このブログは、私たち家族が経験した次男のことを書き残すための体験記です。悲しみや感謝、日々のことをありのままに綴ります。読んでくれる方の心に少しでも寄り添えたら幸いです。(※長文です)



9月9日 — 次男との物語



私は25歳、妻と3歳の長男がいる個人事業主(理容師)です。

長男が2歳のころ、妻と「子どもがもう一人できたらいいね」とよく話していました。妻は妊娠しにくい体質でなかなか授からず、焦ることもありましたが、長男が3歳を迎える約2か月前に二人目を授かることができました。とてもうれしかった。発覚してからは、長男と遊ぶ姿を勝手に想像してワクワクしていました。


長男は3歳になり、わがまま真っ盛りの時期。あれやりたい、これやりたい、と賑やかな毎日です。一方で妻はつわりが重く、精神的にも不安定な日が続きました。私は理容師で朝が早く夜が遅い仕事。どんなに頑張っても21時を過ぎてしまう毎日でしたが、なるべく早く帰るようにしていました。やっとできた子どもに悔いを残したくなかったからです。


つわりが少し落ち着き、食事も少しずつ取れるようになったころ、赤ちゃんは順調に育っているように見えました。しかしある日、先生から「切迫早産の可能性があるので自宅で安静にしてください」と言われ、妻は会社を休み、そのまま産休に入りました。安静にしたことで張りは徐々に落ち着き、家では長男が「赤ちゃん生まれた?」と何度も聞いてくる温かい時間が続いていました。


私たちは無痛分娩を希望していました。通っていた病院では毎週水曜日のみ無痛分娩を行っており、出産予定日は9月3日でしたが、触診で子宮口が開いておらず予定が1週間ずれ、入院は9月7日、出産予定日は9月9日になりました。「あと少しで会える」――家族みんなで楽しみにして病院へ向かいました。


入院前の検査があり、妻の名前が呼ばれました。私は荷物を持って待合室で待っていましたが、病室に近づくとどこかで誰かの泣き声が聞こえました。中に入ると、妻が泣いていて看護師さんの表情も暗く見えました。先生が言いました。


「何度も確認したのですが……赤ちゃんの心拍が止まっています。」


頭が真っ白になり、意味がわかりませんでした。「なんで」「そんなわけない」「嘘だ」――そんな言葉が脳内を駆け巡り、すぐには涙が出ませんでした。できることは妻をそっと抱きしめることだけ。自分の無力さを痛感しました。


少し時間が経ち、妻が震える声で「ごめんね」と言ったとき、自然に涙が溢れました。後2日で会えるはずだった希望に満ちた未来は一瞬で絶望に変わり、言葉が出ませんでした。妻は謝り続け、自分は何もできなかった自分がとても嫌でした。


その日は湖のように涙があふれ、家に帰ってからも胸の中は空っぽでした。義母が駆けつけてくれて、私は両親や職場へ報告の電話をしましたが、声は震え、言葉がまともに出せませんでした。長男が保育園から帰ってきて「赤ちゃん生まれたー?」と言ったとき、夫婦で涙があふれ、長男は困惑していました。私は重たい口を開き、「赤ちゃんね…お空に行っちゃったの」と伝えました。長男はまだ意味を完全に理解していない様子で、ママのお腹を触って「ここにいるよー?」と言ってくれ、その無邪気さに救われました。


その夜、私は手紙を書こうとコンビニへ歩き、久しぶりにお酒を買いました。文字は震え、最初に書いた言葉は「ごめんね」でした。「もっと一緒にいたかった」「パパ・ママと呼んでほしかった」「抱きしめたかった」――そんな思いをただ書き連ねました。


翌日、病院で再び検査を受けるとモニターには心拍がありませんでした。分娩の流れに従い、促進剤で出産が始まりました。私はただ妻の手を握ることしかできませんでした。子宮口がなかなか開かず一度は促進を中止しましたが、その後また陣痛が進み、9月9日の午後6時32分、次男が生まれました。


次男は体重3126g、身長50.5cmの立派な男の子でした。顔立ちは長男に似ているところが多く、将来が楽しみだと思えるほどでした。しかし産声はなく、全身の力は抜けていました。抱いたとき、現実が一気に押し寄せて足腰に力が入らないほどでした。医師からは「へその緒が細く、血流が十分に届かなかった可能性がある」と説明を受けました。理由がわかっても、悔しさや悲しみは消えませんでした。


私たちは次男と写真を撮り、できる限りのことをしました。妻は入院を続け、私は家に帰ると長男が「ただいまー」と迎えてくれ、その瞬間に涙があふれました。長男はぎゅっと抱きしめてくれ、気を遣っておもちゃで遊んでくれました。その優しさに何度も救われました。


次の日、次男のためにたくさんのおもちゃやミルクを買って病院へ向かうと、彼は穏やかに眠っていました。アンパンマンのぬいぐるみ、振ると音の鳴るおもちゃ、長男が好きな昆虫のおもちゃ――たくさん並べて次男に見せました。病院からは死産証明書を受け取り、市役所に届け出をしました。書類を出すとき、認めたくない気持ちと悲しみが押し寄せてきました。


葬儀の準備を進め、「息子を家に連れて帰りたい」とお願いしたところ快く承諾していただき、その日から次男は家に帰ってきました。初めてで最後の「誕生日&おかえりパーティー」を家族で開き、毎晩4時間おきに保冷剤を交換しながら「暑くない?」「寒くない?」と声をかけて過ごしました。保冷剤を交換するたびに、ミルクをあげているような感覚になり、その時間はとても大切で楽しい時間でもありました。


親戚も多く来てくれて、次男はたくさん撫でられ抱っこされました。火葬当日、最後の保冷剤を交換したとき、これで最後なんだと実感して涙が止まりませんでした。最後に何度も抱きしめ、ありがとうを伝えました。手紙やおもちゃも棺に入れました。


遺骨を入れるネックレスを用意し、これからも次男と一緒に旅行に行こうと考えています。海、プール、飛行機、新幹線

家族四人でたくさんの思い出を作りたい。次男が見られなかった成長も、私たちが見届けていきます。


ありがとう。愛してる。