こんにちは♬

昨日あたりからグッと湿度が増してきたバルセロナ。

筋トレ後、海辺の甲羅干し後の汗の出方が変わってきましたよぉ。

 

 

今日は、

悪を見て行動するのではなく、

その悪を見る心を手放して、光を見て、ゆだねる

ことについて書きたいと思います。

 

 

ある出来事がありました。

これを夫に言うと彼の性格上、

高い確率で怒りを買うと思われる

怒りを見るのは嫌だし、

私はそれによって恐れを抱くかもしれない

だからこのことについては言わないでおこう

それで全てうまくいく

 

こんな風にしていること、無いですか?

 

私がまさにそうでした。

 

 

どこかでも書きましたが

幼少期、両親の不仲や不機嫌に

不安と恐れを抱いていた経験から

今も人の表情を気にしたり、

身近な人の不機嫌な顔を見ると

軽く恐れが出たりします。

 

でも上に書いたように

怒りを見るのが嫌だから、

知られずにおこうと隠しておいても

自分の心の恐れは消えないんですよね

 

知られるか知られないか

行動は問題じゃなくて、

また行動でどうにかしようとしても

どうにもならなくて、

 

自分の心に既に不安や恐れがある

そのことにフォーカスしたいですね

(夫の怒りを買うと思った時点で

すでに恐れや不安を一瞬感じているはずですし)

 

自分のその心が人に投影されて

いろんな場面でそれを見ているだけなんです

 

やっぱり自分の心が原因

 

 

怒りは悪だ

不機嫌は罪だ

不仲でいるのは悪だ

 

 

そう思っている限り

何度もそれを世界にみます

 

だから

悪と罪を見ている誤った心を訂正する

悪と罪は幻想なのですから

 

聖なる教師にその心を差し出して

そこに光を見ることが出来るように

学びの機会となるようにお願いする

 

そして

自分は一体どんな世界を望むのか

 

いつも愛と感謝の中で過ごしたい

いつも奇跡を受け取っていたい

全ての人と奇跡を分かち合いたい

 

祈り、

ゆだねます

 

真に祈れば

きっとうまく運ばれます

行動面も導かれるはず

 

 

今日も心の学びを

多くの人と分かち合うことが出来ますように

 

 

愛をこめて

美和

 

夫が牛に見えた時があってその場で描いた絵。

 

 

(あとがき)

いや~しかし自分て結構、

悪をチラ見してからそのまま行動していることが多いな~と発見。この気付きも学んでいる証拠です!

 

ちゃおっ