「お金の要らない、働かなくても生きていける社会」を提唱するザ・ヴィーナス・プロジェクトは実現可能か?!

 

 

人間の欲望と金、発展と文化、を考えるとこのプロジェクトには賛同できません。

多くの人のお金という価値観を一気に変える事は不可能に近い事だからです。

日本の天皇制を排除するのと同じくらい難しく議論が必要な課題で、

答えが出ないで悶々と時が過ぎていくでしょう。

ただ根底には、日本はお金が少なくても生きていける土壌はあります。

昭和には沢山存在していましたが、今はその風習が残る地域は減ってしまいました。

私は、17年間の結婚生活で農家をしていました。

そこに物々交換の世界がありました。

向こう三軒両隣が仲良く暮らした時代があるのです。

採れた野菜やお米で、私は親戚の漁師から魚を得る事が出来ました。

近所からお互い作付けしない野菜の交換を自然にしてました。

お陰で、子供たちの味覚は本物を知る事が出来ました。

美味しいものを知ってるんです。それが物々交換です。

町に住む親せきからはお歳暮の調味料、おさがりの学習机や、服が届けられたので、

お米や、野菜を届けました。

お金が無い貧乏暮らしでしたが、豊かな暮らしをしていたのを実感しています。

カニの味を知ってる息子が、スーパーでカニを見つけ食べたいと駄々をこね、私は根負けして

買って与えたことがあります。とっても高かったのに、、、

一口食べて 「要らない」と言いました。

カニは専門店以外では買ってはいけないという

学習料でした。それが私のして来た暮らしです。

それが、舌の記憶なんです。

毎年頂いた 毛カニの味に 中々会う事はありません。

私たちのレベルで行けるお寿司屋さんでは無理です。

と言っても、函館のお寿司屋さんは 美味しいです。産地ですから。

つまり、もっと上の最高レベルを知ってる 

浜ゆでの毛蟹を知ってるから、レベルの違いが分かるんです。

朝もぎのトウモロコシの味を知ってるので、スーパーのトウモロコシが食べれないんです。

娘は今年3月まで、未だにそんな生活してました。

西表島に住んでいたので、バナナが食べたければ島の人と友達になる事だと

島では売ってないんだって言ってました。

バナナは買うものではなく貰うものだと。

イノシシは狩りで獲ってきて村の皆と分けて食べたと、私にもおすそわけが届きました。

「暑くて死にそう」と言ったら、使ってないからと扇風機が届いたとか、

その代価は、「モノではなく できる事をする」なのですが、

惜しみなく体を使えるのは、小さい時から家の仕事を手伝わせてたからで

自然に身についていて、人に親切にできる子です。

そんな話が未だにごろごろしてる不思議な子なんです。

物々交換、さらに、娘のしてるサービスが暮らしなんです。

そこには発明発見工夫が沢山産まれています。

金が少なくても生きてはいける

店が無くて、暮らしていける村は存在していました。

磯場屋と呼ばれる行商人が取れたての魚を運んで来た時代、江戸から繋がる行商システム。簡素化された必要なものを手に入れる面白いシステムがあります。

家の前まで食べ物は毎日運んでくれるのですから。

私が高校生だった頃利用してました。

子供のころ「いか~いか~」という声で起こされた記憶有りますよ。 

それはお金を媒介にしています。

私の従妹が長い間リヤカーで行商していました。

軽トラックがあっても、それで行商が出来ないんだと教えてくれました。

リヤカーのスピードなら追いかけて来て買ってくれるって。

「家が坂の中腹にあるから、リヤカーって荷物あると大変だよね。」

と私が言うと、「買ってくれるもん、持ってくで、大丈夫だんべ、」と言ってました。

帰りには頑張って売れば軽くなるからって。

それが、生き生きしてたのよね。

頑固で心情を変えなかった女性なの。

築150年の家に住む代々続く農家で、幕府の官僚としても働いていた兼業農家です。

果物、季節の野菜をリヤカーで行商するマー姐さんは80歳まで漬物を作りお得意さんに届けていたのです。お土産に持ってきてくれた、あの味は 本物の伝統のつけものよ。

私の父が無くなる15年前にはまだ現役でしたが、高齢で辞めました。

跡継ぎは現在の方式なので、行商はしませんし、漬物も作れません。

そのシステムはすたれてはいるけれど、残ってるわね、トラックのパン屋さん、魚屋さん、牛乳屋さんが今でも回ってるわよ。

新たに生まれて、数年で発達したのは食事のデリバリー。

簡単にいえば、食事作りが困難という人が介護保険で受けられる給食システム。

トドックさんのようなスーパーの宅配っていうシステムね。

電話一本で届けてくれる。

予約がきちんと管理できれば便利よね。

人の欲しいという欲求にこたえる事が出来るの。

 

