さぁて、ご無沙汰してしまった。。

ただでさえ遡って書いているのに、追いつかない。笑

 

さて、今はというと、マリーバにいます。またね…笑

このあたりはいつかのその日に書こう。

 

刻一刻と迫ってくる退職日と申告しないといけない日。こういうとき、気兼ねなく話せる上司っているのだろうか。いるわけないよね。

私の上司はふたりと課のリーダーがひとり。合計3人に話さなくてはならない。そう、そしてすべて「女性」そして、40代未婚者。そんなに簡単に話せる間柄でもない。リーダーは、課に異動してきたばかりだったけれど、今まで同じフロアで働いていて、初めておなじ部署のほかの課の方とミーティングしたときに、すごい嫌味を言われた人で。笑 でもこの方にも、かわいがってもらった。マネージャーは筋金入りのこじらせ女子。ほんとうに厄介な方だった。かわいがってはくれたし、個人的にも飲みに連れて行ってもらったけれど、どうもこうも人が嫌なところをついてくる、マネージャーを思えない方だった。お仕事以外では、かわいい女子なのに。そして最後に、部長。この方なしでは、この会社の私はいなかった。

ホテル業しか経験のない私を、雇用してくれた。感謝してもしきれない。この気持ちにうそはないけれど、やっぱりこじらせている。女性として、みんな素晴らしく活躍され、男性社会でここまでの地位を気づきあげたのは、ほんとうに尊敬する。

だからこそ、ことば、態度、残念だった。リーダーに話すときは、お姉さんみたいに話しを聞いてくれて、「がんばってね。」と見送ってくれた。が、マネージャーと部長。そうはいかなかった。想像以上のことが起きて、帰りのホームで泣いた。(すぐ泣く。)

 

マネージャーにある程度言われることは、想像ついたけれど(想像以上だったけれど。笑)部長からのことばがほんとうにショックだった。

世間一般で、ワーキングホリデーを知らない人の認識や、社会からのワーキングホリデーに対する偏見を一番に感じた瞬間だった。

 

「逃げるために行くなら…」

 

私は耳を疑った。

逃げるために、なにもないオーストラリアへ行くの?

やっとやりたかった日本でのお仕事を辞めて?

お家もお仕事もお友だちも、なにもないのに?

 

これが現実。

私にとっては、そのとき、なにもせずそこにいることのほうが逃げ、だった。

今となれば、すこしわかってくれていたのかもしれないけれど、退職するまで以前のような関係には戻れなかった。

彼女からしたら、「私が裏切った」のかもしれない。

でも、私には夢がある。

そして、オーストラリアには年齢制限がある。

行くしか道は残されてなかった。

 

11月末。

退職日がマネージャーと話して決まった。

出発日の1週間前、12月のボーナスももらえないような仕組みになっていた。笑

でももう待てないから。進むしかないから。

 

いろいろな方へ挨拶、退職の報告等して、私の2016年の11月は過ぎていった。

出勤最終日。もう会うことのない方々も大半かなぁと、ほんとうに楽しい会社生活が送れたこと、たくさんの友人に出会えたこと、たくさんの感謝とともに帰路に就いた。

 

出発まで1週間。公的手続きをして、携帯の手続きをして、感傷に浸るすきはなかった。まさか、マネージャーからのプレゼント?笑

 

住民税…昨年分までだから支払い義務

健康保険…転出届を提出したので、支払い不要

年金………これが大変だった。そして今も、母親に動いてもらっている。

年金の受給対象が10年から5年に引き下げれたため、社会に8年でている私は、受給対象。国外にいる場合でも、帰国した際に支払いたいのであれば支払える、これをするには、代理人手続きが必要。そして、一番驚いたのが、受給されるか、されないか、またいくら受給されるかわからないこと、長い目で見て2年(ワーキングホリデーで国外にいる最大年数)は変わらないと、区役所の担当者さんに言われた。なので私は、転出届を出し、年金は支払わないこととした。支払わない場合は、とくに手続き不要を言われたが、自宅に督促状が届き、この対応を母親にしてもらっている。心配かけてごめんね。。

