ここ数回・・・
書きかけてはやめてしまったことが何度も続いて
なんだかなぁ
書きたいことがない訳じゃないのになぁと不思議に思っていた。
親方さんに、鬼になれと言われたこと
一日に何度も強烈に思い、捉われる「めんどくせぇ」を
受け入れようと思ったこと
うわ、私、悩むのが生きがいだったんだ~とか
衝撃を受けたこと
とか
書きかけて書ききれないので
もにょもにょしていた。
でも、今日、なんとなくそうかもと思ったんだけど
今までの自分が「心が動いている」と思う感覚と
今の自分の「心が動いている」と思う感覚が
恐らく変わってしまったんだなと・・
今までは、ジェットコースターみたいな
心が極限まで下がることとそこから上がることを
「感情が動いている」と思っていたとしたら
今のはきっと、目の前の絵画を観て
静かに、だけど深く「感情が動いている」感じなんじゃないかな。
外食のハンバーグ大好きー!!!ってずっと思ってたけど
ふと、あぁ、納豆ご飯美味いわ~ってしみじみ思うような
キラキラしてスタイル良くて
わかりやすく可愛い女の子を「あの子いいよな~」って言ってたのに
なんかどーでもいいちっちゃいことで
地味な女の子がなんか気になっちゃって
別にどうでもいいはずなのに忘れられなくなっちゃうような
多分、そういう
「あれ?俺、こんなんじゃなくね?」的な
戸惑いの中にいたような気がするな。
私はきっと、ずっと悩むのが好きで
ずっと悩んでたことに光が見えるのが好きで
それはもうサウナが異常に好き!みたいな
がんばってがんばって、息が抜ける感覚みたいなのが好きで
穏やかなしあわせより不幸に敏感で
悲しい、痛い、苦しい、しんどいという動きに敏感で
そういうのを表現する言葉を多分ものすごく知っていて、持っていて
カタチにするのも得意だったんだろう。
今の自分に起こっていることが何なのか
それを、感じ取って言葉にすることには
まだ慣れていないんだろう。
つらい、とかさ
苦しい
しんどい
やるせない
いたたまれない
どうしようもないとか
そういうことならいくらだって言えるけど
嬉しい~
楽しい~
しあわせ~とか
本当に出てこないし。
もう、感情のセンサーが偏り過ぎ。
いままで使ってないとこ使い始めた。
こりゃなんじゃ??って思い始めた。
周波数が変わった・・・というか
チャンネルが違うところに合い始めた・・・
かもしれない。
ような気がする。
そう思ったらなんかしっくりきた感じがして
多分、頭が追いついていないんだなぁと
思い始めました。
意外と
それまでの感覚からの変化とか
習慣からの変化
反応の変化をただ、あるがまま
起こるがまま観ることって難しいんだなって思いました。
でもこれから
自分の変化をなるべくそのまま見ようとすることで
新しい言葉も自分に入ってくるんだろうな。
言葉って、知っているのと
身体に入ってるのとはちょっと違うなぁって思っていて
例えば「切ない」って言葉も
本当に、胸がきゅってなったり
悲しいでもない、悔しいでもない
これってなんだろうって思ったときに
あー、これが「切ない」なんだなって思ったときに
「切ない」って言葉が身体に入ってくる感じがして。
それはただ言葉を知っているのとは違うなぁって思っていて
その、自分への入り方が人それぞれ違うから
私が話しているのは日本語だけど「わたし語」で
Aさんが話してたら日本語でも「A語」だし
(いやなんかまぎらわしいけども)
Bさんが話してたら「B語」で
だから人それぞれ、正確には違う言語を話しているんだろうなぁって
そういう感覚が昔からある。
だから「世知辛い」っていう言葉を知っている人でも
「世知辛い」という言葉がしっくりくる気持ちを
味わう経験をしたことがない人は
「世知辛い」という言葉は身体には入ってないだろうし。
「世知辛いなぁ」って身に染みて思って、身体に入ってくる、
刻まれるのとは違うなぁって。
ただ、多分、これ「どんな経験をしたか」じゃなくて
「どこにセンサーを向けていたか」なんだと思うな。
どこにセンサーを向けて
どの感情を選び
どの言葉を身体に入れたか、刻んだか。
だから
経験そのものは変えられなくても
身体に刻む言葉は選べるんだよなー。
まとまってない自覚はありますが
多分そのうち、まとまる気がします。