これはね、お金という媒体を使った物々交換である事

つまり便利なシステムを使ってるのよ。

それを利子という形で銀行が既得損益者の利益を生むシステムに利用していたの

そこを変えれば、お金は便利よ。

インドが キャッシュレスに踏み切ったけれど、詳細が分からないままよ。

日本はこれでベーシックインカムが出来るかもしれないわよ。

国会で決められた予算額を数字で銀行に割り振ればね。

そこに実在の紙幣が介在しないの。政府管理の数字が書き込まれて動くのよ。

カード決済がレジと連動で出来れば難しいことでは無いわよ。

スイカに連動してれば交通費もこれで払えるわ。互換性の問題よ。

ネット決済は簡単だろうし。レジ問題を解決すればいいだけよ。

イスラム圏の金融システムは 学ぶべき点があると感じる。

マレーシアはイスラム圏の銀行の中枢よ。

利子をとらないシステムがある。

と言っても産油国は巨大オイルマネーを日本の株式投資につぎ込んで利益を上げていたわ。

オイルマネーの引揚の補てんに使って株価を買い支えたのはGPIFよ。

これにより、日本の日経平均銘柄の1/4 が国営企業になってしまったの。

新聞やTVでは報道されにくいようね。

官製相場で起きた大企業の国営化は たった2年で成し遂げられたのよ。

経済学者は 大人しいわよ。

巨大年金マネーは 日本企業の大株主になったって 新聞発表 見たことある?

こんな、凄い事なのに。

国民(年金受給者) が 日本企業の大株主で塩漬け株が多くなり

流動株が減って 投機しずらくなったのよ

オイルマネーの撤退が招いたことよ。

こういう金融を すべてチャラにするってできるかしらね?

戦後日本は

http://www.geocities.jp/tanakaiku/japancurrency/showa_b/showasengo.htm

(昭和21)2月の金融緊急措置令により、預貯金の封鎖が行われ、新円切り替えが実施されました。
預金引き出しは一定額に制限され、手持ちの旧円紙幣は証紙を貼って限定利用されていました。
然しながら、戦後復興のための資金需要は大きく、GHQは日銀に大量の紙幣の印刷をさせ、
インフレは急激に進むことになりました。一方、小額紙幣、硬貨については措置令の枠外で、そのまま利用
出来たため、流通量が増大したようです。

戦後直ぐ上記をやらされたのよ。農地改革もね。

それは、戦争に負けたから 有無を言う暇は与えられなかったからできたのよ。

戦争でも起こさない限り出来ない所業よ

その状況を望んでる組織って現存するかもだけれど。

怖いわね、~~内閣!

いわば、明治維新、戦後、金の奴隷になったのよ。それは悲しい事で

見直すべきことが山程あると思う。

でも、金は、システムとして便利なので媒体として残そうとする考えは

無くなると思えないです。

抑々、日本の金融システムの始まりは

平の清盛の時代にさかのぼって検証しないと分からない事で

歴史の中で、その真実がどれだけ残ってるのか?

って事は研究者でもデータが少なすぎて知ることができないわよ。

ましてやそれ以前の卑弥呼の時代では、もう手掛かりさえあるのかどうか?

ってくらい分からないことだらけよね。

それだけ続くシステムを代えて どう対処するのだろう?

まだまだ疑問だらけです。

 

私の考えは間違ってるかもしれないけれど、

生きてるって 笑って 泣いて 悲しくて嬉しくて、憤ることもあって

喜怒哀楽があるのが人間らしいと、それが 好きなの。

命が無い相手からは 記憶をたどるしかない感情でも、

記憶の中に生きた証が無ければ存在しない、あれば心に生きてる。

それが命が傍らに存在したッテ事

私の兄が生まれてすぐなくなってるそうなんだけれど、

私には母からの記憶の伝達があるので可哀想だなって気持ちになれるの。

それが人間なんだと。

伝記が理解できるのが人間よ。

 

そして栄枯盛衰を楽しむのよ。

それがなぜいけない事なのか

未だ私には理解できていない。

此の世を 命を楽しむこと、時に悲しみがあり、憤りって事が無い人はつまらない。

此の世を天国にするのは

命ある者達だって 思えるのよ。

悲しい事が有ったら それを乗り越えるのか?

拘って、復讐心に燃えるのか?

