「私、ダメだなぁ・・・。」
って、幼稚園の教室の床の上
赤いクレヨンで絵を描きながら思ったのが
私の、いちばん古い記憶。
私は幼稚園を、一度、引っ越しで転園しているので
そこから計算すると、恐らく4歳くらいだったのかなと思います。
一人のお友達が描いている絵を、周りに集まって
真似して描いていました。
「あの子は、お友達に好かれて、囲まれていいなぁ。
私は、誰にも好きになってもらえない。
私、ダメだなぁ・・・。」
そう思った記憶が
強烈に残っていました。
その頃の他の記憶も
友達のお誕生日会に誘われて行ったとき
幼稚園バスに乗っていたとき
どこかなんか寂しかった気持ちが
いつもセットでくっついていました。
いつも寂しい。
いつも足りない。
いろんなことはソツなくこなすタイプだったけど
それを鼻にかけるので
周りには嫌われていました。
小学校に入っても
虐められるけど虐めることもするみたいな
もう、本当にどうしようもない子どもで
友達なんかいませんでした。
自分のことは、大っ嫌いでした。
中学生のとき、クラスメイトが
「自分のこと好きじゃなかったら
生きていけないじゃん!」って言ったのを聞いて
めちゃくちゃショックを受けました。
たいして仲良くもなかったのに
その子の名前も覚えてるくらい、強烈でした。
みんな、自分のこと好きなの??
自分のこと嫌いだったら、生きていけないの??
って、すごい衝撃だった・・・。
それ以来
どうしたら自分のことが好きになれるのかを
いつも考えました。
いつも、考えていました。
どうしたら、自分でいいって思えるのかな。
どうしたら、生きてていいって思えるのかな。
大人になっても
死にたい、死にたいとは言うものの
飛び降りるでもなく、
手首を切っても大した深さではなく
よくいる面倒くさいやつで
ちゃんと死ねる人を、尊敬すらしていて
思いきれない自分
死ぬことすらできない自分
それをどこかでわかってるくせに
口だけ死にたいっていう自分を責めてました。
どうせ死なないんでしょ?っていう言葉に思いっきり反応し
生きたくても生きられない人もいるんだからって言われては
うるさい、だからって
自分のこのつらい(と思ってる)気持ちが減る訳じゃねぇ、と不貞腐れ
前向きじゃなきゃダメだよと諭されては
はぁ?てか前ってどっちだよ?
私が向いてるこっちが後ろって
なんでわかんの?と屁理屈をこねていました。
どうしたら自分のことを好きになれるんだろう
どうしたら生きてていいって思えるんだろう
その答えを探すために
本を読んだり
セミナーに行ったり
セッションを受けたり
自己啓発塾に行ったり
ものすごいお金と時間を労力をかけ
ただただ、「自分を好きになる」
「自分を受け入れる」ことに費やしてきました。
その中で学んだのは
「他人と過去は変えられない」ということ
「変えられるのは、自分と未来だけ」ということ
最初は、自分を変えようと思いました。
好きになれるような自分に変わればいいと思いました。
自分を変えられるのは自分だけ
そう思って、
更に自分と向き合い続けました。
不安と戦い
迷いを断ち切り
「行動」し続けました。
何も変化がないなら、行動が足りないと思って
また、お金をかけて行動する日々。
そのうち、よく目にするようになったのは
「自分と向き合い、ありのままを認めることが大切」ということ
そこから、変化は始まるのだということ
自分をありのまま認めるように
自分の想いを、受け止めるように
見たくない自分を見て
聞きたくない声を聞いて
全部自分、だから、受け止める、認める
そして、どうしたい?って自分に問う
それを繰り返してきました。
「その日」は、急にやってきました。
自分の想像を、遥かに越えた形で、本当に急に。
その日のずっと前から、流れはあったようで
ある、尊敬する先生のセミナーで
「自分史を書きなさい」と言われました。
「自分史っていうか、自分ストーリーね。
小さいときから、何があって
自分はどう感じたのか。
めちゃくちゃつらいですよ。
追体験しますから
何度も、手が止まります。
でもね
すごい癒しが起こるんですよ。
書いた人にだけわかります。
書いてみると、同じようなリズムを刻んでいます。
だいたい、何度も同じようなパターンを繰り返すんですよ。
それを、自分ストーリーを書いて、見つけて
修正していくんです。」
書いた人にだけわかるなら
パターンが見つけられるなら
それを修正できるなら
その先生が言うなら、書こう。
もう、同じ繰り返しは嫌だ。
そう思って書き始めました。
実は、それより何か月か前
大好きな方の出したワークブックの中に
同じような「わたし年表」を書くワークがありました。
同じように、パターンを見つけるために。
自分の人生のテーマを見つけるために。
このとき書いたものをベースに
更に、詳しく書いて行きました。
一回目に書いたとき「確認」したパターンを
更に「再確認」することになりました。
前回、見つけたパターンを
多少は克服したけれど
まだ、同じことやってたな。
まだ、持ってたな。
でも
一回目の二回目の間に
ある人に出会ったことで
私は、自分と向き合うことが
うまくなっていたんだと思います。
一回目のワークでも、
書いてはあったけれどもできていなかったことが
できるようになっていたんだと思います。
以前は、向き合うということは
ただ、自分を見つめる
自分の感情を見つめる
それが「在る」ということを認識する
なぜそう思うのかを聞いてみる
どうしたいかを、感じてみる
というプロセスだと思っていました。
でも、二回目までには
そこに「余計な思い込み」
「古いプログラム」のようなものが入っていないか
無意識に作動している反応はないかを確認することが
前より深くできるようになっていました。
自分が感じたことを認める
そこに、その感情が「在る」ことを認識する。
そして
なぜ、そう思うのかを聞いてみる、という段階で
本当に?
