『ブラタモリ・岡山編』昨晩の放映見ました。
桃太郎伝説が、歴史的事実に基づくものだと捉えられていた。
番組が分かりやすく作ってあって、内容・質とも良かったです。
何と言っても、磯田道史先生(著書『武士の家計簿』等)、カッコ良かった。
磯田先生、中世・近世史の御専門と思っていましたが、
古代史にも通じておられたのだと分かりました。
いわゆる『桃太郎さん』=『吉備津彦』だとされたこと、すばらしい!!
吉備津神社と其処に伝わる古文書を読み解き、
楯築遺跡(古墳)の紹介により、タモリが、弥生時代後期ここに
相当な権力を持つ豪族がいたことを見事に突きとめた辺り、すごかった!
その権力者が大和王権から見て『鬼』とされたこと、きちんと説明されていて、
とても良かった。
ちなみに、楯築遺跡(古墳)は、2世紀後半~3世紀前半に造営された
吉備の首長の墳丘墓である。
墳丘の各所から壺形土器、特殊器台等が見つかっている。
直径約43メートル、高さ4、5メートルの円形の古墳の両側には
それぞれ方形の突出部がある。同時期の弥生墳丘墓としては日本最大級である。
当時の吉備の勢力・文化は、大和王権もうらやむほどの勢力であった。
そのことをきちんと説明された番組は見たことがない。

いやさすが『ブラタモリ』!

 

『日本書紀』の記述により補足すれば、
吉備津彦は、崇神天皇(私は卑弥呼死後すぐ後の大和の王だと捉えている)
が派遣した四道将軍の一人である。すなわち、吉備津彦は、大和王崇神の命で、
吉備の王族との戦をして勝利し、大和に服属させた偉大なる将軍であり、
吉備の政治システム、優れた文化を大和にもたらした大恩人であった。
そのことが室町~江戸時代において、『桃太郎』伝説となったのである。
また、吉備津彦は、孝霊天皇の皇子で、母は倭国香媛(やまとのくにかひめ)。
別名は五十狭芹彦(いさせりひこ)と日本書紀には書いてある。

卑弥呼亡きあと、再び倭国に大乱が起き、千人もの死者が出る戦となったと、
魏志倭人伝は言う。卑弥呼は、何とか倭国30国をまとめていたのだが、
ふたたび30国男王による権力闘争が勃発した。
日本書紀のみならず、

『桃太郎伝説』もまた倭国の権力争いを言い伝えるのである。

 

 

岡山県総社市 造山古墳