深夜近くの九州の空港に降り立った。


泊る場所のあてもなく、もう閉じかけた案内所に飛び込んで

ホテルを探してもらった。


避難にしてはとても贅沢なホテル。


今日はとにかく早く休みたかったので

そこに決めた。


九州新幹線が二日前に開業したというのに

私はそのことさえ気づかず。

足が地につかない様な、難民てこんな心境なのか

と、思った。


もう、住み慣れたあの家に帰れないかもしれないって・・・



今思えば原発や震災によって

住み慣れた土地を離れて今でも先の見えない現状に

おられる皆さんの心境は多少ではあるが理解できる気がする。


どれほど心細く不安か・・・

大切なあれもこれも残してきた・・・・

あれだけは持ってくればよかった・・・

せめて、一度帰りたい・・

自分だけ避難しても

両親、親戚、大好きな友達たち・・

たとえ飛ばくしてもみんながいる土地へ帰り

みんなと暮らしたい。



そう思った。


どんなブランド品も

どんな素敵な洋服も

一度だけわずかな荷物だけ持ち帰れるとしたら

それらのどれも無用だった。


今日もTV見なかった。

夕方,何気なくつけてしまったら、

防災センターに勤めていた未だ行方不明の方の奥様が出ていて

今でもご主人の携帯電話の解約はせづ

メールを送り続けているというものだった


やっぱり・・・・

泣けて泣けて・・・


九州にいた時、避難してきた意味もわからなくなって

ずっとずっとワンワン泣いていたのを思い出す。





2011年3月11日

あの大地震を神奈川の自宅で被災した。

地震が起きて1分もしないうちに停電が起きたので

どこで何が起きているかも、東北で津波が来ているという事実も

ここが震源地なのかと思うくらいでしばらく何も分からず

ドキドキとしながら家の中を見回っていた。


昨日で1年が過ぎた。


今でもTVなどで地震の特集を見ただけで

涙があふれて来る。

だから、昨日は一度もTVを付けなかった

付ければ様々なことを思い出して泣けてくることがみえみえだったから・・


案の定、昨日の続きの地震の特集を

今朝少しつけたTVで目にしただけで

アイロンをかけながら涙があふれて止まらなくなった。


神奈川で被災した私がこんな状態なのだから

東北で津波にも遭われた方々などの気持ちを察すると

いたたまれなくなる。


2011年3月12日福島第一原子力発電所での一回目の爆発を受けて

友人たちから再三「早くそこを離れて遠くに避難した方がいい!」という

忠告を受けるようになった。

その忠告は日に日に強まり14日の二回目の水素爆発直後は

「お願いだから逃げて下さい。メルトダウンは必至です!!一生のお願いです。」というものだった。


私は14日午後、トランク一つに取るものとりあえず詰め込んで、


私は羽田に向かい出来るだけ遠くにとひとまず知り合いも住んでいる

九州に向かう為に、最終便の1本手前のチケット購入に間に合って

避難したのだ。





外宮の北の出口から真っ直ぐ
「神来道り」をしばらく歩いた
その道の突き当たりに

この「月夜見宮」がある。

この宮の大きな木が良いと聞いて
来てみた。

しとしと雨の降る宮内には
私一人。
静寂なひととき…






振り向くとその横に
話にあった大きな木があった。

触ってパワーを頂きたいと
近くによって目の前まで行くと。

あまりの存在感に畏れを感じた。
触れることすら恐いような…
そんな感じ。
人工物がどんなに大きくても
感じないような、魂のある存在感みたいなものに圧倒された…


そっと…手を触れて…
ありがとうございますと呟く…
ひとつ大きく深呼吸をする…


すると、パワーというより
静な奥深い癒しが来たようだ…








こんな季節外れの雨の日に



女一人、スーツにハイヒール傘をさして

砂利の敷かれた広い宮内を歩く姿なんて・・・

他に誰も見ないわけで・・・





でも、木の生い茂る宮内は

心がシーンと静まって・・・

日常の雑事や考え事が浮かんで来ないほど

守られた癒しの空間です。