ququのブログ

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日常、本、DANCE 思ったこといろいろ

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泣いた。

つらいことが彼の身に日常茶飯事のように起きてしまうから、
悲しいときにはむしろ泣けなかった。
平等を保つことの難しさ、人間の欲はとどまらないことを感じさせられることの方が大きくて。

でもちゃんと人を信じることや愛や友情は描かれていて、そこに感動して泣いた

最近たまたま、今ニュースで話題だった凶悪な事件の話を彼としていて、
彼からもっと極悪非道な事件はある、と教えられて、日本にも信じられないような鬼畜としかいいようのない事件があったことを初めて知って、
ナチスの本も戦争の本も読んでいて人間は所詮生きるためになんでもするもの、とは思っていたけれど、それは頭だけで自分が思っていたんだってことを思い知った。
生きるためでもなくて精神が病んでいた訳でもなくて発作的に欲や何かに駆られてでもなくて、悪魔のようなこともする人が日本の近代や現代にいたことが衝撃的すぎてぞっとしたから。

更に、今日お昼ご飯を食べながら、生活保護のニュースやアメリカの経済ニュースを読んで、人間の欲は自らのみを助け他者を蹴落とすことに働いてしまっていくことが社会に現れてしまっているということ、それをどう解決していけば良いか分からないし、人と議論もできないほど知識も持てていないことが恥ずかしいし、残念にも感じていたばかりで。。。
大人になるってこういうことを知ってしまうことなのかしら、という気持ちに。

でも自分も自分の生活をこれ以上下げることはできないし、苦労してきた両親にいつか良い思いをさせてあげたいと思うし、聖者のように自分の欲をすべて捨てて他者に捧げることは出来ない。自分だってまだ平均的な生活にも至れていない!せめて平均より上になりたいとは思ってしまう。海外旅行だって近くで良いから行ってみたいと思っている現実。

変えられる夢、理想を夢みることも出来なくなっているのが一番悲しいのかもしれない。
小学校くらいなら、社会の問題なんてとても簡単に見えていたから。
戦争なんてみんなが欲を捨てて仲良くなればなくなる!とか。
今はそんなシンプルで簡単にみえることの実現がいかに難しいことかをニュースでみて、きいて、その具体例のような小さな小さな出来事が会社や身の回りで起きているのをじわじわと味わってしまって純粋になりたくても心に否定が起きてしまう。

でも、この本で少し救われた気がした
具体的に何がというのは応えられないけど。読んでよかった:-)

あと、本は読むタイミングで受ける印象が変化していくんだろうな、ってこの本によってまた感じることが出来たのも面白い発見だった。
この本も、妹尾河童さんの河童が覗いたインドを読んでいなかったら気持ちよく読めなかったと思う。主人公の少年が経験してきたことが全部日本の常識では信じられないようなことばかりだから。
インドについての知識があって、貧しい人の理論があるんだと知らなければ、当然のようにモノを盗む人や弱者を利用して稼ごうとする人がたくさん出てくることに対しての衝撃や不条理への腹立ちや疑問ばかり印象に残ってしまったと思う。
(ちなみにこの本の主人公の正義感や倫理観は日本人も共感できるものである)
”わしらインド人は、まわりの不幸を目にしても、それに影響されないという優れた能力を持っている”
こんな風に大人が思わないと生きていけない社会だから。倫理観を保っていたら生きていけないから。善悪を突き通せば弱者は生きていくこともできないから。
あと、『食べて、祈って、恋をして』でとても仲良くなったバリのワヤンに駆け引きをせざるをえなかった話も覚えていたから。貧しい地域での文化、考え方というものあることを理解するのは、肌で感じていない分、何冊かの本で説明されないと心に落ち着かなかったと思う。

学んでいたからこそ受け入れられる知識もあれば、学んでしまったからこそ純粋ではいられなくなる。

でもこの小説の少年は生きてきて学んできたからこそ幸運にも巡り会えたから、
やはり学んでいくこと、清濁あわせもって生きていきながらも濁りに流されないで自分を見失わないことが大事なんだ
ということも教えてくれた。
世の中に鬼畜な人がいたとしても、自分はそういう風に生きていくしかないんだ