今日は私の誕生日。生まれて良かったと静かに思う。今までそんなふうに思ったことがなかったことに気付く。悲惨な人生ではなかったはず。暗い人生、辛いばかりではなかったはずなのに。
 いろんなことがあった。生きていれば当然。今になっても熱く蠢いて昇華されない出来事もあるけど。でも今、穏やかに、生きてて良かった、生まれて良かったと思う。
 happy birthdayではなく、happy birth。生まれた日より生まれたこと自体をお祝いしたいから。よく生まれてきたよね。よく今まで生きてこられたよね。と自分に言ってあげたい。
 今日から、私は私のために生きていく。今、脈々と動いている生命そのものを大事に大事に生きていくよ。約束する。


 幼い頃、絵本を読んだ記憶はあるけど、フランシスには会っていなかった。あれから自分の子どもも生まれて、絵本を読んであげる立場になっても、彼女のことは知らなかった。
 もうフランシスから見たら大先輩の年齢になってしまった私だけれど、『おやすみなさいフランシス』の絵本を読んでみた。それからフランシスシリーズの絵本を全部、夢中になって読んだ。読んだ後って読んでいる時よりホワッと心が温かくなる。
 私がこんな子どもだったら。「もう寝なさい」と両親に言われても何回もベッドから起き出てきて甘える。好きなジャムつきパンしか食べない。妹に嫉妬したら家出する、しかも宣言してからちゃんと両親の見える場所に陣取って。妹の誕生日プレゼントにと買ったガムとチョコレートをどうしたら自分が食べれるんだろうと頭を悩ませる。ああ、なんて子どもらしいんだろう。なんて幸せな子ども時代を送っているんだろう。
 私は素直に怒らなかった気がする。言わなくても気持ちをわかってよって拗ねてたんじゃないかな。そのくせ自分の気持ちを悟られるのが恥ずかしくて、無表情で無口になって、そしてそれは遠慮に繋がっていって。両親なのに?両親だから?。わがまま言って、理屈を捏ねて怒られると、それは私にとって怒鳴られているのと同じくらい恐くて不快だった。
 フランシスみたいに甘えられなかったな、私。フランシスみたいに甘えたかった。でも甘えればよかったのに…とは思わない。だってそういう性分だったから。それが私なりの生きる方法だったと思うから。
 今になってフランシスの絵本の世界に入って、私は私の子ども時代を生き直してる。もう一回、あの時にはわからなかった子どもという生き方を生き始めてる。あの時泣くことしか出来なかった小さな私に手紙を書くように。なんか私は私に優しくなれそうだ。
 
 あの『ミズ・クレヨンハウス』のフロアで私を優しく包みこんでくれたのは、豊かさなのだと気付いた。あの森の中の水と木々と果実、そして迷い込むほどの深さと神秘さは豊かさという言葉に置き換えられる、思う。
 私はこれまで女性ということを意識して生きてこなかった。女性に生まれた喜びとか、辛さとか有利なこと、理不尽さなどを特に感じずにここまで来たように思う。おしゃれに情熱を注がなかったし、今もさほど関心がない。けれど最近になって女性としての自覚というものがやっと芽生えてきたように思う。あまりに遅いスタートではあるけれど。
 あの『ミズ・クレヨンハウス』の森にはたくさんの女性が住んでいる。これまでと今とこれからの女性がそれぞれ、凛として立っている、あるいはさりげなく自己主張している。その中にいてふと思う。私は私だけの森が欲しい。誰かが用意してくれたのでも、導いてくれたのでもない、私だけの私のための森を創りたい。そのために時々散歩に行って果実をもらい、水を飲む泉がここにいつでも待っていてくれる。そんな刺激をもらったから、私は真新しい白い靴下を履いて、あの時、歩き始めたのだ。
 ああ、憧れって素敵な贈り物だ。