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4月3日は私の尊敬する柴田敬三氏の命日です。
この世から去ってから11年が経ちました。
オフコースカンパニーの社長だった岡田正嗣氏からの紹介で柴田氏と出会い、彼からは沢山のことを学び、そして沢山の天才秀才を紹介いただきました。
当時私が所属していた市民生協には生活クラブ神奈川の横田克己氏を紹介していただき、福祉や産直のあり方などを学ぶきっかけを作っていただきました。
一方では阪神淡路大震災の起こったその日のうちに、兵庫選出の衆議院議員高見裕一氏と一緒に災害ボランティアの立上げを私に要請し、「ボランティア山形」を結成することになりました。
もともと小学館の編集者だった柴田氏は、多くのミュージシャンと友人となって、彼ら彼女らの作品やラジオ番組の助言やプロダクションの独立や移籍の橋渡しをするなど、その辣腕ぶりは後に政治家を育成する方向に向いていくのでした。彼は小学館から独立して1981年に企画会社「パン・クリエイティブ」を岡田氏と設立し、1986年6月には「ほんの木」という出版社を起こして、NGOや市民運動、そして歌手の写真集などを手掛けていきます。
その代表作が「中森明菜写真集」、地球市民を標榜する雑誌「アップデート」を発行し、次々に日本の言葉の壁や儒教的な日本の閉じこもった思考にメスを入れ、現代鎖国の状態を打ち破る若者や学者などを掘り起こていくのでした。
ほんの木にはいつも新鮮で時代の先取りをしているようなジャーナリストやミュージシャン、政治家やシンクタンク的存在の者たちが集まっていたものでした。
その中でもいまは素晴らしいミュージシャンになって活躍している者、国会議員や首長として改革を目指している者、環境運動家や社会運動家、それにこれらを縁の下で支えプロデュースしている者たちが全国各地に存在しています。
「健康の本や教育の本、平和いや環境の本を作っておきながら、誰よりも早くこの世を去ってしまった柴田さん。それはないでしょう!?」と柴田氏に別れの言葉を語りかけた山本コウタロー氏の言葉が忘れられません。
柴田氏の功績にあらためて敬服し尊敬をする私です。
(写真は右側が柴田敬三氏 左側は世田谷長保坂展人氏)
午前2時半頃、虫プロ商事COMの洋子さんから電話で「井上クン。飯田クンが亡くなった」と連絡がありました。
飯田耕一郎さんはCOM編集部で知り合い、つい最近までメル友でお付き合いしていました。
マンガ家や批評家としても活躍されていました。
故みやわき心太郎さんの作品集も発行されていました。
写真は2015年3月14日に東京東陽町でのCOM編集部記念撮影。
右から2人目が飯田耕一郎様。
このメンバーで今存命なのは石井文男編集長様と私となりました。
淋しい限りです。




