2018年になりました。

 

2017年は、見える世界が変わってしまったような

死ぬまで忘れないであろう一年になりました。

 

あまりにすごい変化だったので

どうすりゃいいんだと胸に抱えながら年を越してしまった・・・。

 

今はこんな風に見えているけど

明日には変わってしまっているかもしれない

元に戻ってしまうかもしれないと

どこかで少しだけ思いながら過ごしたけれども

 

戻りたくても戻れないみたいな

なんかもう、彼氏とつきあい始めて一年経ったら

最初の初々しい頃には戻りたくても戻れないみたいな

もちろん、嬉しいんだけども不思議な気持ちになりました。

 

脳は、急な変化には弱いものです。

 

 

2017年中に何度か大きな変化があったのだけれども

そのうちの一回は、12月だったかな。

 

親方さんに教えてもらったぽいぽいワークをやっていたときのことです。

 

別な方もぽいぽいワークというのを公表していらっしゃるのですが

親方さんのは、自分ではないモノは全部捨てる。

そして、反対のものがあるなら、それも捨てる。

 

〇〇なのは私ではない

〇〇ではないのは私ではない

 

というのをひたすらやっていく。

 

人にどう思われるかに捉われる私は私ではない。

人にどう思われるかはどうでもいい私も私ではない。

 

反対側もやるのがポイントなんだそうで。

 

なんでぽいぽいワークやってたかっていうと

ある場所でのキャラを捨てたかったから。

 

自分は変化しているのに、ある場所に行くと

それまでの「できない私」でいてしまう。

そういう場所に必要以上に立とうとしてしまう。

それがめんどくさかったから。

 

「よく食べてる人」って思われてると、

別にお腹空いてないし好きなお菓子でもないのに

〇〇さん、食べるんじゃない?とか言われて

違和感を感じつつ、「もらおっかな~」とか言って食べてしまうやつ。

 

キャラって怖いな~。と思う。

特に私はキャラを守ろうとしてしまうのが自分でわかっているし。

そして特に最近、ズレがすごくて違和感が苦しかった。

それで親方さんにぽいぽいワークを教えてもらって

何気なくやってた。

 

 

でもこれ、何気なくやったらすごいことになってしまって

・・・あれ?待てよ?

私が私と思っていたものはなんだったんだ?と思い始めた。

 

 

何かができない私。

何かができる私。

何かの性質がない私。

何かの性質がある私。

どこかに所属している私。

どこかと繋がっている私。

几帳面さがないとか。

がさつだとか。

仕事が遅いとか。

めんどくさがりだとか。

日本人だとか。

女だとか。

 

ある一定の線引きを超えているか超えていないか

ある範囲に入っているか入っていないか

そういうことで、私は私を描いていたんだな。

 

 

私、「制限」でできていたんだな。

 

 

制限があって、区別、分離があるから

私は私を私だと思えていたんだな。

 

 

制限をなくそうとか分離をなくそうとか

多分、どこかでそうなりたいと思っていたけど

制限がなくなったら、

今のこの私は私ではなくなるんだな。

 

って思ったのです。

上手く言えてないような気がするんだけども。

 

 

白い紙に「自分」を描くように言われたら

まず線を引く。

自分以外のものと自分を分ける線を引く。

 

その線の中が私。

外は私じゃない。

 

白い紙のまま、制限も分離もない状態の私は「神」だ。

 

白い紙は、私しかいない。他に誰もいない。何も起こってない。

多分、それも「私」なんだろうな。

 

 

でも、この世界に生きている私は

白い紙の上に、手や足や、目や口を持って描かれている。

3次元だから紙の上じゃなく、粘土で作られた人形みたいになって立ってる。

私は誰かじゃないし

誰かは、私じゃない。

区切られている。でしょ。

 

 

ひとつひとつ、ひとりひとり。

 

なんとなく、たくさんの人形がいろんな場所に立っているところを想像したときに

勝ち負けじゃないなと思ったのです。

優劣でもない。

いい悪いでもない。

そして、みんな同じ、でもない。

 

それぞれがそれぞれの座標に、ただ、立っていると思った。

それぞれの座標に立って、世界を見ている。

 

 

目の前で、家が火事になっていて

ある人は、大変!って思う。心から心配している。

ある人は、すげー!って完全に他人事で野次馬になってる。

ある人は、消すために行動している。

ある人は、ざまぁみろ、って思ってる。

それも、多分感情はひとつだけじゃなくて

大変!って思いながらすげー!ってちょっとだけ思ってるとか

ざまぁみろって思いながらそう感じる自分を責めてる人とか

すげー!とかも思わずに無関心とか

同じ行動していても

助けたい一心の人もいれば

なんでこんなことしなきゃなんないんだって思ってる人もいるかもしれないし

多分、みんなそれぞれの視点で、位置で、自分にしかない感情で捉えてるんだと思う。

 

それのどれがいいとか悪いとか

ないんだなって思って

 

