世界経済の進化について、簡に話してみます

 

門家ではないため間違っている部分もあるかもしれませんが、

自分が得た知識を皆さんに共有できたら、という思いでこの記事を書いています。

 

今、私たちは資本主義の世界で生きています。

資本主義とは一言で言うと、生産と消費が自由に行われ、

生産者の利と私有を認めてくれる世界でしょう。

 

個人の財産を補償するからといって、

それは私たちが知っている資本主義ではありません。

共産主義体制でも個人の財産は認めているのです。

 

生産できる生産先の所有を認めることが資本主義と考えてください。

に、共産主義/主義は生産先を家が統制し、家所有に帰属させています。

 

共産主義でも家が配分して個人に渡る品物や食べ物にする所有

認めてくれます。

 

代わりに品物、食品を生産する工場にするものを家所有に限定する、

と考えればよいでしょう。

そうすると私たちは資本主義から生産されているということに

注目しなければなりません。

その部分を理解すれば、今私たちが生きる経済体制がどのように形成され、

今後はどのような方面で世界経済が回ることになるか?

までを類推することができるでしょう。

 

そのためには資本主義の史から見なければなりません。

 

もともとはフランス大革命から始めなければなりませんが、

それは簡明します。

 

(フランス大革命)

 

フランス大革命は世界史上初めて王の威に市民が挑し、勝利した市民革命です。

これは不が募っていた市民階級がルイ16世を頭台の露として送り、

政治を終了させた事件です。

 

この事件をきっかけに市民の社的な威が高まり、

王による経済体制ではなく市民による経済体制がスタトします。

 

(余談ですが、レミゼラブル<ジャンバルジャン>がこの時の背景として作られた

ミュジカルですよね)

 

演劇の市民革命(革命)、そしてアメリカの立、フランスのフランス大革命をこの時期に互いに影響をえた事件に

分類することもあります。

 

これらの影響で、世界は産業革命の時期に到し始めます。

 

 

1. 産業革命の時期

 

イギリスから始まった産業革命は、過去の封建制を崩すきっかけになります。

つまり、言い換えれば生産力が大したのです。

 

(産業革命)

 

生産力が大したということは、全てが豊かになったということです。

例えば、人がパンを作るのに1つ1つ手作りすると1日に10個のパンを

作るのが精一杯だったとすると、この時期からは100個から200個のパンを

作れるようになったのです。

 

-これによって何が起きるでしょうか?需要は限られていますが、

供給が多くなるのです。これまで10個のパンを消費していた階層が急に

100個を買って食べることはできないでしょう。

 

品物がることになります。品物がると生産者は最初は供給にメリットがあるのでいいのですが、時間がつにつれて在庫がたまるという問題点が生します。

 

在庫がたまると、生産者の立場では運が難しくなり、そうなることで業員を

減らさなければなりません。業員を減らせば、彼らの生活が苦しくなるので、

パンを買って食べる消費者も減るのです。

 

まとめると、産業革命で物品の供給は生産物も生産者は生存の業員解雇業員=消費者、これにより消費はさらに化。

 

全世界的に産業化が加速することで、

このような循環が影響を及ぼし、民、社がしい況となり、

結局は家不渡りの危機に直面するのです。

そして産業革命によって成長をけてきたイギリス、フランス、ロシアなどは

外部に目を向け始めます。

 

 

2. 植民地化

 

-品をる消費市場が必要だったのです。

国内は飽和態なので、これらの列外に目を向けます。

これがまさに植民地化です。

 

(植民地化)

 

イギリスは代表的な家としてインドを植民地にしました。

ここに興味深い部分があります。

 

インドがイギリスの植民地となり、イギリスはインドに綿織物をり始めます。

綿織物の代金を何で受け取ったかというと "紅茶" "アヘン"です。

 

-現代、イギリスの紅茶がとても有名ですよね?

