、我が愛(いと)しき妹(いも)に替えつるか」。 

則ち頭邊(まくらへ)に匍匐(はらば)い、

脚邊(あとへ)に匍匐(はらば)いて、哭(な)き泣(いさ)ち流涕(かなし)む。 

其の涙、墮(お)ちて神と爲る。

 是、即わち畝丘(うねお)の樹下(このした)に居(ま)す神、

啼澤女命(なきさわめのみこと)と號す。 

遂に所帶(はか)せる十握劒(とつかのつるぎ)を抜きて、

軻遇突智(かぐつち)を斬りて三段(みきだ)と爲す 

此、各(おのおの)神と化成(な)る。 

復た劒(つるぎ)の刃より垂(しただ)る血、

是、天安河邊(あめのやすのかわ)に在る五百箇磐石(いほついわむら)と爲す。 

即ち此、經津主神(ふつぬしのかみ)の祖(おや)なり。 

復た劒の鐔(つば)より垂る血、激越(そそ)ぎて神と爲る。 

號(なづ)けて甕速日神(みかはやひのかみ)と曰う。 

次に速日神(ひのはやひのかみ)。 

其の甕速日神(みかはやひのかみ)は、

是、武甕槌神(たけみかづちのかみ)の祖(おや)也。 

亦は甕速日命(みかはやひのみこと)と曰う。 

次に速日命(ひのはやひのみこと)。 

次に武甕槌神(たけみかづちのかみ)。 

復た劒の鋒(さき)より垂る血、激越(そそ)ぎて神と爲る。 

號(なづ)けて磐裂神(いわさくのかみ)と曰う。 

次に根裂神(ねさくのかみ)。 

次に磐筒男命(いわづつのおのみこと)。 

 

一(ある)に云う、磐筒男命(いわづつのおのみこと)及び磐筒女命(いわづつのめのみこと)。 

復た劒の頭(たかみ)より垂る血、激越(そそ)ぎて神と爲る。 

號けて闇(くらおかみ)と曰う。 

次に闇山祇(くらやまつみ)。 

次に闇罔象(くらみづは)。

 

 然して後に、

伊奘諾尊(いざなぎのみこと)

伊奘冉尊(いざなみのみこと)を追いて黄泉(よみ)に入りて、及(し)きて共に語る。 

時に伊奘冉尊(いざなみのみこと)曰く、

「吾(あ)が夫君(なせ)の尊(みこと)、何ぞ晩(おそ)く來(いでま)す。

吾(あ)は已(すで)に泉之竈(よもつへぐい)しつ。

然れども、吾(あれ)當(まさ)に寝(ね)息(やす)まん。請(こ)う、視ること勿(なか)れ」。 

 

伊奘諾尊(いざなぎのみこと)聽(き)かずして、

陰(ひそか)に湯津爪櫛(ゆつつまぐし)を取りて、

其の雄柱(おばしら)を牽(ひ)き折(か)きて、

以ちて秉炬(たひ)と爲して見れば、

則ち膿沸き蟲(うぢ)流(たか)る。 

今、世の人、夜に一片之火(ひとつびとぼす)を忌むこと、

又、夜に擲櫛(なげぐし)を忌むは、此、其の縁(もと)也。

 時に伊奘諾尊、大きに驚きて曰く、

「吾は意(おも)わず不須也凶目(いなしこめ)き汚穢(きたな)き國に到(き)にけり」。 

乃ち急(すみやか)に走(に)げ廻歸(かえ)る。

 時に、伊奘冉尊、恨みて曰く

「何ぞ要(ちぎ)りし言(こと)を用いずて、吾(あれ)に恥辱(はぢ)みせつ」 

乃ち泉津醜女(よもつしこめ)八人(やたり)、

一(ある)に云う、泉津日狹女(よもつひさめ)を遣(つかわ)し、追い留めまつる。 

故、伊奘諾尊、劒を抜きて背(しりえで)に揮(ふ)きつつ逃ぐ。 

因りて黑鬘(くろみかづら)を投げれば、此、即ち蒲陶(えびかづら)化成(な)る。 

醜女(しこめ)見て採りて(くら)う。 

い了(おわ)りて則ち更に追う。 

伊奘諾尊、又、湯津爪櫛(ゆつつまぐし)を投げれば、

此、即ち筍(たかむな)化成(な)る。 

醜女(しこめ)、亦以ちて抜きてう。 

い了(おわ)りて則ち更に追う。 

後に則ち伊奘冉尊

亦、自ら追い來たる。 

是の時に、伊奘諾尊、已に泉津平坂(よもつひらさか)に到る。 

一に云う、伊奘諾尊、乃ち大樹(おおき)に向かいて放(ゆまり)まる。 

此、即ち巨川(おおきかわ)と化成(な)る。 

泉津日狹女、將に其の水を渡らんとする間に、伊奘諾尊、已に泉津平坂に至る。 

故、便ち千人所引(ちびき)の磐石(いわ)を以ちて、

其の坂路(さかぢ)を塞(さや)ぎ、

伊奘冉尊と相い向い立ちて、遂に絶妻之誓(ことど)を建(わた)す。

 

