(例によって前回の続きからです。一部割愛して掲載しています。最後までお読み下さい)

 

 次の月曜日の昼下がり、聞き取りのためコザに出掛けた。

ぼくは、まず、普天間基地の様子を観察するため、立ち寄った。

嘉数台地から普天間基地を眺めてみれば、慌ただしいヘリの発着がある。

住宅密集地をへとも思わない冷たい滑走路の直線。如何にも人殺しの路。

人影はなく、翼を休め気を抜いた顔の戦闘機がぼくの方を向いて並んでる。

朝鮮戦争もベトナム戦争も終わった。兵隊さんはきっとほっとしているのだろう。

それにしても莫大な金額を投じて建造し維持する基地とは、一体何のために。

素朴な疑問。トラトラトラ真珠湾の事実が示すとおり、まず狙われるのは此処である。

住民の命など関係ない。やられたらやり返せ。戦闘機はそう呟いている。

両国の指導者の本音もそこにあるのだろう。防衛・安全保障の名の下に。

 ぼくは、原付にまたがり、ようやっとコザへと向かった。

国道から脇道へ入った。玉城さんが書いてくれた地図の通り進んでゆくと、大きな公園が見えてきた。数人の子供が遊んでいる。隣接する高いブロック塀の脇の黒土に、野菜の苗を植えている若い女性の姿が見えた。目が釘付けとなる。
「あっ・・・」 ぼくは息をのんだ。
「あのひとは・・・」
「明子・・・まさか・・・」
明子がいる。草取りをしている明子は、野菜を育てている。よく見たらゴーヤの葉や蔓のよう。いや、おかしい、明子がここにいるはずはない。実家は本(もと)部(ぶ)だし、アパートは那覇だし。待て。その前に、明子はもうこの世には居ない。己の脳がおかしい。この女性は、ただ明子にそっくりのひと?
ぼくは、バイクから降りて、若い女性に近づいた。
「こんにちは。精が出ますね。これはゴーヤですか」
いきなり声をかけたからか、その女性はむっとした表情をされた。
「ああ、ゴーヤさ。ずいぶん伸びてきたさ。もうすぐ実がなる」
「黙々と作業をされていて、素晴らしいですね。すみません、ただの通りすがりです。気になさらず作業をされてください」
女性は、確かに明子に似ていたが、別人。当たり前。
「今度、からいもや、オクラ、赤シソを植えようと思っている。家庭菜園さ」
「いいですね、家庭菜園。すみません、ちょっとある人に似ていたもので・・・」
ぼくは照れながらも、夢のことを女性に話そうと思った。その時、元気の良い女の子が女性に飛びついてきた。
「ただいまー、お母さん」
どんと背中に乗っておんぶして貰っている。母の背中から降りると、ぐるぐると周りを走り回った。女の子の元気の良さに、ぼくは呆気にとられた。
「なに、このおにいは?」と女の子は不思議そうにぼくを見てくる。
「こんにちは。学校帰りだね、元気が良いですね」とぼくが返すと、
「ねえ、にいにい、バイクに乗せてよ」と女の子は馴れ馴れしく言ってくる。
「だめだよ、うーまく(おてんば)かませたら」
お母さんの言うことはきかず、女の子はぼくの原付に飛び乗った。
「こらっ、みきちゃん、駄目だよ、さあ、降りてこっちに来なさい」
母は女の子を原付から引きずり下ろそうとする。
「いいですよ、お母さん。ちょっとその辺りをまわって来ます。すみません」
女の子を後ろに乗せ、母を振り切って走らせた。
「やーやーやー、勝手に何だね、この誘拐犯・・・待てー」
母は怒っておられたが、ぼくはバイクを走らせた。
「うわー、うわー、うわー」
「ヤッホー、風が気持ちいい」
女の子が喜んでくれている。

