突然ばってんか、、、、
狐とタヌキてんなこつ化けるとだろか?
俺の考察はねぇ。
「全く化けないとはいえない」
って。(笑)
元々、人間がここまで情報伝達機能がなかった頃は化けてたんじゃないかって思ってるったいね。
といっても、あんな漫画チックに完璧に化けるとかじゃなくて、ワンピースのチョッパーの人型みたいなレベルだと。
もしくは人型に限らず
「あぁ・・・化けてやがんな?」
って一目ですぐ分かる程度、当時は千匹に一匹くらいの割合でいたんではなかろーかと。
でね?
それが基本にあって、人間の心理でますます助長していったんじゃないかって。
だって、現在の世の中でも
「摩訶不思議」
ってことあっじゃん?
まぁ京極堂の言葉を借りれば
「世の中に不思議なことなんかなにのだよ?関くん・・・」
となりますが!(笑)
数年前にこの田舎町である年寄が居なくなったったい。
でね?
結局見つかったのは考えられないような崖の下で見つかったと。
普通に考えても
「絶対立ち入らない場所」
みちゃーな感じのとこだったらしいったいねー。
で、結果
「狐に化かされた」
っていう話もまことしやかに風評伝聞されると。
つまり
「非常識」→「原因究明」→「原因不特定」→「摩訶不思議」→「推察」
と言うふうに推移して「結果」というものをどうしても求めたくなる心理上そうなるんじゃないかって。
実際
「狐がばかした」
としても、ソレは狐が化かしたんじゃなくて、その崖の方に歩いていたジイチャンの心理状態がそういうものを見せたんじゃないかと。
いや、見せただけって言うだけで
「化かした」
っていう事と同じて思うったい。
つまり
「狐に化かされる」
と言うのは
「狐」
が化かすんじゃなくて
「人間の内側」
が化かしてるんだと。
で、何故それが狐かって話になると
「その昔、やっぱり少なからず化けるって事実があったんじゃないのかな?」
って。そう思うのですよ。
今はその必要性がなくなって、その機能が
「退化」
したんじゃないかなーって。
若しくはソレを見るほうの機能が退化したのかも。
だって、何十、何百億年っていう時間の中で様々な生命体が進化していったという過程を鑑みれば不思議な事じゃにゃーたい?
「この世に不思議なんてことはないのだよ?関君!」
また、そう考えた方がロマンチックたい!(笑)
って、今ウチのジーちゃんが母ちゃんと
「狐は見たことにゃーけど、タヌキはたまに居るもんねー」
って話してたのを聞いてて思ったお話でした。(笑)