私はずっと

ざまぁみろ!って思ってしまう自分を責めてきたけど

本心から心配して行動する人でいたいと思っていたけど

 

私の立っている、今、この座標が私の位置で

もちろん、どうしたいかどう在りたいかを自由に選べるけれども

どう感じたか、どう動いたかを責めたりする必要はないんじゃないかと思ったのです。

 

人とは違う、私としてここにいることが

白い紙のままでは世界を創れなかった、何も感じることができなかった「私」からすれば

意味のあることなのかもしれないなと思うのです。

私が、私の位置で、私の目や心を通してこの世界を見ている、ということが。

 

 

 

世間で凶悪犯罪が起こって

「そんなことする人がいるなんて」というインタビューを見る度に

自分の立ち位置がどんなところなのかが何となくわかる。

 

10年くらい前、ある場所で事件が起こったときに

その直前の犯人のネット上の書き込みが新聞に掲載されていて

私はすごく「わかる」と思ってしまった。

世間の人が理解できない犯人の気持ちを、私はわかる、と思った。

 

「一線を越える」という、その一線が見えたことが何回かあった。

その度に、踏み越えずに済んできたけれども。

 

だから、やってはいけないことをしてしまったひとを見る度

私には、自分から遠い人とは思えずに

あの一線を越えてしまっただけの人、

さっきまで隣を歩いていたけど、

私は右に曲がってあの人は左へ行った、くらいの近しい人

という感覚になって

自分のいる場所や今までいた場所の危うさ、脆さ、みたいなものを思い出す。

ちょっとだけ違っていたら、と思う。

今、ここにいることが奇跡なんだと思う。

たまたま私はここにいて、

たまたまあの人はあそこにいる。

 

 

でも、そんな自分の気持ちや存在を

「そんなことをする人がいるなんて」と疑いなく心から言える人に

わかってほしいとか認めてほしいとは1ミリも思わなくて

それでいいんだって思う。

そのまま、そこにいてほしいと思う。

 

 

越えてはいけない一線の近くまで来ることは愚か

あるかどうかもわからない、

存在すら意識しないくらいの感じで一生生きてほしいと本気で思う。

アイドルがトイレ行くのを見たくないくらい。

いやもっと。

叶恭子がババシャツは着ない!くらいの感じで。

「こんなエレガントさのない服を私が着る訳ないわ」くらいの感じでずっと

「そんなことをする人がいるなんて」と無垢に言い続けてほしい。

だって、それぞれの担当だから。

みんなが悪意や殺意やどうしようもない感じを感じなきゃいけない訳じゃないから。

病気にならないとお医者さんになれない訳じゃないから。

 

ただ、それぞれがそれぞれの立ち位置にいて、世界を見る、経験する。

その位置に優劣も善悪もないんだって

 

 

それだけ書こうと思ってたはずだったのに暗い!!!!!!

 

 

 

そんな暗いイメージで世界を見ていた私でしたが

2017年、自分のしてきた壮大な勘違いに気づきました。

 

愛されていないと思っていたけど、めっちゃ愛されてました。

できることなんかないと思っていたけど、できることありました。

暗くて重い場所かと思っていたこの世界は

めちゃくちゃ軽くて明るかった。

そう思ったら

あれ?私の記憶、間違ってたかもとかまで思い始めて

自分が握りしめていたものがどれだけ曖昧だったのかわかったし

過去がどれだけ不確かなものかもわかった。

わかったというか・・・

なった。

記憶は曖昧なものになった。

過去は不確かなどうでもいいものになった。

制限や分離も、自分を彩るオプションになったし

世界はいくらでも変えられる、選べるものになって

思った以上に選択の幅は大きい。

無限の可能性という言葉は「なんでもできる」という意味ではなく

どんなことも等しく起こる確率がある、という意味で

だから、なんでもできると同時に何もできないこともある。

いいことも悪いことも無限に選べて、正しいも間違ってるもない。

だから、どっちでもよくて、なんでもいい。

 

なんでもいいんだから

想像を超えた最上級にしあわせで

高揚しすぎて爆発するようなパワフルなあったかい気分を

白い紙になる直前くらいの

「私」という視点で経験できたらおもしろそうだなぁ。

とか思ってみる。

で、ひとりじゃなくてたくさんの人たちと

嫉妬心とかも欠片もない私で

一緒に歓び合えるとかきっと最高。と思う。

 

まだ嫉妬心あるから~。

そんなのが消えて喜べる私を経験してみたいなぁ。

楽しいだろうなぁ。

 

 

 

しばらく実家にいて、好きなときに好きなように好きなことがなかなかできなくて

今、こうしていることはとってもしあわせなんだなぁって思っています。

ネットに繋がってるPCいつでも使えていつでも書けるってすごーい!

 

でも、こういう自由をより楽しむために

全てを把握し思い通りにして安全を守ろうという

重たい形で愛してくれる親を選んだんだなと思いました。

 

 

明日は神社巡りしてきまーす。