(前回の続き)

 

 金城町の石畳は、細い下り坂の路地。

入口に立つと、敷き詰められた白い石は、乱光を放つ。

石畳が幾重にも重なり、永遠に続いているように勘違いさせる。

めまいを起こし、ぼくは恐る恐る歩を進めた。

真っ白の世界となり、異境だと感じてしまう。

一枚一枚の石畳が、とても大きくて、ぼくに向かって迫ってくる。ごんごんごんごん。

それでも歩かねばならぬ。

追い打ちを掛けるように、両脇の白い石垣がぼくに向かって迫ってくる。

ずんずんずん、隙間なく積み上げられた石垣。つまづき転びそうになり、石垣に掴まる。

表面はでこぼこでこぼこして、先端は尖っている。ぼくはすぐに手を放した。

相澤先輩は愉しげに鼻歌交じりでさっさと歩いて行く。

置いてけぼりのぼくは、足元がふらふらして覚束無い。

そんなぼくの姿を、屋根上の赤顔のシーサーがあざ笑う。
「やあ、ごきげんよう」
「なにが、やあ、だ。まったく人の気も知らないで、暢気なシーサーめ。

今度会った時は、ただじゃ済まないからな、覚えてろ」とシーサーに文句を言ってやった。
「おーい、洋一、下り坂だから歩きやすいだろ」
相澤先輩は暢気に言うが、周りの赤瓦屋根の古民家も目に入らぬほど、ぼくには余裕がない。

さらに太陽がカーッと照りつけてくる。

まったく沖縄の太陽というものは、情けということを知らないのか。

「暑いぞ、このやろう」と言い返しても、ぼくを突き刺し知らぬ顔。

何とか意識を保とうと、汗を拭くと、陽炎の向こうに、黄緑色の洋館が映し出された。

不思議な洋館・・・あれはなんだろう・・・

しっかり目を開いて見ようとするが、照りつける太陽の光と流れ落ちる汗で、できっこない。

大いなる沖縄の太陽をうらめしく思いながら、力を振り絞り、歩みを進めて、ようやく石畳を抜けた。

立ち止まり、大粒の汗をハンカチで拭い、はあっと息をついた。すると、きれいな喫茶店が目の前に見える。
「なーんだ、さっきの洋館の正体は、これか」とぼくは納得した。
「この喫茶店、なかなかいいでしょ」
先輩はそう言うと、さっさと店に入った。「暑い、暑い」と言いながら、ぼくも店内に入った。
さっと、汗が引っ込んだ。エアコンが効いている。綺麗で洒落た店内。

大きなコーヒーメーカーが目に飛び込んでくる。

その陰には女性の店員さんが一人見える。ああ、憩いのひととき。噴き出る汗を拭った。
「おい、洋一はコーヒー飲めるか」とすぐに相澤先輩が訊いてきた。

ぼくは答えに躊躇した。コーヒーが大の苦手なのだ。

でも、オトナに成るためには苦いコーヒーも飲めるようにならなくちゃ、と考えて

「はい、アイスコーヒーください」と答えてしまった。
「アイスコーヒー二つ」と先輩が注文した。おもむろに先輩は煙草に火を付け、
「洋一、さっきの金城町の石畳のことを知ってるか。琉球石灰岩で造られいてさ。

尚真王の時代、首里城から南部へ行く道として造られたんだ。

でも沖縄戦でほとんど破壊されてしまった。それで三百メートルぐらいしか残っていないのさ。

琉球の歴史と文化を知る上で貴重な文化財だよ」と説明してくれた。

だが、ぼくは、歩き疲れて先輩の言葉が今ひとつ入ってこない。返す言葉に詰まってしまった。
「はい。どうぞ」と店員さんがアイスコーヒーをコースターの上に置いてくれた。

間髪入れず、その店員さんが訊いてきた。
「ごめん。話に割り込んでもいいかしら。二人の会話が気になってきてさ」
ぼくらは「はい、どうぞ、どうぞ」と頷いた。姿勢を正した。
「あのー、石畳の周りの遺跡もいい所だよ。私は、この近くのおじーおばーから聞いたんだけど、

