最近強く思います。人生って『愛することを学ぶこと』だって・・・
自分が愛するものに、自分もなってゆくこれは『注目』するからですね。愛するものに意識を向け、愛で、注目するのです。すると、自分のなかにも同じものがあったのです。(自分の中にないものは見えませんからね)自分のなかの愛するものを見つめ、愛でましょう。自分を愛しましょう。自分を丸ごと愛しましょう。
心配は怖れから生まれ、恐れは攻撃の思いから生まれる逆に言うと攻撃の思いがなければ心配もないと言うことですね。自分が攻撃的だから相手を恐れたり心配するということです。自分の周りがつねに敵だらけなんですね。そう思っているから、攻撃的になるし、要らぬ心配をするということです。もっと信頼してもいいんじゃないでしょうか?!
無邪気さはパートナーへの最高の贈り物無邪気とは、書いて字のごとくよこしまな気持ちのないことです。嬉しければ嬉しいと、楽しければ楽しいとそのまま表現することです。誰かが見ているからとか、恥ずかしいとかいらぬ気を使わないでいいのです。
すべての罪悪感は、ひきこもりや攻撃性をつくりだす罪悪感というのは実際に罪があるわけではないところに感じることが往々にしてあります。たとえば、ある人の為に余暇sれとおもってしたことが受け入れられないとき、無力感から罪悪感を感じます。受け取る、受け取らないは相手の都合なのに、無力感で引きこもったり、「なんでよ!」と攻撃的になったりします。
あなたの人間関係は、あなたの観念体系を反映している人生とは自分を知る旅ですね。自分の観念体系はどのようにつくられ、自分の人生を形づくってきたのでしょう?そして、躓き省みた時に古い観念体系を捨て、新たな観念を身につける・・・そんなことをくり返している気がします。いつでも選びなおすことができます。
心から価値を認めているものは、失うことがない逆説的に言うと、失ったものには価値を認めていなかったということですね。せつないです。失ったものに心揺さぶられることがしばしばあるからです。生きていれば得ることも失うこと も多いわけですが、失ったものに執着しがちなのはなぜでしょうね?もう二度と手に入らないと知っているからこそですね。
神は変幻自在の姿であなたのもとへやってきている自分という映写機を通して見えるものはひとつの幻想でしかなく、自分のまわりに要る人々は実は神との約束によって自分を成長させるために使わされたキャスト出在るというふうに見てはいかがでしょう?つまり、的だ味方だとか、合う合わない人がいるのではないと、みな、神の化身だと・・・。悪役を買って出てくれている人に感謝!
あなたの人生の目的が充実感をもたらすここで言う『人生の目的』とは天命のことでしょう。天命は言葉で表せることではないかもしれません。つまり、自分の天命を自覚する人は「まれ」なのです。なぜなら、それは『あり方』そのものだからです。あり方を充実させることが目的を生きる(天命を生きる)ということのようです。
あなたが受け取るものは、受け取る価値があると考えているもの例えば、同じプレゼントを贈られても『みすぼらしいもの』として受け取らない人もいれば手作りだと見抜き、愛を感じて喜ぶ人もいます。その人が何に価値をおいているかは簡単に透けて見えるということです。どのような価値観を持っていてもいいのですけれど、自分の宝箱になにが入っているか一度見てみましょう。
あなたと幸せの関係は、あなた自身との関係でもある幸せは『なる』ものではなく『感じる』ものです。どのようであれば幸せを感じますか?自分に幸せを感じさせてあげていますか?安心。安全であることは勿論、自分を慈しみ、リラックスと緊張のバランスが取れていて、自分が必要とされるところへ導かれ、生きていることがすばらしいと感じ られることを自分に許します。