こんなに長く生きてきたのに、「想像力を持ちなさい」という言葉の意味を、これまでよく考えたことがなかった。
考えてみると想像力は、持つだけでは、私の想像力の域を出ないということに気が付いた。
「想像力を持ちなさい」という言葉の本当の意味は、自分のいま持っている想像力の域を越えなさいという意味だったのだとふと思った。
「こうだろう」と思う時、「いや、自分の想像力の円はとても小さい、それをもっと大きくすることもできるんだ」と考える。「大きくしなければいけない」と義務感で考えるのではなく、「もっと大きく考えることができる」と可能性として考える。そのほうが前向きだし、ストレッチが効く気がする。
たとえば、とっても卑近な例として友人とのLINEのやり取り。
自分は語りたいことがあって、ついたくさん書きすぎてしまうのだけど、そこで立ち止まって、相手はそれに興味を持つだろうか、もっとさらっと書くほうが相手は受け取りやすいのではないかと考える。自分の書きたい伝えたい気持ちよりも先のもっと大きな円の中に、相手の生活や気持ち、感覚がある。筋肉を鍛える時のように、自分の心地良さを越えて、自分の見える範囲の外側について、少し無理してがんばって考えてみる。心地良さは正解を表しているとは限らないから。
世の中や世界で起こっていることについて関心を持ち、何かできることがあるか考えることも、自分の当たり前の生活を越えて想像する『力』が必要とされることだ。想像力も筋トレのように努力しないと鍛えられない『力』。
読み手への想像力を持って、ブログの文章を短くすることも、大事なことですよねー😅💦
KITTEの屋上庭園で夜風に吹かれながらおしゃべりしていた。クリエイターの知人が「想像力。どう表現したら受け取り手にとって魅力的かを想像できるかどうか」と話していて、なぜかあらためて「そっかー」と思ったのだった。