石畳の道沿いに御嶽があって、そこには、琉球を守る神さまがいるって。

そして御嶽の近くには、すごい霊気を感じる大アカギがある。

たくさんの人が祈りを捧げてきた神聖な大アカギさ。昔から、あの石畳を通る人たちは、

そのことを知っていたわけさ。それから、その近くに、ガーが在る。

ガーは、古くから近くの人々が利用してきた井戸で、火の用心の祈願を行っていたと言われているさ」
「へえー、今行ってきたけど、そんな由緒ある所があるって気がつかなかった」
先輩が感心して女性に返した。ぼくは、苦味に耐えながら、女性の話をしっかりと聞いた。
「それから、その大アカギには、盗みや人さらいをするとても悪い兄が住んでいた。

その兄は、悪さが過ぎて天罰が下り、恐い鬼の姿になってしまった。鬼になった兄を、

妹が鉄餅で誘って崖から蹴り落としてしまう。こういうちょっぴり悲しい伝説があるさ。

その中には、ちょっとエッチな所もあるの。でも、沖縄の鉄餅、ムーチーの由来になっているのですよ」
「エッチって、どんな内容の伝説なんですか」
ぼくが興味津々で訊ねた。
「それは、言えないさー、恥ずかしいから・・・」
「あっ、その話なら聞いたことがある。助平と言えば助平だよね。でも、兄妹の悲しい話が残ったんだと思うよ」
「あのー、ムーチーって何ですか」
ぼくはさらに質問した。
「ムーチーってお餅のことさ。餅粉に砂糖を付けてそれを月桃の葉で包んだ餅をムーチーと言うの。

沖縄では旧暦の十二月八日に、子どもの健康を願って年の数だけ食べさせるのさ」
「どうして、旧暦十二月八日に食べるんですか」
「確か、鬼になって死んだ兄の命日だったんじゃないか。旧暦十二月八日が。

今は、男の子に逞しく健やかに育って欲しいと願って、歳の数だけ食べさせるわけさ」
「そうなんですか。いやあ、勉強になりました」
ぼくが言うと、女性は安心した顔をして、洗い物に手を戻した。
「琉球文化をもっと本土や外国人に知ってもらうために、

今のような昔話とか伝説とかを言い伝えることが大切だね。

そして、貴重な遺跡の保存と復元に取り組まねばならん。遺跡を壊して開発に使おうなんて、あってはならん」
ぼくは、先輩の意見はもっともだと思いながらも、視線は女性の方へ向かう。

その女性の表情や仕草が気になってしまった。女性は、二十代後半ぐらいだろうか。

薄グリーンのワンピースは落ち着きがあって、とても似合っている。

表情がとても爽やかで、魅力的な女性だと感じた。とりあえず、名前だけでも訊こうと思っていると、
「ああ、紹介が遅れたね。こちら、洋一君。先日、東京から沖縄に大学生として来たばかり」

と先に相澤先輩がぼくのことを紹介してくれた。彼女の方も自己紹介をしてくれた。

彼女の名前は沙織。独身、花婿募集中とのこと。
 先輩のおごりで喫茶店を出た。これから始まる大学生活が心配である。

相澤先輩に、両親に沖縄に行くことを言わず飛び出して来たこと、お金がないことを打ち明けた。
「すぐに家に電話して、両親に沖縄で元気でやっていることを伝えろ」
「洋一は両親に頼らず自力で生活したいんだろ。ならば、まず免許を取って原付バイクを買うんだ。

それからアルバイトをして稼ぐことだな。多かれ少なかれ、みんなバイトして大学に行っている。

バイトが社会勉強にもなるしな。そして、地道に講義に出ることだ」
先輩は親身になって忠告してくれた。
「寮に入ったら生活の準備をして、バイトにも頑張っていこうと思います」
「じゃあ、がんばれよ洋一。ああ、これからバイト、バイト」
相澤先輩と別れ、ぼくは民宿へ戻った。
 心のギアを入れ直し、大学生活への準備をしなければならない。

でも何から手をつけていいものやら。民宿の部屋の片隅で寝転がって、

東京で心配している家族のことを思い出し気が重くなる。ひとり悶々と考える。

明日から寮に入るのか・・・大学って何だろう・・・バイトって俺に出来るのかな・・・

希望よりも不安の方が大きい。考え疲れていつの間にか眠ってしまった。
「いい友だちができると良いですね」
相部屋の青年に励まされて、ぼくは、早朝、民宿を出た。 
 甘えを払拭し、気合いを叩き込んで、学生寮に入室した。

