黄泉の国で明かされた、人間誕生。

^---【日本書紀】卷第一 第五段 一書第六 読み下し 引用ーー

故、便ち千人所引(ちびき)の磐石(いわ)を以ちて、

其の坂路(さかぢ)を塞(さや)ぎ、

伊奘冉尊と相い向い立ちて、遂に絶妻之誓(ことど)を建(わた)す。

時に伊奘冉尊曰く、

愛(いと)しき吾(あ)が夫君(なせ)の如此(かく)言わば、

吾は當に汝の治す國の民(ひとくさ)を日に千頭(ちたり)縊(くび)り殺さん」。 

伊奘諾尊、乃ち報(こた)えて曰く、

愛(いと)しき吾(あ)が妹(いも)の如此(かく)言わば、

吾は則ち當(まさ)に日に千五百頭(ちいほたり)を産まさしめん」。

 因りて曰く、「此より過ぎること莫(なか)れ」。 

ーーーend

現代文に訳すと

しかし、ついにイザナミノミコトが自ら後を追いかけ、

坂の下までやってきました。

驚いたイザナギノミコトは、

大きな岩で坂を通れないようにふさいでしまいました。

その岩をはさんで、

イザナギノミコトとは、イザナミノミコトに「離婚をしよう。」とおっしゃいました。

すると、イザナミノミコトが、
「愛しいあなたが、このようなことをされるのならば、

わたしは一日にあなたの国の人間たちを千人殺してあげましょう。」
というと、イザナギノミコトは、

「愛しい女神よ。あなたがそうするなら、

わたしは、一日に千五百の頭を産ませましょう。
とおっしゃいました。

こういうことから、人間は一日に千人が死に、千五百人が生まれてくるのです。

ーーーend

日本書紀が民について語っている場所です。

民は伊弉冉尊が死に至らしめ、伊弉諾尊が負けずに産ませるのです。

 

ここの個所は重要です。

伊弉諾尊は男神なので、産ませるんです。

産むんじゃないんです。(笑)

 

伊弉諾と伊弉冉は

万の神を生み出します。

日本書紀】卷第一 第五段 一書第六 読み下し読んでみた

 

日本書紀では、万物の神を生み出した伊弉諾尊と伊弉冉尊ですが、

人を産ませるのは伊弉諾尊の仕事で

人が死ぬのは伊弉冉尊の仕事です。=黄泉津大神 です。

 

伊弉諾尊のキ は男を表し

伊弉冉尊のミ は女を表します。

文字ついては「ねずさん」が解説されています☞http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2461.html

君が代については☛大和言葉では、もともと「イザナキ、イザナミ」、「おきな(翁)、おみな(嫗)」というように、そもそ「き」は男、「み」は女を意味します。

 

聖書(創世記)では神がいきなり出てきて

神は天と地とを創造された

所から始まり

2章7節

主なる神は土のちりで人を造り、

命の息をその鼻に吹きいれられた。

そこで人は生きた者となった。

と人の作り方が書いてあります。

 

日本書紀では

 

(いにしえ)天地(あめつち)未だ剖(わか)れず、

陰・陽、分かれざりしときに、

渾沌たること鷄(とり)の子の如くして

 

昔々 天と地が無かった時に 陰陽に分かれる時が来た

卵の様にドロッとしていた。

というところから始まり、

天と地が出来ていく様子から語っています。

然して後に、神聖(かみ)其の中に生る。 

ここでやっと神様が生まれるんです。

卵から生まれた神様♬

 

しかし、読み進めても人とか民はなかなか出てきません。

人間の話は 黄泉の国での逸話の中にありました。

 

