人に成るために

 

 ぼくの大学生活はどうにか軌道に乗ってきた。

周りが見え出したことで、人の悪い所を見るのではなく、良い所を見いだすこと・

長所として見ることの大切さに気づいてきた。そして、大人に成るということに

向き合おうと思う。そろそろ、就職についても考えてみたい。
 冬になれば、さすがの沖縄も寒い。霜が降りているわけでもないし

雪が降っているわけでもない。

立春の寒波到来。沖縄では旧正月の行事があり厳かで賑やかな時季。
「おおっ、さむっ。どうなってるんだこの寒さ」
余りの寒さにジャンパーに袖を通す。温度計を見ると、十二度もある。

それでも沖縄に住んでいると寒く感じる。寮の部屋四人組で話し合い、

共同のストーブを買って部屋の真中に置くことにした。出資は四人の割り勘でござる。
「全員集合。あったまろうぜ」
「有り難や、ストーブさま。恩に着ます」
「おい、洋一、マッチを出してくれ」
ストーブの周りに四人集まって来た。ぼくは着火のためのマッチを机の引き出しから探した。

すると、机の中から何やらしわくちゃの紙が出てきた。
あっ、これは・・・ 
その薄汚れたしわくちゃ紙は、金城町の喫茶店の沙織さんがくれた、

彼女の電話番号が書いてある紙だった。ぼくは、しばらく、呆然と立ち尽くした。
そうだった、すっかり忘れてた・・・
今からでも間に合うだろうか。とにかく会いに行こう・・・
バタバタと支度をし、部屋を出ようとした。「どうした、洋一」

とストーブで暖を取ろうと待っている名古屋出身の山田が心配して言ってくれたが、

「ああ、ごめん。ちょっと出かけてくるよ」と山田にマッチを渡し、静かにドアを閉めた。

ぼくは、猛然と原付バイクに乗って、金城町の喫茶店に向かった。

今頃になって、会いに行ってもなあ・・・彼女はきっと怒っているだろう。

いや、それどころかあの店を辞めてしまっているかも知れない。

でも、何が何でも気持ちを伝えたい・・・

彼女に会いたい一心で、喫茶店に到着する。冷静を装い、喫茶店のドアを開けた。
「いらっしゃいませ」と女性の声がした。

見ると、背中を丸め、作業をしている女性の姿があった。
「沙織さん・・・」とぼくが小声で呼びかけると、女性は慌てて立ち上がった。
「あっ、すいません。お好きな席にどうぞ」
そう言った女性は、沙織さんではなかった。沙織さんはどうしたのだろう。
「あの、すみません。沙織さんは」と店員さんに訊いてみた。
「ああ、沙織ちゃんね。あの娘、店辞めたよ」 
ぼくの不安は的中した・・・
「あの、今、沙織さんはどうしてるんですか」
「今は、実家に帰っているさ。お母さんが病気でね」
「もうこの店には戻って来ないのですか」
「あんた、沙織に惚れてるんでしょ」と店員さんがうんざりの顔で言った。
「すみません・・・彼女の実家の電話番号は分かりませんか」
「あいえな、分からんさ」
その言葉を聞いて、ぼくは注文もせず、店を飛び出た。

大急ぎでバイクを飛ばし寮に戻った。戻ってすぐ、公衆電話の受話器を取った。

十円玉を入れ、彼女の番号をダイヤルした。

しかし「おかけになった番号は現在使われていません」と聞こえてきた・・・

とうぜんだな・・・実家に帰ってお母さんの世話を・・・

取り返しのつかないことになって愕然と肩を落とした。時間は待ってくれない。

彼女を傷つけてしまったに違いない。彼女に逢えなくなった現実と絶望に、

ぐさっと脳天を打ちのめされたように感じた。

よろよろと部屋に戻ると、
「どうした洋一、何かあったのか」とストーブで暖を取りながら談笑していた山田が

心配してくれたが、ぼくは、何も言わず布団をかぶり、ふて寝した。
幼さ・・・
未熟さ・・・
恋愛経験の乏しさから来る不甲斐なさ・・・ 優しさがない。
あの時、電話して欲しいと告白されたことに満足していた自分。

モテたことに満足して、好きなのに告白しなかったことが全てだ。表面だけの人間。
ああ、愚かだ、愚かすぎる。
後悔の言葉が次々と脳の中に湧き出て来る。
ああでもない、こうでもないと、悶々と布団の中で反省する。
沙織さんに二度と逢えない辛さが、津波のように押し寄せてくる。
苦しい、無念、悲しい、傷つけた罪悪感、もう沙織さんに会えないのだろうか・・・
ふて寝は、翌日の夕方まで続いた。
ようやく布団から出てキャンパスに向かう。
ぼおっとしていた目と耳そして脳が、寒さでしゃきっとなる。
守礼門に来ると、若い夫婦が並んでベビーカーを押している。