 

そこが分かれ道よね。

武器を置かなければ 乗り越えられないわよ。

復讐心を捨てるのが、天国への道よね。

此の世を天国にしないでどうするのって話は

私くらい 宗教にがっかりしないと無理だろうけれど。(笑)

私は、15歳で寝たきりになった息子をある人に救ってもらってから

此の世が天国だって思えるようになったのよ。

宗教では救ってもらえないわよ。

現在、30過ぎて、普通に働いてるよ。

 

なので、死後の世界とか、っていう宗教感は私には必要が無いって

思ってるの。

私の先生は、太陽に感謝しなさいって教えてくれた。

その場で 太陽が出ていればいつでも

心で合掌してその恵みに感謝するのが大事だって。

そこにお金や人が介在しないのよ。

私と太陽の間には 光が満ちてるだけよ。

雨や雪が降れば 其れも感謝よ。

これで作物が今年も順調だって、思えるから。

農家やっていたから。私の場合は大いに百姓に近いけど。

百の姓が集まってる共存社会っていう意味よ。

雨のお陰様は 感謝でしかないわ。

 

>「物々交換で質素な暮らし」といった自然回帰や文明を回避する話ではない。巻き戻しではなく「早送り」した「お金のいらない世界」を想像してほしい>

 

私は今は、お金の使われ方の問題だと感じる。

マネーゲームだったり、

使われない数字が通帳にあることが問題のような気がするの

生活に回らないっていう意味ね。

私より、優れた人が多いから 良いシステム考えている人はいるのだろうけれど、

ヴィーナス・プロジェクトの考えでは 対応できない。

お金がある人が考えたことだから

無理が 多いと感じるよ。

人間ふるさと求めてるし、たとえ開発でその地が無くなっても。

未来都市が必ずしも喜ばれると思えない。

求められないッテ感じるよ。

 

お金が無くてもいいという考えは必ずしも当てはまらないのよ。

介護保険で受けられる給食システム。

これは満足する人が少ないのを私は実感してるの。

人それぞれ味覚が違うのよ。

万人向けを3食は難しいのよ。

子供は味覚が未発達で劣化もしてないから給食は難しくないけれど、

老人には堪えるのよ。

施設の給食は長年の食生活と違うのだから。簡単に喉を通らないのよ。

食べなければ、下げられてしまうだけよ。

自力で食べれなければ 胃瘻つけるしか手立てが無くなる。

その前に 食べる筋力の回復っていうのもありなんだけれど

認める医療機関は無いと思うよ。

私は、自分の手で母に施したけれど。これは誰でもが出来る事ではないよ。

 

そこに福祉系サービスが存在する。

これが未来形にならなければ、

ロボット、サイボーグといった感情の無い人間が生まれてしまう。

人間の感情を豊かにする方が未来形だと私は感じています。

集中ではなく分散です。

個性を豊かにし、それを認め、仲良くする、時に喧嘩をし、相手を知る。

相手の立場で物の考え方がまるで違う。

このヴィーナスプロジェクトの動画の中の考えが後天的で遺伝では無いと言ってるのはその通りと思います。

では、その考え方の違う人とどう折り合いをつけるかの問題の解決はどうするのでしょう?

この動画では解決できない問題が底に存在してしまいます。

不公平という感情は争いを生みます。

欲がある限り、不正が起きます。

嘘つきが 正直者より 生き方が上手いのです。

それをずる賢いと日本語で表記します。(笑)

私は、よく人に言うのですが 

共産主義という哲学には 「人間は嘘をつく」という前提が抜けてるから、

どんな立派なことを言ってもそれを政治に取り入れようとしたら失敗するよって。

ずる賢い人 が権力者になるための道具だっていうのが歴史が教えた事よ。

資本主義も 同じ道を歩むのよ。

 

最近「イ・サン」っていう 韓流ドラマ もう一度見直してみました。

韓流ドラマは 嘘っていう捉え方が上手くて、そうだ、これ納得っていうのが多い。

こういう風に考えていけば この人にとっては 筋が通ってるけれど

道理は 通してくれるかどうかは 仲間なんだって感じます。

これについては別に書きたいと思ってます。

 

嘘つきが居るって事。

じゃ、どうすれば良いかって?

