村上市普済寺さんでの勉強会♪
村上市曹洞宗 大葉山 普済寺さんでのお勉強会♪5月26日土曜日こんにちは先日は村上の普済寺さんの坐禅とお勉強会におじゃましまして参りました^ ^5月の庭園は、新緑とつつじのパッチワークがとても美しく、とっても気持ちのいい普済寺さんご自慢のお庭の眺めでした♪( ´▽`)今回の第四土曜日「正法眼蔵随聞記」の勉強会では、三巻の八、「真実内徳無うして人に貴びらるべからず」(しんじつないとくのうしてひとにたっとびらるべからず)を勉強しました。「真実内徳無うして人に貴びらるべからず」これを現代語訳にあらわしますと、「ほんとうに内におさめた徳もないのに、人からあがめられてはならない」とあらわされています。今回の八の一節には、身を捨て、世間に背く様にしてみせる人はうわべだけで真実の道心者ではない。表面はただ、なんということもなく世間の人と同じ様にしていて心を調えてゆくのが本当の道心者である。自分に対する執着がなく表面は一般の人と同じ様にしていくのである。とあります。また、この後に、この世に執着しないといって、雨降りにぬれながら歩いたりするのは、内心のためにも、表面の行いのためにも、ともに無益であるのに、世間の人はすぐさまこれをありがたい人だなどと思っているのである。かえって、仏の決まりどおりに行う人を、名誉、利益を気にする人だと思って、世人も相手にしないのである。と続いてあります。そして、正法眼蔵随聞記には、人は名誉欲のために特別に変わったことをすることは簡単なことだが、普通にしていることは難しい、と解釈できる節があります。これらのお話からは、自分の欲のために何かをするのは全く意味がないことで、変わったことをするよりも平気で生きていくことの方がずっと難しく、かといって、仏教をしているからといって近寄りがたい人になってもだめだと解釈できます。欲をもって行動しないことも、平気で生きることもたやすくできる事ではありません。「心身」という言葉がありますが、道元禅師は「身心」とあらわしました。身をもって心もなる。茶道や柔道、剣道など、道がつく日本の習わしには共通して「型」があるものが多いかと思います。型は、自分を捨て、その型どおりに行いますね!経験なさった方はよくおわかりになって頂けますでしょうか?仏法も坐禅もまずは教えに従って生きて、実行する事が大事だと道元禅師は示されているのでしょうか。お茶を飲み方はそれぞれの流派がありますが胃の消化の仕方には道理はありません。お茶の飲む方法は様々ありますがお茶を飲むのは一緒。切り口は様々あっても真理は一つなんですね。普済寺さんの玄関先に咲いていたホウチャクソウとイチハツ今回は、正法眼蔵随聞記の三巻の八の話からの切り口で、お勉強させていただきました。一緒に学びくださりありがとうございます( ´∀`)また、一緒にご参加いただきました方からのご感想で、「円は真理をあらわす」という言葉をお聞きしました!勉強会で丸からちょっとだけ線が流れ出ている図が「水」という意味を持つトンパ文字のお話をが少しあったのですが、この円は真理をあらわし、流れ出ているものが水なんじゃなかろうかとのお考えも感想でお聞きしました(๑˃̵ᴗ˂̵)このお話はちょっとハッとさせられましたね^ ^皆さんの感想にはそれぞれ受け止め方があって、毎回お聞きするのがとても楽しみでもあります^ ^お読みいただきました皆さま誠にありがとうございました_φ( ̄ー ̄ )♪普済寺さんホームページへMinuet woman niigata ホームページへ