住宅街の細い道。瞬間、ぼくは理解した。あれは正夢だ。昨晩の夢に出てきた女の子は、この子だと理解した。そして、あのお母さん・・・なぜ、明子に似ている?
きっと、明子は夢に出てきて、ぼくに何かを伝えたかったのだろう。
「しっかり腰に掴まってね」
下校中の児童が見えた。スピードを緩める。
「ここは、私の小学校」と女の子が指をさした。
「そうか、ここがみきちゃんの通う学校なんだ」
ぼくは、止まって、小学校の正門から中を覗いた。運動場で遊ぶ子供たちの姿が見えた。
そのとき・・・
ゴゴゴゴゴーー ドドドドドド バリバリバリバリバリ・・・
空気を裂き、耳を劈くものすごい爆音。辺り一面緊張が走った。
「おっ、戦闘機か、こんなに轟音がするのか・・・」
ぼくは思わず耳を塞いでしまった。女の子もバイクを降りて耳を塞いでいる。
「ここに住む人々は、常にこの轟音にさらされているのか・・・」
基地から飛び立った戦闘機の爆音に襲われ、ぼくは初めて実態を知った。
「聞いてはいたが、ここまで酷いとは・・・ゴゴゴゴゴともの凄い音だったね」と女の子に言うと、
「うん、いつものこと。もう慣れているさ。ねえ、にいにい、行こうよ」
女の子は平気な顔をして言う。ぼくは、女の子を乗せ、住宅街をひと回りして、お母さんの居た菜園に戻った。お母さんにぼくは叱られた。お詫びを言って、女の子と別れた。
 返す刀でぼくは、玉城さんに紹介してもらった女性の家に向かった。夕方の五時半。果たして、その方は、話してくださるのだろうか。[デリケートな問題だから、あんまり無理言うなよ]と言われた玉城さんの言葉を肝に銘じ、質問したい事を再確認して、玄関のベルを鳴らした。しばらくしてドアが開いた。
「あのー、玉城さんから御紹介頂いた琉大の学生ですが・・・」
ドア越しに恐縮して言うと、出てきた女性は、顔がこわばり無言で、ぼくの方をじっと見つめておられる。年齢は六十歳ぐらいだろうか。
「突然伺い、すみません。宜しく御願いします」
そう言うと、少し穏やかな表情になられたように感じた。
「ああ、聞いているさ。部屋に入って話そうか」

ぼくは応接間に通してもらった。きちんと正座をし、挨拶をした。
「すみません。本日は、お忙しいところを突然おじゃましまして。琉大の学生の洋一と申します。卒業論文で、米軍基地と住民という内容で論文を書こうと思っていまして、その関係で、米兵による犯罪の実態をお話頂ければと思い、お伺い致しました」
「名前は洋一か・・・私は国吉です。まあ、お茶を飲んで」
国吉さんは、お茶を入れてくださった。そっと湯飲みを持ち、頂いた。
「青年は、内地から来たのか」
「はい。出身は東京です」
「そうか。私は話せることしか話さないよ。商売でやって来て、米兵の愚かな行為、犯罪を体験してきたことは確かだが、何か話せと言われても難しいさ」
「あのー、スナックのママをされていたとお聞きしましたが」
「良く知ってるね。玉城さんに聞いたか。スナックをやっていたよ。今は、その店はやめて、他の店で雇ってもらってる。店をやっていた頃は、とにかく必死だった。子どもを育ててるためにさ。米兵は、飲んだら手が付けられない人もいたよ。ベロベロに酔っ払って暴れて。店にある物を振り上げたり、椅子を壊したり。ウチたち女性を暴行したり。その時は酷いと思ったけど、いちいち気にしていたらやっていけない。商売が掛かっているのだから。なんくるないさーで毎日過ごしていた。でも、今思うと、あの憎い米兵たちも、ただひとりの人間だったって思う」
「米兵が暴れたり、暴行されたりで、店の経営、相当苦労されたんじゃないですか」
「それは、苦労って言ったら苦労だけど。ひとの店の物を壊したんだから、弁償しろと言いたかった。暴行されて、警察に通報しようと思った。でも、言えなかった。仕返しが恐いし、店が潰れるかもしれんし。米兵の客には、支払いは前金・ドルでお願いしていたんだよ」
「あのー、米兵相手だと、言葉が通じなくて大変だったのではありませんか」
「英語でしゃべっているから、何を言っているか分からんけどね。私たちは、簡単な英語か、身振り手振りでやりとりしていたよ。体がでかい男たちばかりで、最初は恐かったけど、しばらくしたら慣れたさ。言葉は通じなくても、何とかなるものさ」
「そのお店の店員は、何人ぐらいいらっしゃたのですか」
「ああ、私を入れて二、三人ぐらいだった」
「当時は、米兵相手のスナックしか仕事がなかった・・・」とぼくは畏れながら訊ねた。
「そういうこと。戦争でほとんど焼けてしまって、何も残ってなかった。初めは抵抗があったけど、食うためにはやるしかなかった」
「米兵同士は、仲良く飲んでいたんですか」
「そうか、洋一は、コザには黒人街と白人街があったって知ってるか」
「は、いいえ。知りません」
「うん。私が出していた店は、八重島という所にあって、あとからは白人しか店に来なくなった。やっぱり、黒人を差別するわけさ、白人たちは。黒人が店に入って来たら、露骨に嫌がらせを言ったりして追い出すわけよ。それで、黒人たちは、銀天街から坂道を登った所にある照屋の方の店に集まるようになった。だから、私たちは、ほとんど白人相手に商売やっていた。でも、黒人だろうが白人だろうが荒いわけ。朝鮮戦争やベトナム戦争でいつ死ぬか分からん。そんな不安を、酒や女で紛らわせていたのだろう。体は大きくても、心は小さいんだよ。荒れ狂っていたさ」
「あっ、だから、憎い米兵でもひとりの人間だってさっき仰った訳ですね」
「そうだよ。酒飲んだら、彼らの本音が出るわけさ。米兵たちもホームシックにかかってね。アメリカが恋しかったんだと思うよ。寂しそうな横顔をしていたことがあったさ。本当は優しくて、普通の人だったんじゃなかろうか・・・」
「その寂しさや辛さを紛らすため、彼らは婦女暴行に走ったのですか」
「まあ、そうだと言えるけど・・・いや、わったあ沖縄女性を差別して馬鹿にしていたと思う。人間として見ていなかったと思う。戦後すぐは、酷かったってもんじゃなかった。ジープに乗った男達が、集団でわったあ民家を襲ったり、帰りの夜道を歩く女性を襲ったり。幼い子どもさえも乱暴された。そんな目にあわされても、やった米兵たちは無罪だからね。悔しいさ。はもう、言いたくない。これ以上、話したくない・・・」
「はっ、申し訳ありません。気を悪くされたのなら、謝ります」
「いいさー。ただ、ひとつ言えることは、米軍基地があって、それにすがるしかなかったという事。戦後すぐは、男が少なかったんだよ。戦争でいっぱい男たちが死んで。私たち女が働いて、子育てしてきた。基地あっての生活だった・・・