見ると、赤ちゃんが気持ちよさそうに眠っていた。

お父さんらしき男の人が「可愛いね」と言うと、急に泣き出す赤ちゃん。

「よし、よし」と言ってあやしているお父さん。

お母さんは「お腹空いたの」と言ってミルク瓶を取り出す。

赤ちゃんは、たちまち笑顔を取り戻した。
その様子を見ていたぼくは『愛』という言葉が心に浮かんだ。
大人は、愛することを惜しまない。
そうか、恋愛とは、自分が愛してこそ価値があるのか。
沙織さんの気持ちに真剣に向き合うことは当然のことだった。
ぼくは、とても大切なことに気がついたと思った。
そもそも、ぼくは、その場その場で相手の気持ちに応じるという配慮に欠けている。

両親に対してもそうだ。沖縄の大学に行くことも、東京を出る前に、

両親にきちんと話すべきだった。

父も母も、突然ぼくが居なくなったことをとても心配していた。

自立だの親との決別だのと格好つけて、今や、ちゃっかり親のスネをかじっている。

両親から月二万円の仕送りを貰っている。

本来なら、父さん母さんに詫びと御礼を述べるべきだろう。

それなのに、ぼくは、半年に一回ペースでしか両親に電話を掛けない。

沖縄での生活、大学での様子、アルバイトのことなど、殆ど両親に話していない。

この冷たさは何だろうか。青年期の親への反抗とかそう言う問題では無く、

ただ我が儘なだけだろ。未熟者がいくら背伸びしたって、誰も相手にしない。

もっと相手の立場や気持ちを感じ取れる人にならねば駄目だ。
 三月となった。沖縄はもう暑くなってきた。

大学は、一年間の講義が終わって、春休みである。

寮の連中は殆どが帰省してしまった。

ぽつりひとり。がらんとして静か。とてつもなく虚しい十九の春。

ありが居た。餌を探しに部屋に入ってきたのか。

弱くちっぽけなぼくが澱んだ空気の部屋に居ることが不思議に思えてくる。

自分に関わってきた人々がこの瞬間も努力し頑張っているのだと思う。

優しく見守ってくれる大学の友だち、先輩。叱咤激励してくれる寮の仲間たち。アルバイトで出会った人たちや寮のおじさん・おばさん。今何しているのだろう。沙織さんは、その後元気でいるのだろうか。そして、両親・・・みんな必死に生きておられる・・・たいくつ・・・故郷に帰り家族や旧友たちに会いたい気がする。東京の遠さがしみじみ分かる。ただひとり思案に暮れている。外に出て運動するでもなく、読書するでもなく、音楽を聴くでもなく、酒を飲むでもなく、じっと座っている。何かをしようと思っても、気持ちが乗らず気力が湧かない。

さっきのありはもう居なくなっていた。
 ああ、手紙を書こうか。寂しさを紛らわすにはこれしかない・・・

突然思い立ち、大学生協に便箋と封筒とペンを買いに行った。

戻るとすぐに、机に向かってペンを執った。両親に手紙を書いた。

大学生活の近況、両親への感謝の気持ちをしたためた。

さらに、両親にだけでなく、もう一つ手紙を書いた。

高校の時お世話になった塾の先生にだ。山崎先生へ。
先生は、自宅で塾をされていた。
先生は、東京大学卒業後、有名なテレビ局に就職が決まっていたのだが、

その採用を蹴って老舗の飴屋さんで働いてきた人である。

常に今の自分に満足せず[人生とは何か]と考え、信念に基づいて行動している

本物の豪傑であった。昼間は、その飴屋工場で働き、夜は塾の講師をしている先生。

酒をこよなく愛し、相当な飲んべえの先生。塾の授業中でも、酒臭かった。

塾が終わると、生徒であるぼくらを食卓に招き入れ、

飲みながら高校生のぼくらに人生について語り始めるのであった。
「やってごらん。見てごらん。そこからしか人生は始まらない」
「びしっと気合いを入れて、人一倍の事を為すことが人間の務めだ」
「どうして飴工場で働くことにしたんですか」とぼくが訊いても、知らん顔の先生。
「洋一君、飴っていいもんだよ。飴には無限の可能性がある」と言いながら、

手作りの金太郎飴をくれたことを思い出す。

そんな山崎先生に出会えたからこそ、今のぼくが在る。

先生へ感謝の気持ちをしたためた。
二つ手紙を書き終えて、何か偉大なことを成し遂げた様な気分になる。

書いた手紙を封筒に入れ、近くの郵便ポストに入れた。

勢い、アルバイトを探しに学生課へ。

そして、次の日から、工事現場の仕事やビルの清掃の仕事、交通量調査の仕事、

豆腐屋の配達などを精力的にこなした。そして、合わせて三万円ほどになったので、

預金口座に入れた。

家庭教師のバイトも見つかった。すぐに申し込んで訪ねてみると、

小六の男の子で、ひょろっとした色黒のドングリ眼。

中学受験を目指している優等生。晩ご飯付きで、良いところが見つかったと喜んだ。

 

  (明日へ続く・・・)

 今日もお読み頂きまして、ありがとうございました。

                          生田 魅音