勘違いとかじゃなくて?
それ、まだ必要?
その判断、自分でしてる?
それとも、どこかか誰かから無意識に貰ってきてしまったもの?
今も、そう判断して
その考え方を採用することで、
自分はラクに生きていける?
変えないことでメリットがあるとしたら何?
変えたら困ること、ある?
本当はどうしたい?
本当は、どうなりたい?
本当に、ほしいものは何?
それをほしいって言わないのはなぜ?
・・・・みたいなことを
もう、どこにも言い残したことはないよねって
本当に納得するまで
自分に聞くようになっていました。
尋問にならないように優しく聴いてあげないと
プライドが山より高いクセに小動物並みにビビりで
ハートがうっすいガラスみたいに
すぐに砕け散る私は
ちょっとしたことで拗ねるので
うんうん、と
優しい瞳で頷きながら
話を最後まで聴いた後で
コーヒー片手に落ち着いた声で聞いてくれる
脳内彼氏を発動させつつ
(↑これほんとにおススメです)
自分に聞いてみていました。
そして
そのときは、深堀りして終わっていたのですが
あるとき
動画を見ていたのです。
少し前までは、
理解ができずに、見ようとは想えなかった方の動画でした。
物言いが強くて
そこに優しさや愛などを感じることができずに
受け取ることができなかったのです。
でも、なぜか今になって
すごく真っ当なことを仰っていて
すごく真っ直ぐで、素直で、正直で
優しくて、強くて、愛でしかないなと
違った感覚で受け取ることができるようになっていたのです。
なんでだろう?って思いました。
なぜ、私は今、この人の言葉を受け取ることができるようになったんだろう。
なぜ、前は受け取ることができなかったんだろう。
どこに、何を感じていたんだろう。
そう思ったときでした。
あ、私
この人が言うくらい、自分はすごいって思ってた。
自分はなんでもできて、天才で、すごいんだ!!って
ちっちゃいとき、思ってた。
私は特別で、いちばんなんだって、思ってた。
なのに
集団生活に入って、そう扱われなかった。
みんなと同じだった。
それで、めちゃくちゃ怒ってた。
なんで、大切にしてくれないの?
なんで、みんな私を好きでいてくれないの?
なんで、すごい!!って言ってくれないの?
私が特別じゃないなんて
私がいちばんじゃないなんて
こんなの、オカシイじゃない!!って
ものっすごく、怒ってた。
はらわた煮えくり返るくらいに。
それに、何かをすれば負けることもあった。
負けて、悔しくて
泣くほど悔しくて、我慢しきれなくて泣くんだけど
周りをみたら
負けたからって悔しくて泣いてる子なんかいなかったから
私、おかしいんだって思った。
悔しいって思っちゃ、いけないんだって思った。
その
怒りと、悔しさを、全力で否定して
ないことにしようとした。
「私は、ダメだ」で蓋をした。
私は
誰より自分が特別だって思ってて
誰より、自分は素晴らしいって思ってた。
このことに気づいて、びっくりしました。
私、もともと
自分、ダメだって思ってた訳じゃなかった。
もう、最初から、生まれつきかなっていうくらい
自分のこと嫌いでダメだって思ってたんだとばかり思い込んでたけど
間違ってた。
40年近く、
自分の過去を間違えてた。
過去が変わらないなんて嘘だ。
例えば誰かと別れたとか壊れたとか、
起きたことは変わらなくても
亡くなったとか
その人が生き返るとかはないにしても
自分がこうだと思いこんでた過去なんて
こんなにも不確かなものだった。
簡単に、間違えてしまうものだった。
だけど、間違った過去が、自分にとっての唯一の真実で
その過去にしがみついて
その過去を通して
今までずっと、自分の世界を見ていた。
『自分はダメだ』というフィルターを通して
世界を見ていた。
そうではなかったことがわかったときの衝撃を
どうしたら伝えられるだろうって思います。
すっごく難しいです。
日本人だと思ってたら、5か国くらい別な国の血が入ってたみたいな
『私は〇〇だ』
この〇〇が、
根底からひっくり返るんです。
世界が、変わるんです。
自分がガラケーだと思ってたら
実はiPhone7だった、みたいな感じ。
できること違うんです。
撮った画像も、全然、映り方が違うんです。
出す音も違う。
ガラケーが悪い訳じゃありません。
前の私が、ダメな訳じゃない。
生きにくかったけど、価値がないとかダメとか
そんなんじゃない。
でも、
認識していた過去が変わったというだけで
そのくらいの変化が起きるんです。
起きました。私には。
自分ストーリーを書くと
すごい癒しが起こります。
書いた人にしかわかりません。
こういうことだったんだなって思いました。
そして今。
自分を好きになれたかっていうと
・・・・どうでもよくなりました。
自分を好きだとか、嫌いだとか
生きてていいとかダメだとか
そんなのはどうでもよくなった。
好きでも嫌いでもここに私がいて
ダメでもよくても生きている。
好きとか嫌いとかに捉われなくなって
自由になりました。
すごく、自由になった。
あんなに毎日苦しかったのに
今は、すっごくラクになりました。
いろいろやって
たくさんの方々に助けられたけど
私にとっての大きなきっかけは
自分ストーリーを書くことでした。
でも、自分ストーリーを書いている間
めっちゃきつかったんです。
だいぶ長くなったので
続きます。