 

※転出届はマストではなく、

転出届を出すイコール年金、健康保険の支払い義務が消え、年金は支払うかを決めることができる。その代わりワーキングホリデーの際に、一時帰国しても病院へは通えない。

(単日で健康保険を払い、病院へ通うこともできるそう。友人からの話なので、詳しくは該当の区役所へ。)

転出届を出さない、イコール年金、健康保険の支払い義務が生じ、その代わりワーキングホリデーの際に、一時帰国しても病院へ通える。

 

※あくまでも私個人のメモなので、参考までに…ご自身でご確認ください。ほんとうに大切なことなので。

 

携帯は、私は番号が変わるのがいやだったこと、1年しかいないと考えていたため、月々お預かりサービスに加入し、番号とアドレスを保管してきた。たしか…500円/月 くらいかな。

 

生命保険、これは積立の関係もあるので、解約せずにそのまま支払い続けている。だけど、年齢が上がるほどがんのリスクが上がるため、毎年改訂される新たな保険に加入したければ、ワーキングホリデーに行く前の若い年齢で保険を変更したほうがいいのかもしれない。私の場合は、変更する一歩手前まで考えたが、結局そのままにして日本を出た。

 

さて…、そうこうしているうちに、出発当日。

前日の寝る前と起きた時の、あの感情がわすれられない。

明日の今には、もうここにいなくって、来年帰るかもしれなくって。

家族とはしばらく会えなくて、私の愛犬にも当然会えなくって。

家族がふつうに振る舞っているのが、よけいさみしくなる。

 

そして成田空港へ。

愛犬がいつものように、私にくっついてきて、ドアまで送り出してくれた。おかしい。

さむい冬は、玄関まで来ないのに、わかってるのかな、きっと。

ずっと玄関のところにいてくれて、泣かないって決めたのに、涙が止まらなかった。

自分勝手な飼い主でごめんね。。

わんこの寿命は短くて、人間の倍以上で年を重ねるから、私がいない時間も倍以上に感じちゃうのかな。

 

家族みんなで成田空港へ車で向かった。途中、母親がおなかすいたってコンビニエンスストアによってくれた。このあたり、のんきに過ごそうとしてくれているのが、痛いほどわかった。

私はもう当分食べられないと思った、おにぎりと大好きなお茶を買った。お茶は同じものが、売っています。笑 高いけれど…

 

成田空港に着いた私たちは、空白の時間を過ごした。

家族とのこの感じってなんか不思議だった。

お友だちとなら、おしゃべりしたり、お茶したり。家族だとそわそわしてる私がいた。

そして母親。おなかすいたって。笑

何回食べるのさ。笑

私はまた、今度いつ食べれらるかわからないであろううどんを買ってもらった。

そのときである。母親がお洋服になんと素敵なブローチをつけていた。

 

 

「柿ピー」

 

 

なんか緊張の糸が切れて、涙がでるほどふたりで笑った。笑

母親らしい。

 

そして父はと言うと。。。

「はやく行かなくていいのか、はやく行け。」

と。

ふだんから口数が少ない父親の愛情。

痛いほど感じた。心配かけてごめんね。。

 

弟。

こんなときにシュールにぼける弟。来世は、私が大好きな芸人さんになってほしい。笑

 

さぁ、チェックインも終わり、搭乗ゲートへ。

家族の前で泣かないと決めていた私は、息がくるしくなるくらい、涙をこらえた。笑

最初はビッグスマイルだった母親がしばらくして振り返るを父親の側で大号泣していたから。

まったく、私はこの人に似ている。

何回も「いってらっしゃい、いってきます。気を付けてね。身体大切にしてね。むりしないでね。」のやり取りをした。

一番応えたのは、

 

 

 

「いやだったらすぐに帰ってきな。」

 

 

ねぇ、行く前だよ。やめてよー!と言いながら、一番うれしかったことば。

私には帰る場所がある。

大丈夫。

なにがあっても越えられる。

 

大丈夫。

私なら乗り越えられる。

だって自分で選んだ道だもん。