天の神の時代があり、

神は地上にも降り立つようになります。

それが神世七代と言われる時代です。

この時に生まれたのが

伊弉諾尊イザナギと伊弉冉尊イザナミで

八百万の神の生みの親であり

民の生死にかかわる神だと言及しています。

日本で生まれた人は、伊弉諾尊の産ませた子供です。

伊弉諾尊が千五百の頭を産ませましょう

「日本書紀」では人間は産まれるんです。

国土も生まれます。

【日本書紀 卷第一 第四段 】を読む

伊弉諾尊と 伊弉冉尊の 結びの儀が「日本書紀」では書かれています。

なんともセクシャルな描写が続きます。

とっても人間的です。

これが男尊女卑???かは、別の機会に。

私は男女の違いってあると思っています。

女は産むことはできても産ませることはできないのですから。

 

聖書は土のチリから 作られるんです。

井戸端☛20時間前

(1)イザナ「ギ」、イザナ「ミ」が、君が代のキミというのは語呂合わせである。
(2)イザナギ、イザナミは、天孫の祖先として記紀に描かれているが、

我々共通の祖先については、「現存する日本神話」はない。

 

という指摘があり

検証してみる事にしました。

それで、民、人というのが

日本書紀でどう語られているのか

改めて読んでみたわけです。

<君が代のキミというのは語呂合わせである。>という指摘は

http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2461.h

ねずさんの君の成り立ちを考えると単なる語呂合わせとは言い難いようです。

<我々共通の祖先については、「現存する日本神話」はない。>

果たしてそうでしょうか?

日本書紀で示したのは

伊弉諾尊が民を産ませますよって仰ってるのだから

伊弉諾尊の下日本で生まれた日本人は伊弉諾尊によって産まれている

「キミの子孫は日本人全員だよ」

キ(いざなき)ミ(いざなみ)の子孫

っていうのは「日本書紀」を基にすると

神が産ませた、

神の子孫というのは間違いではないという事になりませんか?

 

 

とりあえず、天皇家を抜きに日本書紀を読み進めると、

伊弉諾尊=男 伊弉冉尊=女 というのが分かります。

神は柱と数えます。

人間ではありません。

柱に名前を書いて民族が祀っていると考えたら、

神話の理解をしやすいと思います。

 

神は人間の様に死なないんです。

黄泉の国に逝って、屍になって蛆がたかろうと生きています。

「お隠れになった」というと神の消滅を意味するようです。

 

「伊奘諾尊(いざなきのみこと)・伊奘冉尊(いざなみのみこと)に迄(いた)るまで、

是を神世七代(かみよななよ)と謂ふ」

卷第一 神代上

http://www004.upp.so-net.ne.jp/dassai1/shoki/frame/01/04_01/fr.htm

が神の時代ですよと書かれています。

卷第二 神代下

http://www004.upp.so-net.ne.jp/dassai1/shoki/frame/02/09/fr.htm

 

第二から人間と神が混血し、皇族が生まれます。

 

ここからは神話では無くなるようです。

 

読み進めると二二ギ降臨があり、

神が人間の形で地上に降りてくるんです。

そしてさくや姫(木の葉・花が散るように命が短い)の経歴が語られています。

辿ると伊弉諾尊の生んだ、山祇(やまつみ)小山 の子

大山祇神 がさくや姫の父になります。

姉は磐長姫イワナガ姫です。

 

^---【日本書紀 卷第二 第九段 一書第六 読み下し】 引用ーー

吾田(あた)の笠狹之御碕(かさささのみさき)に達する。

遂に長屋(ながや)の竹嶋(たかしま)に登る。

乃ち其の地を巡り覽(み)れば彼(かめ)に人有り。

名前を事勝国勝長狹(ことにつくにかつながさ)と例う。

天孫(あめみま)因りに質問曰く、

此は誰か國ぞ」

對)えて曰く、

是(これ)長狹が住める所の國也。然れども、今、天孫(あめみま)に奉上(たてまつ)らん」。

 