 時に伊奘冉尊曰く、「愛(いと)しき吾(あ)が夫君(なせ)の如此(かく)言わば、吾は當に汝の治す國の民(ひとくさ)を日に千頭(ちたり)縊(くび)り殺さん」。 伊奘諾尊、乃ち報(こた)えて曰く、「愛(いと)しき吾(あ)が妹(いも)の如此(かく)言わば、吾は則ち當(まさ)に日に千五百頭(ちいほたり)を産まさしめん」。 因りて曰く、「此より過ぎること莫(なか)れ」。 

 

即ち其の杖を投げき。 

是、謂ゆる岐神(ふなとのかみ)也。 

又、其の帶を投げき。 是を長道磐神(ながちはのかみ)と謂う。 

又、其の衣を投げき。 

是を煩神(わづらいのかみ)と謂う。 

又、其の褌(はかま)を投げき。 

是を開囓神(あきくいのかみ)と謂う。 

又、其の履(くつ)を投げき。 

是を道敷神(ちしきのかみ)と謂う。 

其の泉津平坂(よもつひらさか)、

或いは泉津平坂(よもつひらさか)と所謂(い)うは復(ま)た別(こと)に處所(ところ)に有らず、

但だ死に臨みて氣(いき)絶ゆる際(きわ)、是を謂うか。 

所塞(ふさ)がる磐石(いわ)、

是、謂ゆる泉門(よみど)塞(さや)げる大神也。 

亦の名は道坂大神(ちがえしのおおかみ)

 

 伊奘諾尊、既に還りて、

乃ち追いて悔いて曰く、

吾(あれ)前(さき)に不須也凶目(いなしこめ)き汚穢(きたな)き處に到る。

故、吾(あ)が身の濁穢(けがらわしきもの)を滌(あら)い去らん」。 

 

則ち往(ゆ)きて筑紫(つくし)の日向(ひむか)の

小戸(おど)の橘(たちばな)の檍原(あわぎはら)に至りて、

祓(みそ)ぎ除(はら)う。 

遂に身の所汚(きたなきもの)を盪滌(すす)がんとして、

乃ち興言(ことあげ)して曰く、

上つ瀬は、是、太(はなは)だ疾(はや)し。

下つ瀬は、是、太(はなは)だ弱し」。 

 

便ち中つ瀬に濯(すす)ぐ。 

因りて生(な)れる神を、

號(なづ)けて八十枉津日神(やそまがつひのかみ)と曰う。 

次に其の枉(まが)を矯(なお)さんとして生(な)れる神は、

號(なづ)けて神直日神(かむなおひのかみ)と曰う。 

次に大直日神(おおなおひのかみ)。 

又、海底(うなそこ)に沈(かづ)き濯(すす)ぐに因りて生(な)れる神を、

號(なづ)けて底津少童命(そこつわたつみのみこと)と曰う。 

次に底筒男命(そこつつのおのみこと)。 

又、潮の中に潜(かづ)き濯(すす)ぐに因りて生(な)れる神を、

號(なづ)けて中津少童命(なかつわたつみのみこと)と曰う。 

次に中筒男命(なかつつのおのみこと)。 

又、潮の上に浮かびて濯(すす)ぐに因りて生(な)れる神を、

號(なづ)けて表津少童命(うわつわたつみのみこと)と曰う。 

次に表筒男命(うわつつのおのみこと)。 

凡(すべ)て九神(ここのはしらのかみ)有り。 

其の底筒男命・中筒男命・表筒男命は、是、

即ち住吉大神(すみのえのおおかみ)ぞ。 

底津少童命・中津少童命・表津少童命は、是、

阿曇連(あづみのむらじ)等が所祭(いつきまつる)神ぞ。

 

 然して後に、

左の眼を洗うに因(よ)りて生(な)れる神を、

號(なづ)けて天照大神(あまてらすおおみかみ)と曰う。 

復た右の眼を洗うに因りて生(な)れる神を、

號(なづ)けて月讀尊(つきよみのみこと)と曰う。 

復た鼻を洗うに因りて生(な)れる神を、

號(なづ)けて素戔嗚尊(すさのおのみこと)と曰う。 

 

凡(およ)そ三神(みはしらのかみ)。 

已にして伊奘諾尊、

三子(みはしらのみこ)に勅任(ことよ)さして曰く、

天照大神は、高天原を治すべし。

月讀尊は、滄海原(あおうなばら)の潮の八百重(やおえ)を治すべし。

素戔嗚尊は天の下を治すべし」。 

是の時に素戔嗚尊、年已に長(お)いたり。 

復た八握鬚髯(やつかひげ)生(お)いたり。 

然(しか)れども天の下治さずて、

常に啼(な)き泣(いさ)ち恚恨(ふくつ)む。 

故、伊奘諾尊、問いて曰く、

汝は何の故(ゆえ)に恆(つね)に如此(かく)啼(な)くや」。 

對(こた)えて曰く、

「吾は母(いろは)の根の國に從(ゆ)かんと欲(おも)いて只泣くのみ」。 

伊奘諾尊、惡(にく)みて曰く、

情(こころ)の任(まにま)に行け」。 

乃ち逐(やらいやり)き。

引用元☛http://www004.upp.so-net.ne.jp/dassai1/shoki/frame/01/05_06/fr.htm

ーーーend--^

 


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