受け入れればいいじゃない。

ずる賢い人も。

それが天皇であろうと、王様であろうと貴族、官僚であろうと 構わないの。

「国民が普通の生活送れるだけの施ししなさいよ。」

これだけよ。

弱いものの面倒を見るのが 権力者の義務で

国民への思いやりよ。

民という考え方が根付いてるから国民よ。

貧しい家庭に生まれた、金持ちに生れたってだけで

人の道が定められてるのが現世よ。

それを天国にすればいいと言ってるのよ。

子供が生まれたら社会が育てるって当たり前のことが出来てないのが日本なの。

非正規雇用者が子育てするには劣悪すぎなのよ。

それが、連鎖して、そこからはい出せないのよ。

保育所問題も学費問題も金の問題なら解決は早いのよ。

予算=数字作るだけだから。

数字は国会予算委員会で話し合いで決めればいいわ。

憲法の基本的人権に照らせば、60才退職した場合

その後の 生活費は 生活保護出しなさいって話よ。

勿論、医療扶助つけてね。

医療費がかからない手立ては 政治が考えればいい事よ。

貯金ある人もない人も、収入ある人も無い人も一律

暮らせるだけの同じ額を数字支給すればいいのよ。

年金廃止して、生活保護並みの数字をカードにべーシックインカムしてよ。

そこで登場するのが数字を打ち込むキャッシュレスで決済する方法よ。

現金化出来なくても物が買えて、支払いできれば問題なく使えるよね。

給料もこのカード決済になれば数字が動くだけよ。

国民の持ってる多用のカードで対応できるようにすれば良いよ。

 

例えばゆうちょカードを登録して数字を受け取る。ネットでネット銀行やプリカやスイカに数字を振り込みして使ったりクレジットに振り込みして使えればほとんどの支払いが出来てしまうわよ。スーパーやガソリンスタンドのプリカ入金のシステムに組み込めば幅は広がる。ANAカードに入れたら飛行機にも乗れる。

 

60歳以上の国民のカードに記載されたベーシックインカムの数字は生活費だから市場に出回って大きな数字が動くのよ。車屋さんとかクレジットで集まったデカい額から給料の数字打ち込めばいいだけなんだし。諸々部品代、メーカー支払いなんて数字だって今まで通りじゃない。現金動いてるって会社を探す方が大変よ。どれだけ互換性のあるカードを持つかだけよ。

 

米国の株式市場の額が大きくなるのを見てたら数字が増えてくのよ。どんどんね。

そういう事なんだと思うわよ。お金ってね。今はカードに表示される数字なのよ。

数字が管理されて使えればいいだけなのよ。

 

それが、カネなんて刷れば良いだけっていう小沢氏の発言につながるのよ。

今は刷る必要すらないわよ。

 

共済年金も男女も枠を払って一律 

現在の月14万弱を支給すれば、

60歳以上の人が生活を整えるだけで

社会は潤うわよ。夫婦2人なら28万の収入で十分暮らせるし、一人暮らしもできる額よ。

これで、60歳以上のホームレスはいなくなるわよ。

介護下宿、介護施設料が払えなくなる人の対策は別途、考えればいいわ。

介護保険の見直しで解決できそうな問題よ。民間施設への補助金とかでね。

介護が必要で施設に入った人はそのレベルで使えるお金の額ってそれほど差が無いのよ、

認知症の人にダイヤを与えてもその価値は分からないの。

思い出の品以外はね。

其れすらも意味をなさなくなるわよ。

そして働く人にサービス代金が支払われてるの。

ベーシックインカムの数字は関連業種と介護士の給料に変わっていくのよ。

その延長線上にあれば混乱はないわよ。

若い人はうんと働いて家や車を得ればいいわよ。

作る人が居なければ買う事が出来ないから

若い人は働いてもらおうよ。

60歳のベーシックインカムの根拠は、

働かなくても食べていける人は孫の面倒も、子供の面倒も見れる年っていうのが

独り身ならボランティアもできるでしょうし、

遊、外食ばかりしたとしても生活するだけで、大変な還流になるのよ。

コンサート開いたら客が入るっていうシステムよ。

必ず若い人にこの還流は波及するわよ、

社会に向けて何かを発信することもできる年よ60歳代は。

数字が回れば、1500円時給だって可能になる

段階的に上げればいいのよ。

働きたい人は働いて、好きな事すればいいわ。

奨学金返済問題 の解決も考える事ね。

奨学金破産が現実の問題よ。

奨学金の肩代わり国がしてよと思うよね。

 

技術を持ったものが活かせる場を作れば発展してくわ。

年金の使われ方を変えたのだから、

つまり、システムを壊しちゃったんだから、

その補償は政府が担う責任があるのよ。

企業は株価を支えているGPIFに内部保留を還元すべきよ。

介護施設の充実も必要ね。

色んなシステムがあって良いと思うわ。

多様化すればするほど、個人に有った生活を選べるわよ。

学費、介護費用の基本的人権に沿った基本が充実されれば

余剰は向上につなげる事が出来るよ。

 

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