この時インドの質の良い紅茶を国内で再度流通しイギリスの"紅茶"文化が形成されたのです。

 

では、アヘンはどこにられたのでしょうか?それは中です。

全土にアヘンを輸出し販し始めます。

 

民たちはそのアヘンを吸い、精神態までも荒化し、

問題として取り上げられます。しかし、力のなので仕方ないのですが、

でイギリスのアヘンを積んだ船を燃やしたことが原因で起こった戦争が、

有名な"アヘン戦争"です。

 

(アヘン戦争)

 

はその戦争に負けて、100年間香港をイギリス領として引き渡すことに

なります。これにより皮肉にも香港が展し、

イギリスの文化が多くっているのです。

 

フランスはアフリカに行きました。

アフリカ諸を植民地にしながら、余物品を供給し始めたのです。

 

フランス民の中で人が多い理由もこれによるものです。

が多くなり、フランスに入り住み始めた黒人が定着したのです。

またフランスのサッカを見ると"ジダン"をはじめとする、

アルジェリア系が多いです。

 

*このようにヨロッパ諸は植民地として生産の余部分を植民地家で

み始め、本では豊かに暮らすようになりました。

 

と植民地家主は無視したまま、力の論理で支配し始めたのです。

これらは全て、経済における生産過によるものです。

次に第一次世界大があります。第一次世界大、第二次世界大は有名ですが、

なぜ起こったのか、これにする影響が何なのか、私たちは見過ごしています。

これもまた、経済と密接な係を持っています。

 

 

3. 第一時世界大

 

 

第一次世界大はドイツが起こしたヨロッパ戦争です。

その後、アメリカが一歩遅れて参戦しましたが、

ロッパ諸戦争と言っても過言ではありません。

 

ドイツはイギリスやフランスのように、産業革命が急速には進みませんでした。

部封建的な要素の立と整理がれ、周辺国のように展できなかったのです。

上記で述べたように、産業革命=過な余品という公式が生まれました。

 

すると、再び「供給は生産物が多くなる生産主は生存の業員を

解雇業員=消費者、これにより消費は更に供給先が追いまれる

家も追いまれる」となるのです。

 

ドイツはこの時期がもう少しくなりました。それで同じように物をることが

できる植民地を探すことになりますが、に周ロッパの強国が他の

植民地開拓をしていたため、ドイツは焦り始めます。

「大だ、このままじゃが滅びてしまう。どうしよう?」

ここで見つけたのが戦争です。

 

そして行に移したのがまさに第一次世界大です。

ドイツがとんでもない事件でロシアと初めて立することになったのです。

 

(正直ドイツはロシアとうのが嫌でした。

はるかに弱いセルビアに宣布告しましたが

*それも大理を立てて:オストリア>

突然ロシアが「セルビアはわが民族だ。お前たちをひどい目にあわせてやる。」

と言って始まった戦争です。

 

Aロシア、イギリス、フランス(アメリカ:後に参戦)

Bドイツ、オストリア、ハンガリ

 

結論はご存知だと思いますが、Aムが勝利しました。勝利したら何をしますか?

戦争賠償金をもらうのです。

しかしロシアは財政問題のため、戦争の途中でそっとけます。 

(喧嘩をってけたのです。)これも結局のところ、経済的な問題が理由です。

この時に共産になりいくつかのイシュがありますが、

この件については後で明します。

 

いずれにせよ、最大の受益であるイギリスとフランスは、

ドイツに戦争賠償金を要求します。然イギリスとフランスが勝利したので、

2かに呼び出し、お金を請求したのです。その場所はフランスです。

 

これが有名な約である、フランスパリのヴェルサイユ宮殿で行われた

"ヴェルサイユ"です。この約でドイツは唯一少しだけもっていた植民地さえ

奪われ、莫大な戦争賠償金をわなければならない借金家になったのです。

 

(ヴェルサイユ条約の調印)

 

ドイツが置かれている況をよく把握しなければなりません。

これが第二次世界大の原因となり、ドイツのヒトラ

そして日本の帝主義によって韓、中などアジア諸にも問題が生じることに

なります。

今日の記事はここまでにして、きは2部でまた話していきます。