汚くほこりまみれの狭苦しい四人部屋に入ると、名古屋、神戸、奄美大島から来た個性的な三人が迎えてくれた。

「よろしく」と言った後、四人で輪になって話し始めた。思ったよりも気が合いそうだ。

一年間はこのメンバーでこの部屋で生活することになる。食事は、寮の食堂で朝夕食べられる。

一食百五十円ほどの格安だ。ぼくは、迷わず、一月分の食券を買った。

さっそく、食堂で夕食をいただく。おばちゃん三人が、バランスのよい食事を作ってくれるんだ。
「うまい、うまい。それにこのボリューム。おばちゃんの作る寮食は最高だ」
などと言いながら相部屋の連中と食べていると、
「おかわりください」
お椀をおばちゃんに突き出し、柔道部のヤツがおかわりを申し出る。
「はいはい、ぼうや。いっぱい食べて大きくなってよ。はい、大盛り」
子ども扱いのおばちゃんの返事に、一同大笑いだ。
「ごちそうさまでした」
ぼくらは食器をお盆にのせて、おばちゃんに返した。
 いよいよ大学生活が始まった。勿論、講義に真面目に出席して学ぶべきであるが、

ぼくの場合は、指名のない講義は出ず、他は、代返の嵐でやり過ごした。

講義よりもアルバイトの方が大切だからである。アルバイトで学費と生活費を確保しなければならない。

まずは、相澤先輩の指示通り、原付の免許をとりに行った。見事合格点だった。すぐさま原付を買った。

準備完了。

手当たり次第アルバイトに打ち込んだ。

工事現場の仕事、市場の食材の運搬助手、テレビ局の放送機材を運ぶ仕事、

地元の祭りへの出演、定食屋の仕出しの手伝い・・・思ったよりも労働は面白い。お金が入ると嬉しい。

一番やりたかった家庭教師のバイトも見つかった。

中学生男子の週三回。家庭教師は月末になればお金が入って来るので有り難い。

その子の親から「数学と英語を鍛えてくれ」と依頼があった。高校受験が控えていることもあり、

意気込んで教えに行った。国・数・英の受験問題集に取り組ませる一方、

用紙にポイントを書いて読ませたり、繰り返し唱えさせて覚えさせたりした。

その子と次第と打ち解け、ひと月過ぎから軌道に乗って、勉強も進み始めた。

そして、様々なアルバイトをし、沖縄の物価が安いおかげで、学費と生活費をやりくりすることができた。

何より、アルバイトで忙しく過ごす御陰で、あれこれ悩まずに済んだ。

アルバイト第一主義だな、とぼくは呟いた。
 アルバイトをする中で、沖縄の人たちと話をし触れ合うことが出来た。

でも、沖縄の人たちとの間に大きな溝があることを肌で感じた。

例えば、本屋の店主のおじいである。

ヤマトンチュと知ってわざとウチナーグチ(沖縄方言)で話してくる。

ぼくには、理解できない。仕事に取り掛かれない。まったく困ったものだ。
 「くぬ まんがーや、うむさんどー」
 「なーだ ゆでーうぅらん、いちゅーたまてぃ。ふぇーく、ゆめー」
            (「この漫画、面白いよ」「なんだまだ読んでない、早く読め」)
などといった具合である。

店主おじいは、お客さんや他の店員さんには標準語で話している。

ぼくだけ意地悪をしているのか。

おじいさんの指示が分からないときは、他の店員さんに訊いて、何とか仕事を進めた。

一日が長く感じられた。ようやく一週間が経ち、本屋のバイトが終わった。
「おにいさん、にふぇーでーびる(ありがとう)」
賃金の入った袋を差し出しながら、店主は御礼を言われた。
「郷に入れば郷に従えさ。おにいさん、ウチナーグチ覚えてほしいさ」
店主は優しい眼差しで言われた。

お金の入った封筒を見つめながら、自分の方が悪いような気がしてきた。

郷には入れば郷に従えは理解できる。東京育ちの自分が、

沖縄の方言や風習に慣れることは大切だと思っても、簡単なことではない。

書店店主のおじいばかりではない。

他のバイトでも「ナイチャーだから(沖縄の心は)わからんさ」とか「この歌、大和グチだからさ、歌いにくいさ」「ヤマトンチュは沖縄に来て欲しくないさ」など色々な言葉を浴びせられた。沖縄の人の頑固なまでの地元愛、排他的な雰囲気に、親しみを覚えることはない。