我が家に於ける夫は、元々朝起きれば「おはよう」夜自室に戻る時には「おやすみ」

何かしてあげれば「有り難う」の言葉をちゃんと言う人でした。

 

私の友人の旦那様は「有り難う」の言葉は愚か、朝夕の挨拶など聞いたことも無いと、

言っていましたが、ある時、その旦那様が癌になり、身体が思う様に動かなくなった時、

言ったことも無い「有り難う」を言うようになり、気持ち悪かったと、友人から聞きました。

その一ヶ月後、旦那様は帰らぬ人となってしまったのですが・・・。

 

友人からのその言葉が頭に残っていた私は、

夫が緊張性気胸を発症する一ヶ月前あたりから夫の言葉の変化に気づきました。

「おはよう」「おやすみ」はいつも通りなのですが、何かをしてあげた時の言葉が

ただ「有り難う」ではなく、敬語になっていったのです。

 

「何時もお世話を掛けて済みません、有り難うございます。」って。

そんな言葉を聞いた時、私は友人の旦那様の事が頭に浮かび、一瞬心がざわつきました。

「いえ、いえどういたしまして。何時もの事ですから御気になさらず。」と、

わざとおどけて答えたものの、心は不安でいっぱいでした。

この頃、夫は動作時の息苦しさが増していた様で、益々私に世話を掛けると、

心苦しく思っていたのかも知れませんが・・・。

 

その後もそんな調子で敬語でお礼を言われるようになりました。

心の中ではもう、夫の死期は近づいているのかもしれない。と、少なからずも感じていました。

そんな折、話の流れが思い出せないのですが、

「俺が死んだらNさん(私の名前を何時もさん付けで呼んでいました。)は○デンの園へ

入ればいいから。」と、言うのです。股関節の悪い私の行末を心配しての言葉ですが、

今何故そんな事を言うのか?と、ちょっと?の私でした。

「ん~、でも残念ながら犬が2匹もいるから入れないよ。」と、言う私に

「犬も老犬ホームに入れればいいよ。あまり無理をすると歩けなくなるからね。」って。

「うん、分った。マンションも売って、○デンの園へ入るから私のことは心配しないで。」

と、私は話を終わらせました。

 

夫から唯一、遺言らしい言葉を聞いたのはこの時だけ。

でも、亡くなった後、諸々の手続きに必要な書類関係を探していたら

夫名義の財産目録と、その一切を妻に相続する。と、封書に入った遺言書が有りました。

 

間質性肺炎と診断されてから、残念ながらそう長くは生きられないだろうと、夫も私も

子供は居ないが死んで直ぐに永代供養は寂しいよね。と、

動ける内にと終の棲家である墓も建てました。

二人が亡くなった後のせめて13年間の墓地の管理を甥に託すと約束もしました。

 

最低限の終活はしてきたものの、「後何年生きられるのか」などの会話は勿論したことなど

無かったのです。

だから遺言書を残してあることは全く知りませんでした。

それに、子供が居ないからと言って夫の兄弟が少しばかりの我が家の財産を

寄こせと言う人は一人として居ないんですけどね。

余程私の老後の資金のことも心配だったのでしょう。

 

 

病院での定期検診でも徐々に繊維化は進んではいるが、大丈夫。と

言われ続けてきたのです。っが、

実は転院先の担当医(呼吸器内科の免許も有るが、専門は呼吸器外科)からは

もうご主人の肺は末期も末期です。と、はっきり言われたのです。

勿論私も気胸がすっかり治り、退院できたとしても、次入院する事が有れば多分、

危ないだろうとは予想はしていました。

 

それは、毎日交わす会話での言葉遣いと、動作後の夫の呼吸の仕方をみていたら

夫の死期は近いのかもと、思わずにはいられない状態だったのです。

 

他にもお礼など言葉にしたことも無い人がお礼を言うようになり、その数か月後には

帰らぬ人となった。と言う話は聞きました。

死期が近づくと無意識に感謝の気持ちが言葉に表れるのでしょうか。

それとも本人の意識しての言葉でしょうか。

 

何気にちょっと気になる言葉の変化でした。

 

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