ごみを捨てる時、断捨離という言葉が頭をよぎる。要るものと要らないもの、使うものと使わないもの、大事なものとそうでないものを自分の中で決めて捨てよう。といった掃除の方法であるのだがその判断基準は何なのだろう。
それらは全て主観で成り立っているものでは無いだろうか。よく言われるのが“今”必要かどうか、“かも”は捨ててしまいましょう。と言ったことであるが、まず今に明確な期間がない。更にこれはこじつけになるが夏なら炬燵、冬なら扇風機を捨てて良いとなってしまうのではないか。
最近では“人”も断捨離し、自分にとって“必要のない”“大事ではない”人を切り捨てた方が良いといった意見も見受けられる。
しかしそれは結局のところスッキリするためにやるのではなくただ楽になりたいがための行為なのではないだろうか。
“必要のない”ではなく“無関心”、“大事ではない”ではなく“大事にされてない”から自分にとってそれは要らないと決めつけて手放そうとしてるだけではないだろうか。
中には“大事なのに大事にされてない”から捨てるかどうか迷っていると言った人もいると思う。
大抵の人は口を揃えて
「もっといい人がいる」
「関わる人は考えた方がいい」
「なんでそんなやつとまだ関係続けてるの」
などといった発言をする。それは良心から、心配から、下心から、偽善から、色々な考えがあると思われるが捨ててないわけではなく捨てられないから困っているのだと理解してくれる人は少ない。
捨てられるような関係なら何も困ってはいない。
恋慕、信頼、尊敬、友情、羨望、記憶、そのどれかかもしれないしそのどれとも違う思いがあるのかもしれない。そんな重いものどこかに置くことが出来たなら楽なのかもしれないけれど、そう簡単に捨てると割り切ることは出来ない。
ただ、ただ、仲睦まじくありたいだけなのにそれすらも上手くいかない。
恨んでるようで気にかけ、憎んでるようで敬い、怒っているようで愛し、妬んでいるようで憧れ、死んで欲しいと思いながら死にたいと思っている。
結局のところ答えなどなく、雑然とした言い訳を書きたれ流しながら自分自身に嘘を吐き、今日もごみは増えていく。