思いを書いているだけのブログ

 

スピリチュアルを学んで感じたのは、スピリチュアルの一つ一つの点は合っているのに、繋ぎ合わせ方を誤ってしまうことが多く、方向がズレやすい世界だな、というところでした。

 

一つの点をどの角度から眺め、どのように受け止めるかで、繋がっていく線が変わります。

 

 

過去のブログを読んだくださっている方には伝わっているかと思いますが、私は、「アンチスピリチュアルカンセラー」な面を持っています。

決して全てがNOではありませんが、拒絶に近いNOを感じる部分が多くあります。

 

なぜNOなのか?

それは、長年真剣にスポーツをしてきた私にとって、そのスポーツで学んできた精神性と、スピリチュアルカウンセラーから教わる内容に大きなズレを感じてきたからです。

 


長い目で物事を見ていると、自由に動きにくい面はあります。

でも先に見据えているものにブレがないなら、それで問題がないのだと今なら分かりますが、それを良しとしない教えを行う方が多く、もっと感情を大切にして思うままに動くようにと諭されることがよくありました。



真剣にスポーツをしていると、自分にムチを打って取り組むことは頻繁にあります。

「もう休憩したい」と思っても、「ここまで頑張ろう、ここまで達成しよう」の選択を取り、苦しいと思いながらも取り組みます。


そしてそうして努力していても上手くいかない時、「もう辞めたい」の思いがかすかに過ぎりながら、自分を奮い立たせてやり切ります。

その連続で、目標地点まで進んでいきます。



スピリチュアルカウンセラーをされている方の中には、「辞めたい気持ちを大切にしよう」、「辞められないのはエゴだ」、「外側に結果を求めているから苦しくなる、違う」と教え何処かへ導く人がいます。



精神性の高い方から教えを請わないと、目先の利しか見ない選択になってしまいます。



努力すること、我慢すること、嫌でもやること、耐えること、人の気持ちをどこまでも慮ること等々、どれも大切なことですが、精神性が高くない方の考えは、これらを良しとしません。




例えスポーツをしていなくても、「何か一つ継続しよう!」いうものを作り、向き合っていく。

今日は出来なかったから✕ではなくて、出来なかった自分と明日はどうするのか、また逃げるのかやってみるのか、何故逃げたくなるのか、課題を変えてみるのか等々、「思考」を使って自分と向き合っていく。



この「思考」を嫌うカウンセラーさんも多いのですが、自分より高い精神性の思考を持たれているとコントロールが出来ませんからね、何度と注意されるなら、師匠ではなくなりつつあるのだと理解する時だと思います。

 


毎日1km走る。

ただそれだけでも、自分の精神性は磨かれていきます。