明けましておめでとうございます。
皆さんにとって、今年が良い年でありますように…

そんな新年に相応しくないタイトル…お許し下さい。

2018年、経過観察中の私は、「死」について、1番向き合った1年だったかなと。もっと言えば、生死について。
結婚からの妊娠報告や……おくやみ。
考え過ぎて、気持ち悪くなって…

本当は、病気発覚時に、生死について向き合うのが普通なのかな?
ただ、今から思い返しても、当時は必死過ぎて、、、というか、
自分が「死」に値する病気に、そういう立場なのだと自覚出来なかったのが、正直なところなのかもしれない。苦しいのは「今」だけだと。

病院の先生が言うのだから正しい。
他に選択肢はなくて、それが正しい選択肢と病院の医師に言われたら、そうなのだろうと。
生きるためには。

体が生きるのなら。


今の私は、「死」が恐いものではない。
どんな死に方がいいかな、とふいに考えてたり。
なぜか、よく思った1年。
そう明言する意味はないのかもしれないし、勿論、四六時中そう思ってるわけでもない。

今この瞬間が幸せだし、この先、こうなったらいいな、こうなりたいな…という欲さえある。
しかも、自分の意志だけでどうこう決めれる立場ではないし、責任もある。



だけど、辛い。色々、思考回路かえても、紛らわすことなんてムリ。
どれだけ頑張っても、叶えられない現実がある。


何か代替案があるほどのものではないと、今なら分かる。

年明け、親友、友達からの幸せな近況報告。
ぜーんぶ、受け止めきれない。
親友すら、失うかもしれない、と思った。
そして、
中途半端な絶望。

2019年、年号も変わるだろうし、明るい投稿…
と思いつつ、やっぱりネガティブ…
私の勝手な救いの場に…

だけど、
明日は別の日。
明日こそは前向きに。