それが、沖縄の生きる道になってしまった・・・」
「そうでしたか。自分のような若造が、何を言っても、話にもなりませんね」
「うん。ごめん。もうインタビューはこれぐらいにして」
そう国吉さんが言われて、辛い思い出を呼び起こさせてしまったことを反省した。それでも、激動の時代を生き抜いてこられた人の生の声を聞けたことは、ぼくにとってとても有り難い事であった。
「本日は、とても貴重な話を有り難うございました。学んだことを必ず生かしたいと思います。本当に、有り難うございました」
ぼくは、玄関口で頭を下げ、お礼を言った。国吉さんから今聞いた話を、大急ぎでメモ帳にまとめて書いた。玉城さんや国吉さんから伺った話を元に『沖縄の米軍基地における犯罪の実態と県民の意識について』として卒論にまとめていった。米軍上陸後死んでいった家族や同僚、捕虜となり終戦。突然現れた米軍基地、差別と犯罪・・・多くの人々が、現実と向き合い、苦悩し、また災難に遭い、立ち向かって行かれた。そのことを卒論に書いてまとめた。
 卒論を書いている最中、やはり夢に出てきた女性は、明子だと思った。
出逢いは、偶然のように思えても、必然なのだ。
この時代・この空間に生きた人間の情念。惹き寄せ合い、動かし合う。

しぜんとお互いに惹き合い、こころ通わせ、出逢いの素晴らしさをしみじみ思う。

様々な出逢いがあって、成長できているぼく。
明子は、天国に在って、ぼくに大切なことを伝えてくれたのだ。

卒論に頑張ることも良いけれど、出逢いを大切にしろと。そして、机上の学問よりも生きて汗かいて血の通う働きをせよと。
それで、夢に出てきたのか・・・
ふたたび、生き方について考え始めた・・・
はて、就職について、考え直すことにするか・・・

  

(今回もお読み下さり、ありがとうございました)           生田 魅音