天孫(あめみま)、または考えている曰く、

其の秀起(さきた)」つる浪穗(なみほ)の上に八尋殿(やひろでん)を起(た)て、

手玉(てだま)も玲瓏に織經(はたおる)は少女(おとめ)は、

是(これ)誰が子女(むすめ)ぞ」。

答えて曰く、

大山祇神(おおやまつみのかみ)が女(むすめ)等、

大(あね)を磐長姫(いわながひめ)と號(もう)す。

少(いもうと)を木花開耶姫(このはなさくやひめ)と號(もう)す、

亦(または)は豐吾妻と姫と號(もう)す。云云(うんぬん)。

ーーーend

大山祇神神産みにおいて

伊邪那岐命伊邪那美命との間に生まれた神様です。

繋がりは、伊弉諾尊の子孫です。

 

その国に一人の美人がいた。

おまえは誰の子か」と尋ねると

大山祇神の子です」と答えた。

名を鹿葦津姫(かしつひめ)、またの名を木花開耶姫サクヤ姫という。

彼女を気に入った皇孫は一夜を共にした。

するとサクヤ姫は身ごもった。

しかし皇孫は「天神でも一夜で孕ませることはできない。

それは私の子ではない」と暴言を吐いた。

怒った鹿葦津姫は出口のない小屋に籠った上で

私の子が天孫(てんそん)の子でなければ傷つかない、

そうでなければ焼け死ぬ!

と誓約(うけい)をし小屋に火をつけさせた。

三人の子供が無事に生まれてきたので天孫の子であることが証明された。

兄の火闌降命は成長して海幸彦に、

弟の彦火火出見尊は山幸彦となった。

しばらくして瓊瓊杵尊は崩御し、

可愛之山陵(えのやまのみささぎ)に葬られた。

ーーーend

一夜を共にして、宿したのは、

「俺の子じゃないだろう」とニ二ギ尊が難癖付けると

「産屋を燃やして火の中で生まれたら、ニニギ尊の子でしょ」

というのがサクヤ姫 (笑)

母のコノハナサクヤは桜島、火山の神様 

そして生まれた三つ子(ホデリ・ホスセリ・ホオリ)

ホデリ=海幸彦

ホスセリ火酢芹命

ホオリ山幸彦が神武天皇の祖先。

っていうストーリーです。

 

もう一人、ホアカリ っていう名前も出てきます。

播磨国風土記の記述によればホアカリはオホナムチ(大汝)

つまりオオクニヌシの子だとされている。

ということは出雲の神につながってるのかも?

と言っても、「日本書紀」では

大国主はスサノオの息子でスサノオは伊弉諾尊の息子です。

 

サクヤ姫の出産で初めて、神の子の人間と天孫した神の混血の子供が登場します。

山幸彦は神武天皇の祖父にあたる人になります。

ヤマツカミを祀っていた一族の皇族が

大山祇神の木花咲耶姫命コノハナサクヤ姫 です。

山祇神  と書かれた柱を祭った部族は 伊弉諾イザナギ尊の産ませた子です。

 

民が繋がってる祖先は、伊弉諾尊 っていう事を

「日本書紀」に書かれているのだと思います。

日本においては、民は神によって生まれてるっていう考えが

「日本書紀」によって書かれています。

なので、虐げられた奴隷では無かったのです。

 

^---引用ーー

直木孝次郎『神話と歴史』(1971年)は、

大日 本帝国憲法(1889年)が定める天皇の統治大権 

及び神聖不可侵の特権は、

「記紀神話」以外、

根 拠を説明しようがないものだという。

 

その第1 条「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」、 

及び第3条「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」 は、

『大日本帝国憲法義解』

(1889年、憲法原案 を起草した井上毅が稿本を書き、

伊藤博文名で 公刊した逐条解説)の注釈にあるとおり、

日本 書紀の「一書」―本文の後に載っている

別伝承― が記す

「天壌無窮の神勅」に基づいて書かれた ものである

(古事記にも、日本書紀本文にも、 この逸話はない)。

引用元☛https://www.keiho-u.ac.jp/research/asia-pacific/pdf/publication_2010-03.pdf

ーーーend--^


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(*一部省略しています。書き起こしは時間がかかるので、誤字・脱字・変換ミス等はご容赦ください。「校正」より、記事のUPや 書き起こしに時間使っていますご理解ください。)